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「船長! やばそうな船が近づいてきますぜ!」
帆柱の上部に設けられた見張り台から、船員が警戒の声をあげたのは、出航してから二日目のことだった。見れば、海原の彼方から、およそ商船とは思えないような黒塗りの帆船が近づいてくる。
「旗の模様が見えるか!?」
叫ぶ船長に答えたのは、しかし見張りの船員ではなかった。
「髑髏が酒を飲んでいる」
私の目をもってすれば、旗の模様を確認することくらいたやすい。旗には髑髏が描かれており、その髑髏は酒杯に満たされた赤い酒を──もしかして血であろうか──何ともうまそうに飲んでいる。
「おいおい、酒を飲む髑髏って、そりゃ『酔眼』じゃねえか! 何でこんなところにいやがんだ!」
「酔眼?」
「海賊だよ!」
船長の叫びを聞いて、カニスは逃げるように駆け出す。厳つい見た目に反して、意外に臆病なのであろうか、と船室に向かうカニスの背中を見送る。
「漕ぎ手を増やせ! 全速で逃げろ!」
「ようそろ!」
声をあげて、船員たちは急いで船倉に潜って──彼らが櫂を手にしたのであろう、櫂船は目に見えて速度をあげる。
「船長! 海賊船の方が速い!」
再び見張り台から声が飛ぶ。櫂船は漕ぎ手を増やして全速であるというのに、海賊船は遠ざかることなく、少しずつ、しかし確実に近づいてくる。
「こんなときにかぎって風が強い──いや、風が吹くのを見越して、帆船の方が有利とみて襲いかかってきたわけか──くそ、やるじゃねえか!」
どうすれば海賊船から逃げ切れるか、ああでもない、こうでもない、と船長は声に出しながら思案する。
「海賊船に追いつかれると、どうなるの?」
大いに慌てる船長の様を見て、おそらく逃げ切ることはできまい、と見切りをつけて、彼に尋ねる。
「のんきな嬢ちゃんだなあ。そんなもん、船に乗り込まれて、俺たちゃ皆殺しだよ!」
「なるほど」
船に乗り込まれて、船員を守りながら戦うことになれば、私の手の届かぬところで犠牲が出るやもしれぬ。それならば──海賊船に乗り込む方が、いくらか戦いやすかろう、と決断する。
「ロレッタ、海賊船に糸を渡せる?」
「あたしの糸は、地を這って伸ばしてるから、海を隔てた船に渡すのは難しいよ」
甲板の手すりに隠れるようにして海賊船を眺めながら、ロレッタが返す。
「それなら、矢に糸をつないで、向こうの船に放つっていうのは、どうだろう?」
「マリオンの放った矢と同じ速度で糸を紡げって?」
そんなの無理に決まってるでしょ、とロレッタはかぶりを振る。
「仕方がない──じゃあ、いつもどおり、私に糸をつないで」
「あいよ」
答えて、ロレッタは力ある言葉を唱える。
「船長! 船を左に一杯に傾けて、そんで右に傾けてほしいんだけど、できる?」
準備を整えて、私は船長に声をかける。
「嬢ちゃん! 今は嬢ちゃんの遊びにつきあってる暇は──」
「──いいから、その娘の言うとおりにしてやってくれい」
甲板の騒ぎを聞きつけたようで、黒鉄が船室からあがってきて、船長の言葉にかぶせるように告げる。どうやら、船酔いは治まっていないようで、時折吐き気を催しているようなそぶりを見せる。
「旦那!」
「もしも海賊船に追いつかれて、やつらが乗り込んできたなら、そのときは儂が全員を薙ぎ倒してやる──だから、まずはその娘の言うとおりにせい」
わるいようにはならんはずじゃ、と黒鉄は船長を諭す。
「まあ、旦那がそう言うのなら……」
と、船長は渋々といった様子で頷いて、船尾の操舵手に向けて、指示を出し始める。
「船酔いなんでしょ。私が片づけるから、無理しなくていいよ」
「儂は酒にも船にも酔っとらん」
私は身体を気遣うのであるが、黒鉄は頑なに聞く耳を持たない。
「取舵一杯!」
船長が大音声をあげる──と、同時に操舵手が舵を左に切って、櫂船は緩やかに傾き始める。私は左舷の手すりにつかまって、きたるべきときを待つ。
