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「わあ!」
眼前に広がる地底湖を見渡して、ロレッタが感嘆の声をあげる。
墳墓への侵入者を待ち受ける数々の罠を乗り越えて──先行する白頭たちの形跡が残っていたので、罠の解除はずいぶんと楽であった──私たちは広大な地底湖の前に立っている。地底湖の天井の岩肌は、ウェルダラムと同じものであろうか、薄く光を発していて──光に照らされた湖面は、きらめく宝石のように美しい。
湖には、湖面を渡るためのものであろうか、敷石のようなものが等間隔に浮かんでおり、足場となっている。
「たぶん、この足場を渡って進むんだろうね」
と、確かめるように、私はいくつかの足場を飛び渡ってみせる。
「ロレッタよ──念のため、魔法をかけておいてくれんか」
泳ぐことのできない黒鉄は、どうしても足をすべらせる想像でもしてしまうのであろう、脅える様子を隠そうともせず、ロレッタに願い出る。
「あいよ」
めずらしく素直な黒鉄に苦笑しながら、ロレッタは頷く。
『羽のごとくあれ!』
ロレッタは魔法を唱えて──私たちは、水に落ちることのない状態で、気楽に足場を渡り始める。
「おっと──追いついちゃったみたい」
いくらか進んだところで、進む先に白頭の一味の姿を認めて──後ろの二人に足を止めるよう合図して、私は身を屈める。
私の視線の先には、開けた陸地がある。陸地の先に続く足場はなく、どうやら行き止まりとなっているようで──そこで足止めをくらっていると思しき白頭一味は、固唾をのんで、白頭をみつめている。奴は、陸地の隅に屈み込んで、何やら床をなでているようで。
「何してんだろ」
つぶやくロレッタに答えたのは──白頭自身だった。奴は探していたものをみつけたようで、歓喜の声をあげて──次いで、何らかの仕掛けが働いたものか、陸地の先に続く新たな足場が湖底から現れて──奴らは、やんやの歓声をあげる。
「なるほど、ああやって仕掛けを解除しながらだから、そんなに早くは進めないわけだ」
「まあ、こちらもロレッタが罠に引っかかったり、驚いて腰を抜かしたりしておったから、それほど早くは進めんかったがのう」
「それでも追いついたんだから、問題ないでしょ!」
黒鉄の嫌味に、ロレッタはいくらか強めの口調で返して──私は慌てて彼女の口をふさいで、白頭一味に聞かれやしなかったか、と奴らを見やる──が、ロレッタの声は白頭たちの喝采にまぎれたようで、奴らに気づいた様子はなく、安堵の胸をなでおろす。
「どうする?」
先に進み始めた白頭一味の背中を目で追いながら、黒鉄が尋ねる。
「もう少し先に進んでもらおう」
答えて、私は、いくらか白頭一味から遠ざかろう、と後ろにさがるよう黒鉄とロレッタにうながして。
「──あれ?」
そこで、違和感を覚える。
「後ろから誰かくる」
自らの発言に、自らで驚く。西風の宝島は、無人の島である。前を行く白頭一味と、それを追う私たち以外に、いったい誰が追いかけてくるというのであろうか。もしかすると、船に残った船長たちが、考えを変えて追いかけてきたのであろうか、と思いをめぐらせる──が、後ろから迫る気配は、別の答えを示している。
「湖の方に退避しよう」
私たちは、足場を離れて湖面を歩き、湖に突き出した岩陰に隠れて、様子をうかがう。
後ろから迫る一団は、無謀にも足場を駆けているようで、ものすごい勢いで近づいてくる。奴らの足音には、硬いもので足場を叩く音が混ざっており──もしや、と目を凝らせば、先頭を駆けるのは、まごうことなく──。
「──酔眼!?」
どうやら前を行く白頭も追跡者の存在に気づいたようで、その先頭を走る義足の海賊の姿を認めて、驚愕の声をあげる。狭い足場で海賊に背後をつかれてはたまらぬ、と思ったのであろう、白頭の一味は先ほどの陸地まで踵を返す。
酔眼たち海賊と白頭の一味は、互いに陸地の両端に陣取って──その先頭で、酔眼と白頭──因縁の二人が、相対して、にらみあう。
「てめえ! 縛りあげられて、今頃くたばってるはずじゃ──いや、そもそも帆船でどうやってこの島にきやがった!」
白頭は怒鳴りながらも、曲刀を抜いて、油断なく酔眼に身構える。
「その地図には、難攻不落の宝島って記されてんのかもしんねえがな! 西風の時代と今とでは、船の性能が違うんだ! 俺の船なら、風に向かって走ることなんて、訳ねえんだよ!」
