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「まさか──」
と、自らの胸に空いた大穴をみつめて。
「まさか、俺を殺してくれるやつがいるとはな……」
つぶやいて、雄牛はその場に崩れ落ちる。毛むくじゃらの牛の化物は、みるみるうちにその姿を変えて──死に瀕した辺境伯の姿があらわになる。
「父上!」
叫んで、エリアスが駆け寄る。屈み込んで、辺境伯を抱きあげて、何度も呼びかける。
「騒ぐな、正しき行いが──血讐がはたされたのだ……悔いることは何もない……」
辺境伯は、残る右手で、なぐさめるように娘の髪をなでる。
「マリオン、こちらに……」
呼びかける辺境伯の目は、焦点があっておらず、もはや視力はないのかもしれぬと思い、応えるようにその右手を握る。
「さすが、グレンの見込んだ娘よ……」
言って、辺境伯は、死にゆくものと思えぬほどの力強さで、私の手を握り返す。
「魔人となって以来、邪悪な衝動を抑えられずに苦しんでおったのだが──久々に清々しい気分よ……」
礼を言うぞ、と辺境伯は、しぼり出すような声で告げる。
「マリオンよ、エルラフィデスを訪れるならば、心せよ……」
それを私に告げるまでは死ねぬ、というような必死の形相で、辺境伯は言葉を重ねる。
「かの勇将どもに、心許すでないぞ……」
「勇将って?」
尋ねる私に答えたのは、しかし辺境伯ではなかった。
「──エルラフィデスの勇将」
涙をぬぐいながら、エリアスが告げる。
「内乱の鎮圧に貢献した騎士に、その功をもって与えられた称号であると聞いている」
辺境伯が魔人と化したのは、その勇将とやらの手によるものなのであろうか。その勇将も、辺境伯と同じく、魔人なのであろうか。うずまく疑問に──しかし答えはなかった。
「ああ──よい、戦いで、あった」
満足そうにつぶやいて──リムステッラの雄牛、アウルス・アルジナスは死んだ。
辺境伯の死は、表向きは病死ということになり、その後継がさだまるまでの間、領地は娘のエリアスが差配することとなった。子爵であるエリアスが辺境伯領を差配するというのは、その爵位からすると異例のことであるのだが──私の報告を受けた騎士団長が軍務の後見となり、何がどうなったものかアムノニア侯爵が政の後見となるということで──ウルスラが口を出したに違いない──否やを唱えるものはなかったようである。
「世話になったな」
領主代行たるエリアスは、領都から旅立つ私たちを、自ら見送る。辺境伯が亡くなってから、連日泣き明かしているのであろう、その目は隠しようもなく腫れていて──噂よりも人間味のある彼女に、以前よりも親近感を覚える。
「姉ちゃん、元気で」
エリアスの隣には、ティオも並んでいる。ティオには身寄りも、行く当てもなく──結局、エリアスのもとで、騎士見習いとして働くことになったらしい。彼にとっては、よい結末を迎えたのかもしれない、と思う。
「姉ちゃん、ありがとう」
言って、ティオは私に抱きつく。
「どういたしまして──っと」
想像よりも力強い抱擁に、一瞬とまどう。ティオは、私の胸に顔をうずめて、どうやら泣いているようで──もしかしたら、私に亡くなった姉の姿を重ねているのかもしれない、と思う。
「マリオンには、惚れん方がよいぞ」
「何せ、自らの乳をもんだ男の首をねじり折った女だからね」
感傷的な気分に水を差すのは、黒鉄とロレッタ──二人は、口々に勝手なことを言って、顔を見あわせて、にんまりと笑う。
「ちょっと、変なこと教えないの!」
困ったことに、盗賊を成敗して以来、私のことを危険な女であるとからかうのが二人の流行りとなっていて──まったく、いたいけな少年に、あることないこと──ないことではないが──吹き込むのは止めていただきたいものである。
「おいら、強くなる!」
私の胸から顔をあげて──私におそれをなしたわけではないと信じたい──ティオは力強く宣言する。その瞳に、もう涙はない。
「強くなって、辺境伯のような、立派な男になるんだ」
「それは頼もしい」
言って、エリアスはティオの頭をなでる。
エリアスの頬を、涙がつたう。それも無理からぬことであろう。ティオの瞳には光があった。リムステッラの雄牛と呼ばれた辺境伯アウルス・アルジナスの遺志が──確かにそこに息づいていた。
「血讐」完/次話「宝島」




