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「あ、おいしい」
「でしょ!」
思わずつぶやいた私の声にかぶせるように、ロレッタは喜びの声をあげる。
辺境伯領の南西の港町マルレにたどりついた私たちは、ロレッタに連れられて──何でもおすすめの店があるそうで──港近くの食堂を訪れる。彼女は、あれよという間に全員分の注文を済ませて、給仕された漁師飯とやらを口にして──そして、冒頭の感想である。
「ただの漁師飯をこんなに喜んで食べるエルフは、あんたくらいのもんだよ」
給仕の女性は、以前に訪れたロレッタのことを覚えていたようで──こんなに飯をがっつくエルフもめずらしかろうから、当然のことであろう──その食べっぷりに、ありがとね、と礼を述べる。
「こんなにおいしいのに」
ロレッタ以外のエルフは喜ばないのであろうか、と私が疑問の声をあげる──と、ロレッタは訳知り顔で答える。
「ああ、エルフって、種族によって、好き嫌いがあるんだよね」
好き嫌いで片づけますか、とフィーリがあきれるようにつぶやく。
「あたし、ハーフエルフだからさ、そういうの気にしないの」
と、彼女は混血に生まれたことを心から喜んでいるようで、給仕に漁師飯のおかわりを注文する。
確かに、純血のエルフであったならば、この漁師飯を食べられないというのであれば、混血万歳と叫びたくなる気持ちもわからないではない。漁師飯とだけ呼ばれている煮込み料理は、そのくらい滋味にあふれており──おいしかったのである。
尾頭のついたままの魚を丸ごと、海水と葡萄酒で煮込んでいるとのことで、なるほど海が香るのも道理である、と納得する。給仕によると海の水はしょっぱいらしく──後で舐めてみるとしよう──海水で煮込むだけで十分な塩味がきいている。さらには、香辛料であろうか、貿易の盛んな港町だけあって、私の知らないようなものが用いられているようで──それが海水の塩味と絶妙に調和していて、何とも味わい深いのである。魚から滲み出た滋味を含んだ煮汁は、スープとしても絶品なのであるが、パンを浸してもおいしく──私としては後者の方が好みであり、パンの追加を注文する。
「長髭も、おいしいでしょ?」
漁師飯をむさぼりながら、さらには昼間から酒をも流し込んでいた黒鉄は、勝ち誇るように問いかけるロレッタに、ああ、とか、おう、とか、小さな声で曖昧に返す。海を避けていた手前、漁師飯のおいしさを認めることさえ癪なのであろう。
「それにしても、船がみつかって、よかったのう」
黒鉄は露骨に話をそらす。
「海に出るのは嫌だって、ずっと渋ってた癖に」
追い打ちをかけるロレッタに、しかし黒鉄は動じない。
「辺境伯に、今際にあのようなことを言い残されたのだ。少しでもエルラフィデスを通らずに西に向かう道を模索することこそが、亡き辺境伯への手向けであろう」
くだらない言い争いをするものではない、と黒鉄は辺境伯の名まで持ち出して、話を打ち切ろうとする。負けず嫌いも、ここまでくると感心する。
実際のところ、私たちはエルラフィデスを避けるために海路を選んだ。
辺境伯領の領都から、国境の大河を渡って、陸路で西を──黒鉄の故郷を目指すとなると、エルラフィデスを横断することになる。辺境伯の忠告にあったエルラフィデスの勇将とやらに出会わぬように西を目指すというのであれば、それではどうにも具合がわるい。
結局、私たちは船で西に向かい、エルラフィデス南西の小国家群を経由して、黒鉄の故郷を目指すことに決めた。海路にしても、途中どうしてもエルラフィデスを通らなければならないところはあるのだが、陸路で横断するよりはましであろう、という判断である。
「あんたら、船で西に向かうのかい?」
と、不意に隣の席から声をかけられる。見れば、白髪の男が一人で酒を飲んでおり、すでにずいぶんと酔っ払っているようで、こちらに向けて、ゆらゆらと杯を揺らしている。
「俺も西に向かう船を探していたんだ。金は払う。同乗させてもらえんだろうか」
言って、男は懐から取り出した数枚の銀貨をテーブルに転がす。
「南に向かう船は多いんだが、西に向かう船はとんと見かけなくてな。とはいえ、船を借り切るほどの金はないもんで、どうしたもんかと悩んでたんだ。どうだろう、この金で、俺も乗せてもらえんだろうか」
男の言は正しい。マルレは、内海を挟んだ向かい側、南の大陸との貿易で栄える港町である。南に向かう船は多いが、西に向かう船は──何でも風の難しさもあるらしく──ほとんど見かけない。東西を行き来するには、風の影響を受けにくい櫂船でなければならないようで、私たちは金を積んで櫂船を借り切り、漕ぎ手を雇って──そこまでして、西に向かうのである。
黒鉄とロレッタは、二人して、どうする、と目で私に尋ねる。二人が私に判断を委ねるのも無理はない。男の、その白髪に似合わぬ鍛えあげられた赤銅色の肌には、刀傷と思しき無数の傷が刻まれており、明らかに荒事を生業としていることがうかがえる。そのような剣呑な男を、船に乗せてもよいものか──二人の目は、そう問うているのである。
「ふむ」
しばし思案して、私は男の頼みに短く答える。
「いいよ」




