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男爵領の街──シンダールまでもう少しというところで、いつものようにロレッタが、もう歩きたくない、と駄々をこねて──街を目前にして野宿するはめになった、その翌朝。
「──もう起きるの?」
夜も明けきらぬ頃、ごそごそ、と動き出した私に、ロレッタは寝ぼけまなこで問いかける。
「ちょっと水浴び」
答えて、見張りの黒鉄に労いの言葉をかけて、森の奥に向かう。
フィーリのおかげで、私の身体は清潔にたもたれていて、汚れることはないのであるが──それはそれとして、水を浴びたいという欲求がなくなるわけではない。きれいになった実感がほしい、とでも言えばよいのであろうか──いや、単に水を浴びるのが好きなのであろう。私は、たまにではあるが、こうして水浴びに出かける。
黒鉄によると、シンダールの森には、美しく澄んだ湖があるのだという。何でも妖精が住むとも噂されているとのことで──そんな神秘的な湖で水浴びができるのも、我々の足止めに貢献したロレッタの手柄であろう、と苦笑しながら、木々をかきわける。
やがて、湖のほとりまでたどりついて──その湖面の青さに息をのむ。服を脱いで、フィーリに預けて──そのまま裸で駆け出して、ほんの数歩だけ水面を駆けたところで、私は湖に沈む。水を浴びるというよりは、もはや泳いでいるわけであるが──ま、大差はあるまい。水に身を任せて仰向けに浮かんで、湖面をゆらゆらと漂う。
と、誰かの近づく気配を感じる。黒鉄かロレッタであろうと思って、身を起こして、湖底に足をついて立ちあがり──。
「美しい──」
思わぬ声に振り向いて──湖畔にたたずむ見も知らぬ男に、自らの裸身をさらしていることに気づいて、慌てて湖水に潜る。
不覚。私としたことが、気配を読み誤るとは。ロビンに裸を見られた際には感じなかった若干の腹立たしさと、気恥ずかしさとを覚えて──湖底に潜ったまま、しばし間をおいて、男は去ったであろうか、と湖面に顔を出す──と。
「よかった。また、現れてくれた。君は、人間? それとも、湖の妖精なの?」
男は変わらず湖畔にいて、こそばゆくなるような戯言を繰り返す。
よかろう。それならば、私のことは湖の妖精であると思ってもらおう──と、大きく息を吸い込んで、深く、より深くまで潜る。並のものであれば、呼吸できずに死に至るほどの時間を湖底で過ごして、今度こそ、と湖面にそっと顔を出す。
湖畔には、はたして男の姿はなかった。
ほっと安堵の息をついて、水からあがる。男は、私のことを、美しい湖の精であると思ってくれたであろうか。そうであればよい。夢か現かわからぬような出会いとして──儚い思い出として、私の裸身もろとも、やがて記憶から消えてくれればよい、と願いながら──私は服を着て、湖を後にする。
「遅かったじゃない」
ロレッタは、黒鉄の用意した朝食──といっても、私がフィーリから取り出して渡しておいた獣肉と適当な野菜を煮込んだだけのスープである──を食べながら、それでもなお眠そうな顔で口を開く。
「いろいろあったの」
言いながら、黒鉄から差し出されたスープを受け取る。
常日頃より、塩漬け肉を煮込んだスープほどまずいものはないと思っている私であるが、フィーリに保存された新鮮な肉や野菜でつくるスープは、贅沢に使用された香辛料もあいまって、おいしくいただくことができる。黒鉄のつくるスープでさえ──三人の中では、もっとも適当に料理をつくる──おいしいのだから、旅具には感謝せねばなるまい。
「いろいろって?」
しつこく尋ねるロレッタに、溜息をつきながら事情を話す──と、二人はそれぞれに、らしい反応を示す。
「マリオンも、恥ずかしさを覚える年頃になったんだねえ」
ロレッタは、これからは人前で裸になってはいけないよ、とあたりまえのことを、お姉さんぶって言う。
「そのような不埒な輩は、叩き斬るべきであろうな」
黒鉄は、背後の大木に立てかけておいた斧に手を伸ばして、物騒なことを言う。
「もういいの。忘れるの。きっと、新たな妖精の噂になって──そのうち不埒者の記憶からも消えるはずなんだから」