返す酔眼の言葉に──胸もとのフィーリが、ほう、と感心の声をあげる。
「確かに、酔眼とやらの海賊船の帆は、古代の船よりも複雑なつくりをしておりましたね」
魔法が失われたから、代わりに造船の技術が発達したんでしょうね、とフィーリはのんきな調子で続ける──が、状況は一触即発、両陣営はにらみあったまま、酔眼と白頭の罵声の浴びせあいは続いて。
「しぶとい野郎だ! 今度こそくたばりやがれ!」
ついに、白頭の怒声を皮切りに、酔眼たち海賊と白頭の一味は、狭い陸地で戦いを始める。酔眼たち海賊は、やはり戦い慣れているようで、個人の実力では白頭一味を圧倒している。一方で、白頭の一味は海賊よりも数が多く、白頭の指示のもと、できるかぎり多対一となるように戦うことで、実力差を数で埋めており──両陣営の戦力は、拮抗しているように思える。
「ほう、酔眼も白頭も、なかなかやるもんじゃのう」
二人の戦いを眺めながら、黒鉄が感心の声をあげる。酔眼は、私と相対したときと同じく、独楽のように回転しながら、周囲の敵を斬り刻む。一方で、白頭は、以前は酔眼の船に乗っていたというだけのことはあって、その戦い方を熟知しているようで、率先して前に出て、酔眼の攻撃を防いでいる。
「どっちに賭ける」
「酔眼──いや、白頭かなあ」
黒鉄とロレッタは、暇なのであろう、どちらが勝つかの賭けまで始める。私はあきれて溜息をついて──瞬間、自らに迫る危険を察知する。
「危ない──何かくる!」
湖底から迫る気配を感じて、黒鉄とロレッタを突き飛ばして、私は何かに身構える──と、私の足もとを突きあげるように、湖底から何かが現れて──私は、その突きあげを、羽のごとき軽さで、ひらり、とかわす。私を襲った何かは、獲物を仕留め損なったとわかると、再び湖底に潜る。
「り、竜!?」
「──いや、蛇、かな?」
ロレッタの叫びを否定しながら、私は湖底に意識を向ける。今しがた私を襲った長い胴の魔物は、私の知るかぎり、蛇に似ている──とはいえ、あれほどの巨大な蛇であれば、竜と見紛うのも無理はない。私たちが足場から湖面に移動して、すぐに襲いかかってきたところを見るに、蛇──いや、水蛇は、湖を泳いで渡るものを排除する役割を担っているのかもしれない。
水蛇は、仕留め損なった獲物を探しているのであろうか、気配を探るように湖底をめぐり──やがて、私をみつけたようで、再び湖底から上昇して突きあげる。しかし、今の私は羽である。羽にとっては、突きあげの一撃も、吹きあげる風のようなものにすぎない。私は水蛇の突きあげをかわさず、奴の上顎と下顎に足をついて立って、突きあげられるままに上昇する。水蛇は、またも私を仕留められなかったことに気づいたのであろう、次こそは喰らってやらん、と大きく顎を開いて──私は、それをこそ待っていた。
私は、ふわり、と飛んで──フィーリから旅神の弓を取り出して、大きく開いた水蛇の口内をめがけて、矢を放つ。放たれた矢は、水蛇の長い胴を、串でも刺すように貫いて──水蛇は、崩れ落ちるように、その巨体を湖面に打ちつけて、やがて湖底に沈んでいく。
「酔眼と白頭が、何か叫んでおるぞ」
「私たちへの応援の声かな」
と、私はうそぶいて──あれだけ派手に戦えば、奴らがこちらの存在に気づくのも無理はない。酔眼も白頭も、私たちが奴らを出し抜いて、財宝を奪取せんとしていることに思い至ったのであろう。手の届かぬ湖面に立つ我々に、奴らはあらんかぎりの罵声を浴びせて──私は、それを心地よく聞き流して、奴らに笑顔で手を振ってみせる。
「さて──近道するとしよう」
正しい道であろう足場は、地底湖をぐるりとまわるように続いており、まだまだ先は長く見える──しかし、湖面を歩いて渡ることのできる私たちであれば、足場に縛られることはない。さらには、湖を泳いで渡るものを排除する役割を担っていたであろう水蛇も、もういない。私たちは、騒ぎたてる酔眼、白頭を尻目に、地底湖の奥に向けて、最短で湖面を駆けていく。
私たちは、やがて湖に浮かぶ島にたどりつく。島は、ぼう、と周囲から浮かびあがるように明るく照らし出されており──見あげれば、遥か頭上には大きな穴があいていて、そこから射し込む陽光によるものであるとわかる。島には、まるで遺跡のように巨石が林立しており、私たちはその間を縫うようにして、奥へと進む。やがて、巨石群を抜けて──不意に現れたそれを見あげて、私は呆然とつぶやく。
「──西風の船」