「面舵一杯!」
続く大音声で、船は傾きを変える。左舷を上に、右舷を下に。
「どうするの?」
傾いた甲板に立っていることができず、腰をついたロレッタが問いかける。
「こうするの!」
答えて、私は手すりから手を放して、左舷から右舷へ、疾風のごとく駆けおりて──飛ぶ。
まるで、鳥のように──いや、放たれた矢のように、真っすぐに飛ぶ。風を切る音が耳もとで鳴り、みるみるうちに海賊船が近づいてくる。飛来する私に気づいた海賊たちは、どうやら戦い慣れているようで、すばやく反応して矢を放つ──が、腕はそれほどよろしくない。ほとんどの矢はあらぬ方向へと飛び、私の身体に向かってきたのは数本程度──私はそれらの矢を、飛来する順に、すべて両手でつかみとる。
海賊船の甲板に華麗に着地して、つかみとった矢を放る。
「──それで?」
煽るように告げると、海賊たちは弓を放り投げて、次々に曲刀を抜く。
「かかれ! 生かして帰すな!」
船尾楼で怒声をあげたのは船長であろうか。海賊旗のとおり、酒杯を片手にした酔眼の男が、自らも曲刀を抜いて、海賊たちを鼓舞する。
私は竜鱗の短剣を抜いて、海賊たちの間を縫うように、疾風のごとく駆ける。海賊たちの振りおろす曲刀を舞うようにかわしながら短剣を振るう。立ちふさがるものの首を薙ぎ、追いすがるものを疾風のごとく蹴り飛ばして──私は海賊たちの囲みを抜けて、船尾までたどりついて、竜鱗の短剣を腰に戻す──と、同時に、背後の海賊たちはいっせいに倒れ伏す。
「おいおい、お前は何もんだ?」
言って、船長と思しき男──海賊「酔眼」は、船尾楼から酒杯を放り投げる。高価であろうガラスの酒杯は、甲板に落ちて砕け散り──酔眼は忌々しそうに私をねめつける。いや、私のせいではないぞ。
「──おい」
「へい!」
酔眼が呼びかけると、脇に控えていた眼帯の男が、新たな酒杯に酒を注ぐ。眼帯の男から差し出されたその酒杯を受け取って、酔眼は甲板へと下りてくる。見れば、酔眼の片足は義足であり──さらには相当に杯を重ねているようで、その酔いもあいまってか、甲板に下りる足取りはおぼつかない。
「もう一度尋ねる。お前は何もんだ?」
甲板に降り立って、酔眼は再び尋ねる。
「私は、西に向かう、ただの旅人だよ。そっちこそ、いきなり何なのさ」
「しらばっくれやがって!」
吐き捨てるように言って、酔眼は酒を飲みほして──怒りに任せて、足もとに酒杯を叩きつける。粉々になったガラスが甲板に飛び散る。
「裏切りもんの『白頭』のやつがその船に乗ってるってことは、調べがついてんだ!」
「白頭?」
酔眼の言葉の意味するところがわからず、はて、と思案して。
「──ははあ」
やがて、私は白髪の男──カニスの顔を思い浮かべる。
「白頭のやつが盗んだもの、返してもらうぜ!」
酔眼の片足が義足であるから油断していた──というわけではない。
「おお──っと!」
警戒していたにもかかわらず、酔眼の不意打ちの一撃は、私の頬をかすめる。酔眼は義足を軸にして、独楽のようにまわりながら曲刀を振るって──その斬撃は鋭く伸びて、私の見切りを誤らせ、剣先が頬をかすめた、というわけである。
「ちょっと、気をつけてくださいよ」
毒でも塗ってあったらどうするんですか、とフィーリにたしなめられる。面目次第もない。
「治しておきましたよ」
言われて、頬を指でなぞる──が、すでに刀傷はない。
「ありがと」
持つべきものは旅具であるなあ、とフィーリの助けに感謝する。
