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「無粋をお許しください。広間や別室でははばかられるお話がございまして」
言い訳を重ねる男──調教師に、カタリナは、聞いてあげてもよくってよ、と顎で続きをうながす。
「私はジャック殿の親友でありました」
続く言葉に、私は唖然とする。
「──てめえ!」
自らを殺した男に親友と称されたことが、よほど腹にすえかねたのであろう、ジャックは激昂して調教師に殴りかかり──当然のことながら、その拳は空を切る。
「まあ、ジャックのご友人ですの?」
調教師の戯言に、しかしカタリナはまんまと興味を抱いてしまう。彼女は調教師に向き直り、その話に耳を傾け始めて──ここに至り、私はおぞましい想像を抱いてしまう。
ジャックが調教師に殺されるに至った顛末は聞き及んでいる。調教師から訳のわからぬ因縁をつけられて言い争いになり、カタリナを侮辱されるに至り、後に引けなくなって、決闘──といっても、立会人のいない私闘である──で敗れて殺されたのである。当初は、調教師がカタリナの付き添いとなるジャックを邪魔に思って、お披露目の前に排除したのであろう、と思っていたのであるが──もしかすると、奴はカタリナに近づく話題づくりのためだけにジャックを殺したのではなかろうか、と想像して──私は奴の手段を選ばぬ傲慢さに吐き気を催す。
「ジャック殿のことは、残念でした──」
調教師は、わざとらしいほどの沈痛な面持ちで語る。
「ジャックとは、私のことをカタリナ様に紹介してもらう約束をしておりました。私になら、カタリナ様を任せられる、と」
言いながら、調教師は強引にカタリナの手を取る。
「──私は聞いておりませんわ」
カタリナは、調教師から物騒なものを感じとったのであろうか、奴の手を振り払い、距離をとるように席をたつ。
「マリオン──」
何とかして、とカタリナが目で救いを求めて。
「かしこまりました」
答えて、私はカタリナと調教師の間に割って入る。
「付き添いの方には、ご遠慮いただけますかな?」
調教師はやわらかい笑顔で、しかしむき出しの敵意をぶつけて──私はそれを顔色ひとつ変えずに受け止める。
「アルターレ随一の伊達男──ジャックを殺したのは、あなたでしょう?」
私はにこやかに調教師に詰め寄る。カタリナは息をのみ、我々の傍らで談笑していた客は、私の発言を耳にして、なりゆきを見守るべく、口をつぐんで──その沈黙は波紋のように伝播して、テラスは静まり返り──調教師の顔から、笑みが消える。
「何をおっしゃるかと思えば、そのような戯言を」
リムステッラで流行りの冗談ですかな、と調教師は嫌味たらしく続ける。ジャックと奴の違法な決闘──それは、目撃者もいなければ、証拠も残ってはいない、誰も知ることのないものであった──と高をくくっているのであろう。殺された当人が傍らに立っていることも知らずに。
「『ジャックの名を叫ばせながら、カタリナを凌辱してやる』んだっけ?」
私は調教師の耳もとで、ささやくように告げる。奴は息をのんで、紳士の仮面を脱ぎ捨てて、憤怒の形相で私をねめつける。
「そんなこと言われたら、怒りもするよ」
口にすることさえためらわれるほどの下卑た台詞は、しかしジャックを激昂させて、決闘に誘う役には立ったようである。誰も知らぬはずの台詞をささやかれて、調教師は動揺をあらわにして──そして、私を殺すと決断したのであろう、奴は氷のように無表情になる。
「──私を侮辱する気か!」
調教師は、わざとらしく声を張りあげて、私に手袋を投げつける。突然の大音声に驚いて、テラスの客が騒ぎ出し──その騒ぎを聞きつけたものか、邸内の客までもが、何事かとテラスに顔を出す。
「おい! マリオン、拾うな!」
ジャックは声を張りあげて制止するのであるが──時すでに遅く、私は手袋を拾いあげている。
「──小僧、その手袋を拾うことの意味、わかっておるのであろうな」
調教師がしたり顔で問いかける。当然そんな意味がわかるはずもないのであるが、奴が私に喧嘩を売っていることだけはわかる。
