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「よい酒場じゃったろう」
アジェテの村を出立して、街道に戻ったところで、黒鉄は誇らしげに口を開く。
「確かに」
黒鉄の言葉に否やはない。おいしい料理に、おいしい酒──驚くことに、酒場の自家醸造のエールは、ほのかな果実の味がして、私の口にもあった──何より、愛嬌のあるマリーの給仕は、見るものを和ませて──あれほど居心地のよい酒場は、初めてだったように思う。
「近くまできたら、また寄るとしよう」
ロレッタも同意を示すように微笑んで──我々三人の足取りは軽い。
リムステッラの西の国境──辺境伯領を目指して、街道を行く。
辺境伯領は、その領地の一部を海に面しており──引き続き街道を進んで西を目指すべきか、それとも港町から船で西を目指すべきか、両者の諍いは続いている。
「海の方が楽しいと思うな。マリオンは海で獲れるもの、食べたことないでしょ。海の料理は、おいしいよう」
と、ロレッタは私の食い気を誘惑する。幼い頃に見た海は、遠くの丘から見下ろしただけであったから、当然のことながら海の料理を食べたことはなく──興味がないと言えば嘘になる。
「海なんて、人の行くところではないぞ。街道沿いなら、うまい酒場をいくらでも知っておる」
海なんてやめておくんじゃ、と黒鉄が神妙な顔で首を振る。海を嫌がる様は妙になじんでいて、きっと何度も海に立ち寄るのを拒否したことがあるのだろうな──きっと泳げないんだろうな、と微笑ましく思う。
「二人とも、何で私に提案するの?」
目的地は決まっているのだから、どこを経由するかなんて些末なことで、誰が決めたっていいだろうに。
「進路の決定権って、マリオンにあるんじゃないの?」
「儂もそう思っておった」
何でだよ。
「ほら、あたしたち、三人じゃない。そんで、あたしと長髭の意見が──ま、たまに食い違うよね。そうすると、食い違った意見のどちらをとるか、どちらもとらないかって決めるのは、マリオンになるでしょ?」
ロレッタが言って、黒鉄が頷く。ま、確かに、納得できなくはない。
「ね、だから、海に行こうよ!」
「街道じゃ。こればかりは譲れんぞ」
そんなわけで──両者の諍いは続く。
最初にそれに気づいたのは、ロレッタだった。
「──ねえ」
もう歩きたくない、と早々に駄々をこねて──ロレッタは気晴らしに後ろ向きに歩き出して──そして、何かに気づいて声をあげる。
「あれって、もしかして──」
ロレッタのつぶやきに振り返ると、彼方に黒煙が立ちのぼっている。その方向、距離からすると、もしかして、ではない──アジェテの村が燃えている。
「火事だと思う?」
私たちに向き直って、ロレッタが問う──が、黒煙は幾条にも立ちのぼっており、とても単なる火事だとは思えない。
「──襲われとるんじゃ」
認めたくないのであろう、黒鉄は苦虫でも噛み潰したような顔でつぶやく。
「マリオン、ぬしなら間に合う!」
言って、黒鉄は私にすがるような視線を向ける。確かに。疾風のブーツの力をもってすれば、間に合う──かもしれない。
「ロレッタ、糸を!」
「もうつないでるよ」
いつのまに。私の気づかないうちに、糸を結んでみせるとは。ロレッタの不可視の糸ときたら、ありがたいやら、おそろしいやら。
「先行するから、糸を頼りに追いかけてきて!」
「儂らも、すぐに追いつく!」
黒鉄の悲痛な叫びを背に受けて、私は疾風のごとく駆け出す。




