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「俺の名はジャック。アルターレ随一の伊達男とは、俺のことよ」
顔のない男──ジャックはうそぶいてみせるが、顔がないのだから、本当のところはわからない。
「私はマリオン」
名乗りを返しながら、ベッドからおりて──寝転がったままというわけにもいくまい──目の前のジャックを見あげる。長身の幽霊は、細い割には引きしまった体つきをしており、その所作から滲み出る気品もあいまって、顔さえあったなら──そして、その顔のつくりが、ある程度以上のものであったなら──なるほど、伊達男と称されるのも頷ける。
「よろしく頼むぜ、相棒」
言って、ジャックは私の頭をなでるように手を伸ばす──が、幽霊なので、当然さわることはできない。頭をなでようと奮闘する彼の手がわずらわしくて、振り払おうとするのであるが、相手は幽霊である。当然、振り払うこともできず──幽霊の相手をするのは難儀なことであるなあ、と今さらながらに後悔する。
「それで、誰を守ってほしいって?」
「俺の女だ」
正確には俺の女たちのうちの一人だな、と訂正するジャックに、はいはい、と興味なく返す。
「護衛ってことでいいの?」
「護衛ということなら、マリオンはうってつけの人材ですよ。ジャックは運がよいですね」
と、フィーリが会話に割って入る。死して幽霊になっているというのに、運がよいとは、これいかに。
「おっと、誰だ? 誰の声だ?」
「フィーリと申します」
「俺はジャック──って、嬢ちゃん、俺以外にも幽霊を飼ってんのか?」
ジャックは、幽霊の癖に幽霊が怖いようで、私の背後に隠れながら、きょろきょろとあたりを見まわす。
「ま、そんなもんかな」
「失礼な」
抗議するフィーリをなだめるようになでながら、私はジャックに続きをうながす。
「守ってほしい女ってのは──俺の従妹なんだ」
ジャックの語るところによると、彼はアルターレを治める豪商のうちの一つ、ルターレ商会の分家の次男であるという。
「分家の、それも次男だからな。ずいぶんな放蕩息子だった自覚はあるよ」
言って、ジャックは、ふん、と鼻を鳴らす。
ジャックの従妹──カタリナは、本家の令嬢である。淑女になるべく育てられ、しかしお世辞にも淑女とは言い難い成長をとげてしまった彼女は、放蕩もののジャックの目から見ても、跳ねっ返りな少女であるらしい。
「そういうところが、俺の好みでもある」
ジャックは顎をさすりながら、しみじみと頷く。
そして、先頃──見目だけは麗しく成長したカタリナのお披露目として、ルターレ商会の会長である彼女の祖父──つまり、ジャックの祖父でもある──の主催する舞踏会の開催が決まる。その招待状が配られるに至り、まことしやかにささやかれているのが、お披露目はカタリナの婚約者選びも兼ねているという噂である。
「それ自体は、よくあることだと思うぜ」
カタリナにとってもわるい話じゃないしな、とジャックは続ける。
「問題は、その婚約者の候補なんだよ」
言いながら、ジャックは椅子に腰をおろして──幽霊が椅子に座れることに驚く──優雅に足を組んで、天を仰ぐ。
「本来の祖父さんであれば、婚約者の候補に奴を加えるようなことはなかったんだろうが、孫娘のこととなると途端に目が曇りやがる」
「──奴って?」
ようやく本題に入る。
「奴の本名は──忘れた。それほど興味もなかったんでな。ただ、異名の方はよく覚えてる──奴は、ある界隈では『調教師』と呼ばれている」
「調教師?」
「奴は女を調教するんだよ」
尋ねる私に、ジャックは吐き捨てるように答える。
「調教って、躾けるってこと?」
都市を治める豪商の令嬢ともなれば、貴族に準ずるような礼儀作法が求められることもあろう。必要な作法を躾けるということであれば──調教という字面はよくないとしても──それほど奇異なことではないようにも思える。
「いや、奴は調教するんだ」
ジャックは首を振って、重々しく告げる。
「──暴力でな」
ジャックは調教師に調教された女たちのことを語る。彼女らは、いずれ劣らぬ美しき女たちであった。あるものは酒場で評判の看板娘、またあるものは小国の貴族の妻、はてはカタリナと同じく豪商の娘まで──そのことごとくが、調教師に調教されて、従順な女になりさがった──とはジャックの談──のだという。奴に調教を依頼した男たちに言わせれば、女たちは男に従う理想的な女になったということになるのかもしれない。しかし、それはどこまでも男の理屈である。狩人という男の世界で、女として生き抜いてきたという自負のある私にとっては、それは牙をもがれるような喪失であり、ある種の拷問のようにさえ思える。
「もしも、調教師の奴が婚約者に選ばれるようなことがあれば、カタリナも他の女たちと同じく、つまらない女になりさがっちまうだろう」
それがどうにも許せねえ、とジャックは怒りをあらわにして、言葉を重ねる。
「女ってのは、みんなそれぞれに愛らしいもんなんだよ。それを暴力で従えるってのは、俺の性にはあわねえ」
熱弁を振るうジャックの姿に、私は彼に対する認識をあらためる。たとえ、どんな顔をしていようと、放蕩ものであろうと、ジャックは確かに伊達男である。
「だから、頼む。調教師──奴からカタリナを守ってほしい」
そうジャックに懇願されて、私は、ふむ、と思案する。
調教師がカタリナの婚約者となることがなければ、彼女が奴に調教されることもない。つまり、お披露目の舞踏会において、カタリナに近づかんとする調教師の妨害さえできれば、目的は達せられるというわけである。女を守ってほしいなどというから、どれほどの危険が迫っているのであろうかと思っていたのであるが、そもそも荒事でさえないではないか、と私は拍子抜けする。
「あ、そうそう──」
と、そんな私の気の緩みを見透かしたかのように、ジャックは淡々と続ける。
「──奴は俺を殺した男でもある」