「聞け! 我が手を取りし汝!」
調教師は、観衆を前にして、仰々しく口上を述べる。
「我はジャックなるものを殺害せしにあらず。また、いかなる意味においても、この罪に値せず。ここに我、汝に対し、我が身をもって証を立てん!」
「決闘だ!」
「決闘裁判だ!」
なりゆきを見守っていた観衆は口々に叫んで、それを聞いた邸内の物見高い連中が、さらにテラスに押し寄せる。
「決闘裁判って?」
「そこからかよ」
尋ねる私に、ジャックはあきれるように答える。
ジャックによると、王権の弱い小国では、王による裁判の代わりに、しばしば決闘で解決を図ることがあるのだという。決闘の勝敗は神の審判である、という信仰を背景にした制度であるというのであるが──血讐のように私闘ではなく、立会人を要するとはいえ、やはり決闘を裁判と呼ぶことに違和感を覚えてしまうのは、私が王権の強いリムステッラの出身であるからなのかもしれない。
「客人同士の決闘とあらば、私が立会人を務めねばなりますまいなあ」
いつのまにやらアプティス卿までもがテラスに現れており、老爺は手振りで観衆の興奮を抑える。
「マリオン殿」
アプティス卿は鋭い視線で私を射抜く。どうやら事のなりゆきは聞き及んでいるようで──その目は、本当に調教師がジャックを殺したのか、と問うており、私は深く頷いて応える。
「決闘の準備をせよ」
老爺は獰猛に笑いながら、使用人に命ずる。
「おい、マリオン、決闘の作法、知ってんのか?」
傍らのジャックは、決闘が避けられないとわかると、不安そうに問いかける。
「決闘に作法なんてあるの?」
「あるんだよ!」
そんなことも知らねえのか、とジャックは私を責めるのであるが、リムステッラには決闘はないのであるからして、知らずとも仕方がない、と思う。
「作法って、どんなものがあるの?」
尋ねる私に、ジャックは早口で説明を始める。
「いろいろあるんだが──まず、決闘には細剣を用いる」
「細剣かあ……」
慣れぬ武器である。
「次に、戦い方にも作法ってもんがある。左手を用いてはならない──左手を用いて、相手の剣を払ったり、つかんだりしてはならない、ってやつだな」
ひとまず気をつけておくべきなのはこんなところかな、とジャックはそれでもなお不安そうに締めくくる。
「教えてくれて、ありがと」
「それはかまわねえけどよ──マリオン、決闘だっていうのに、ずいぶんと落ち着いてんな。俺は、まさに奴に決闘で殺されたんだぜ」
ジャックは胸のあたりを指しながら──まさに心臓を突き殺されたのであろう──信じられぬ、と首を傾げる。
「でも──私を殺すことはできない」
言って、私は不敵に笑う。こちとら、神ともやりあったことがあるのである。今さら、少しばかり腕の立つ輩に後れをとることなど、ありえようはずもない。
「ただ、細剣はちょっと自信ないんだよねえ」
普段から短剣を扱う私としては、斬ることを目的とした剣であれば、その応用で扱えないこともないのであるが、刺突を目的とした細剣となると、そもそも手にしたことすらなく、その扱いにも自信がないのである。
「だから、攻めるのはジャックに任せるね」
「は?」
「避けるのは私に任せて」
「は!?」
うろたえるジャックを無理やりに身体に受け入れて──私は使用人から細剣を受け取る。
「始め!」
アプティス卿の声が響いて──私は調教師と相対して、右を前にして半身に構えて、細剣を突き出す。左手は、誤って使わぬよう、腰の後ろにまわして──おや、意外と様になっているのではないか、と悦に入ったところで。
「ふん、口だけの騎士め」
細剣の玄人であるところの調教師は、私の未熟を見抜いたようで、嘲るように笑う。
調教師は気を吐くことなく、静かに、ぬるりと突きを繰り出す。連続して、三段突き。顔を狙った初撃と二撃目を、細剣の軌道を見切るために、普段よりも大きくかわす。細剣は、調教師の手首の動きにあわせて、わずかなしなりをもって襲いかかり、いつものように紙一重でかわそうとしていたなら、かすり傷くらいは負っていたかもしれない、と思う。そして、三撃目──本命は、胴を狙ったその一撃だった。最初の二撃で私の動きを封じてからの、胴部への一撃。なかなか喧嘩がうまいではないか、と感心しながら──私は、調教師の繰り出した必殺の突きを、足を水平に開いて地に伏せてかわし、そのまま床を押して後方に飛びのいて、細剣を構え直す。