酔眼は、再び義足を軸にして、まるで踊るように追撃を繰り出す。旋風のような連撃を、すべて紙一重でかわして──種が割れてしまえば、かわすのはさほど難しくない──回転の軸となっている酔眼の義足を蹴り飛ばしてやろう、と下段に意識を向ける。酔眼は、それを誘っていたのであろう。にやり、と不敵に笑って。義足を軸に曲刀を振るうと見せかけて──曲刀で甲板を突き、そのままそちらを軸として、義足で蹴りを放つ。私は潜り込むようにして、その蹴りをかわす。酔眼は、義足ならともかく、曲刀を蹴ることはできまい、と高をくくっているようで、曲刀を軸に回転したまま、さらに義足で蹴りを放つ──が、見くびってもらっては困る。両刃の剣ならともかく、曲刀は片刃である。私は曲刀の回転を見切って、あやまたずその峰に蹴りを放つ。軸としていた曲刀を蹴り飛ばされて、酔眼は宙に舞う。私は甲板に手をついて、落ちてくる酔眼を、真上に蹴りあげる。高々と蹴りあげられた酔眼は、その頂点で、たまらず嘔吐して──雨のように降る吐瀉物から逃げるように、私は疾風のごとく飛び退る。
「──おいおい、お前、本当に、何もん、なんだ……?」
落下して甲板に叩きつけられた酔眼は、私を見あげて、三度同じ問いを発する。
「海賊『西風』の、財宝は、俺のもん、だ……」
言って、その財宝とやらをつかみとろうとするように手を伸ばして──そのまま力尽きるように甲板に倒れ伏す。死んだわけではないだろうが、そうそう起きあがることもできまい。
「ロレッタ、こいつら、縛りあげて」
私につながれた不可視の糸を通して、ロレッタに話しかける。
「あいよ」
ロレッタは短く答えて──酔眼をはじめ、生き残った海賊たちは、瞬く間に鋼のごとき糸で捕縛される。
「嬢ちゃん、とんでもねえな!」
ひらり、と飛んで櫂船に戻る私を、船長は両手を広げて出迎える。
「そんなに強いんなら、最初からそう言ってくれよ」
びびって損したぜ、と船長はぼやくが、最初にそう言っても、きっと信じはしなかったであろう。
「儂がこんな様で、すまんのう」
黒鉄は申し訳なさそうにつぶやく。
「いつも助けてもらってるから、たまにはね」
返す言葉は、本音である。普段であれば、黒鉄が率先して敵に飛び込んで、私たちの盾になってくれているのだ。彼が不調のときに代わりを務めるくらい、何ということはない。
「あたしは役に立ったでしょう」
ロレッタは誇らしげに胸を張る。
「はいはい、偉い偉い」
実際のところ、ロレッタの魔法は役に立ったという程度のものではなく、彼女はとても偉いのであるが、こうも面と向かって誇られると、褒める言葉もいくらか投げやりになる。
「──お話し中のところ、申し訳ない」
と、船長が妙にかしこまって──しかし、強引に会話に割って入る。
「金で雇われての航行中に、こんなことを頼むのは非常に申し訳ねえんだが──ほんの少しの間だけでいい、近場に寄港してもかまわねえかい?」
「どうして?」
船長の頼むところの意図がわからず、私は疑問の声をあげる──と。
「海賊どもを連れていくんだよ!」
船長は興奮気味に答える。
「酔眼は賞金首だからな。結構な収入になるぜ!」
もちろんあんたらの取り分も用意する、と船長はさも気前がよいようなことを言うが、そもそも酔眼と彼の率いる海賊たちを捕縛したのは、私とロレッタなのである。私たちの取り分を用意するのは当然のことであろう、と船長のずうずうしさにあきれてしまう──とはいえ、そもそも金に困っているわけでなし、わざわざ賞金のすべてを寄こせとごねて、彼らとの間に不和を招くのも本意ではない。黒鉄とロレッタが、どうでもよさそうな顔をしているのを見て──ま、いいか、と船長に向けて頷く。
「どうぞ」
雇い主からの許しを得ると、船長をはじめ、船員たちは皆、おお、と色めきたつ。
「ようし! 帆船に乗ったことのあるやつ、操船のできるやつ、手をあげろ!」
船長の声に、十数人の船員が手をあげて。
「まあ──何とか足りるだろ。お前らは海賊船に乗り込んで、こっちの船についてこい。海賊船も売っぱらっちまえば、当分遊んで暮らせるぞ!」
「船長! 海賊船に金目のものがあったら──」
「もちろん──そいつをいただいちまうのも忘れないようにな!」
わっはっは、と船長は傍らの船員の肩を叩きながら、豪快に笑う。
「がめつい……」
あれもこれも根こそぎ奪ってしまおうとする船長に、これではどちらが海賊かわかったものではないなあ、とあきれて──私は苦笑するのだった。




