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『風よ!』
風神の指輪を右手の人差し指に着けて、フィーリから教わった古代語を唱える──と、私が意識したとおりに背後から突風が吹いて、その風を帆に受けて、櫂船はすべるように海上を進む。
「風向きくらいしか意識せずに風を呼ぶと、大きな風が吹くみたいだね」
「次は、手振りを加えて、その樽に向けて、風を放ってみてください」
フィーリの指示を受けて、私は樽に向き直る。
『風よ!』
唱えながら、目の前の空の樽を斬るつもりで、右腕を振りおろす──と、右腕の軌跡をなぞるように、風の刃が樽を打ち砕く。
「身振り手振りをともなうと、風はより鋭くなるみたい、かな」
風の一撃──風撃に、これほどの威力があるのであれば、戦いでも活用できそうである。よいものをもらったものであるなあ、と西風と白竜に感謝して──これも、旅神には欠けていたであろう人徳のおかげかもしれぬ、と礼を欠いた想像をめぐらせる。
「ね! その指輪で空を飛んだりできないの?」
と、ロレッタがはしゃぎながら問いかける。
「難しいと思うなあ」
指輪の風が、的確に私の身体をとらえるのであれば、あるいは空を飛ぶこともできるのかもしれないが──実際のところ、風に指向性を与えるために身振り手振りが必要ということになると、空を飛ぶほどに風を自在に操るというのは難しいように思う。
「逆に、空から落ちて、風で勢いを弱めて着地するっていうのはできそうだけど」
「そっかあ」
飛ぶことまではできないということがわかると、ロレッタは途端に指輪への興味を失ったようで、フィーリをおだてて空飛ぶ魔法をねだり始める。
「でも、船乗りにとっては、垂涎の指輪なんじゃないかな」
言って、めずらしく舵を握る船長に、目配せをして──応えるように、船長は手振りで風を要求する。
『風よ!』
唱えると、私の意図したとおりに、風が吹いて──櫂船は西に向けて、さらに船足を伸ばす。
「これが『西風』の力の正体か」
言って、右手をまわして──人差し指の風神の指輪を、ぐるりと眺める。
「船長! 酔眼の船です!」
見張り台から、船員が声を張りあげる。
「嬢ちゃん、酔眼は島に置き去りにしたんだよな?」
見張りの報告を受けて、舵を操りながら、船長が尋ねる。
「そうだよ──たぶん、あれは酔眼が船に残した部下たちなんじゃないかな」
答えて、今や懐かしくもある、酒を飲む髑髏の旗を見やる。そもそも、櫂船を停泊していた入江には、酔眼の海賊船の姿は見えなかった。となると、奴らは私たちとは異なる入江に船を停泊していたのであろう。置き去りにした酔眼たちが、縛めを解かれて、それから船に乗って追いかけてきたにしては、こちらに追いつくのが早すぎる。おそらく、海賊船に残っていた酔眼の部下たちが、私たちが財宝を手に入れたものと思い込んで──正しいのであるが──独断で襲いかかってきたのであろう、と当たりをつける。
順風を帆にはらませて猛追する海賊船を、櫂船は、ひらり、とかわす。
「操船の腕が違うんだよ!」
言って、舵を操りながら、船長は勝ち誇る──が。
「いや、風でしょ」
私は風を操りながら、それを否定する。
私は船長の指示のとおりに風を操って──船長の操船で、櫂船は巧みに海賊船の背後にまわり込む。海賊船は無防備に船尾をさらして、櫂船から逃れようともがく──が、風はこちらの味方なのである。帆船では、どうしたって逃れることはできない。
いつもどおり弓で仕留めてもよいのだが、せっかくだから、と私は右手を握りしめて──船尾から船首に向けて、疾風のごとく駆けて、四つ身に分身する。
『風よ!』
右腕を振りおろしながら唱えて、分身のそれぞれから風の刃を放って──四連の風撃は、海賊船の船体に大穴を穿つ。
海賊たちは、沈没する船から逃れようと、小舟を海におろして、我先に、と乗り込む。何艘かの小舟はすぐに一杯になり、何とか舟に乗ることのできた海賊たちは、そうでなかったものたち──舟に乗せてくれ、と手を伸ばすものたちを蹴り落としているのだから、まったく見るに堪えないものである。
私たちは、沈みゆく海賊船に背を向けて、進路を西に取る。やがて、海賊たちの乗った小舟も視界から消える。
海賊たちは、運がよければ、近場の島である西風の宝島にたどりついて、酔眼や白頭たちと合流することができるであろうか。もしも、合流できたならば、彼らは力をあわせて、島から抜け出すことができるであろうか。島から抜け出すことができるとして、何年──いや、何十年かかるのであろうか。
彼らに科された罰を思いながら、私は遠く、宝島の空を眺める。