「無作法だったかな?」
「少しな」
つぶやく私に、ジャックが頭の中で返して──刹那の攻防に、観衆は歓声をあげる。
「避けるのだけは達者と見える」
すべての突きをかわされるとは思っていなかったのであろう、調教師は歯噛みしながらつぶやく。
「負け惜しみ、どうも」
挑発するように返して、私と調教師は、再び対峙する。
私は調教師の細剣の軌道を見切り、続く攻撃のすべてを紙一重でかわしてみせる。奴の言うとおり、避けるのはたやすい。しかし、ジャックにとっては、私の回避を予測して、かつ攻撃するというのは難儀なようで、私と調教師は互いに攻めあぐねて、戦況は膠着する。
「今から奴に決定的な隙をつくるから、ジャックはいつでも攻撃できるように準備して」
調教師とにらみあいながら、私はジャックに告げる。
「どうやって?」
いぶかしげに尋ねるジャックに。
「──こうやって!」
返して、私は疾風のごとく駆ける。私の分身は、調教師に向かって一直線に襲いかかり──分身につられる奴の隙をついて、私は死角に潜り込む。
「もらった!」
調教師の必殺の一撃は、あやまたず私の身体を貫いて──観衆から絹を裂くような悲鳴があがり、テラスは騒然となる。
「口ほどにもない」
「──お前がな」
分身を貫いて勝ち誇る調教師に返して、俺の細剣が奴の右肩を穿つ。
「──そこまで!」
アプティス卿の声が響いて──私は細剣を引く。
「そやつを引ったてろ」
いつのまにやらテラスには衛兵が待ち構えており──彼らはアプティス卿の命に従って、肩口を押さえて苦痛にうめく調教師を捕縛する。権力者の立ち会いのもとの決闘は、まさに裁判なのであるということを、今さらながらに実感して──負けることはないと確信していたとはいえ、背筋に冷たいものが走る。
私は、念のため、とジャックしか知らぬはずの事情を衛兵に語って聞かせて──あとは衛兵の仕事であろう、と引ったてられる調教師を見送る。
「殺すつもりだと思ってた」
「──幽霊にそんな権利はねえよ」
つぶやく私に、ジャックが頭の中で返す。
「お、姫君の抱擁かな」
からかうようにジャックが告げて──見れば、彼の言葉のとおり、カタリナが私めがけて駆けてくる。私はそれを受け止めようと両手を広げて──カタリナは私の前を素通りして、アプティス卿をつかまえて、人目もはばからずに食ってかかる。私は広げた両手の行き場を探して、ジャックは頭の中で大笑いする。
「お祖父様──お祖父様の招いた客人に、悪漢がまぎれ込んでいたのですよ!」
「──すまぬ」
孫娘に詰め寄られて、うろたえながら謝るアプティス卿を見て、アルターレの支配者であると思うものはいないであろう。
「私に事前にご相談いただければ、あんな輩をまぎれ込ませることはありませんでした!」
そもそも顔が好みではないのですから、とカタリナはさりげなく自らの主張を織り交ぜる。
「次からは、私の意見も聞き入れていただけますよね!」
ね、とカタリナは念を押すように言って。
「──そうしよう」
アプティス卿からの言質を勝ち取って、カタリナは飛びあがって喜ぶ。
予期せぬ決闘騒ぎに乗じて、敵の急所を突いて、自らの利とするとは──カタリナは、単なる跳ねっ返りの少女ではなかった。もしかしたら、私やジャックの助けがなく、まかり間違って調教師と婚約していたとしても、従順な振りで奴を騙して、寝首をかくくらいのことはやってのけたのではなかろうか、と彼女のしなやかな強さに感服する。
「ありがとう! お祖父様!」
だから大好きよ、とカタリナはアプティス卿の首もとに飛びつく。溺愛する孫娘に抱きつかれて、アプティス卿は相好を崩して──カタリナは、祖父には見えぬように、ほくそ笑む。
「まったく、女ってやつは、したたかなもんだぜ」
ジャックが私の口を借りてつぶやいて──同感であるなあ、と私は頷く。




