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「──って言って別れたの、旅人っぽくて格好よかったなって思ってたのに」
「そういうな。さっそく会えて、喜ばしいことじゃろ」
チェスローの街を出て、さらに北に向かう。
抜けるような青空は旅路を祝福しているようで、自ずと足取りも軽くなる。風のように歩む私を、彼方から大声で呼びとめたのは、むくつけきドワーフ──黒鉄だった。
「追いかけてきたんじゃないでしょうね?」
「偶然じゃ。同じ街に泊まって、目指す方向も一緒であれば、出くわすこともあろうよ」
飄々と返す。
「まあ、そうふくれるな。旅の道連れは多い方がよい。滅多にないとはいえ、街道沿いでも魔物が出ることはあるんじゃ。盗賊もな」
言って、まるで保護者のように、あれやこれやと世話を焼き始める。
「森に近いところや、起伏のある丘を越えるときは注意せい。死角から、不意に襲われることがあるからの」
「今みたいな?」
街道は、なだらかな丘陵地帯に差しかかる。黒鉄の言のとおり、起伏のせいで行く先の見通しはわるい。とはいえ、私の場合は、目で見えなくとも、丘を越えた先の様子くらいはわかる。
動物の気配、鼻での呼吸、馬だろうか。かすかに荷台のきしむ音はするが、街道の石畳にはそれほど振動はない。馬車が停まっている。と、認識したところで、新たな疑問がわく──はて、なぜこんなところで馬車が停まっているのだろう。
感度をあげて、先の様子を探る。
「黒鉄!」
ついてきて、と目で合図して、駆け出す。
丘陵を越えて、緩やかに曲がる石畳の先に、私の予想したとおり、馬車が停まっている。見覚えがある。目を凝らすと、御者台に座っているのは、いつかのようにリュカだった。
黒鉄だけでなく、リュカとまで一緒になるとは。黒鉄の言うとおり、同じ街にいたのだから、偶然に出会うということもあるのかもしれない──などと考えている場合ではない。
「リュカさん!」
呼びかけるが、返事はない。いや、返事をすることもできないのだろう。御者台より低い位置の何かに向けて、懸命に剣を振るっている。
馬車に群がる影。小鬼──ゴブリン。馬車を囲んでいるのが四匹。森から出てきたものか、馬車に向けて駆けてくる後続が──六匹だろうか。
「黒鉄は御者を守って!」
瞬時に判断を下す。
「御者の安全を最優先で! 少しくらいなら討ちもらしてもいいから!」
「心得た!」
答えて、黒鉄が駆けていく。短躯とは思えぬほどの疾走で馬車に駆け寄り、群がるゴブリンを斧で打ち払う。強い。安心して任せられる。
後続に向き直って、弓に矢をつがえる。森から馬車に向けて迫りくる新手のゴブリンの群れに狙いをさだめて。
矢を放つ。一呼吸のうちに三射。
そのすべてがゴブリンの頭蓋を撃ち抜いて、三匹は地に転がる。何が起きたのかもわからぬ様子で、地に伏した後も、まるで走り続けているかのようにもがいている。
三匹の絶命を確認して、さらに弓に矢をつがえる。
「すまん! 一匹討ちもらした!」
黒鉄のがなり声よりも先に、こちらに襲いくるゴブリンには気づいていた。
迫るゴブリンを視界の隅におさめながら、しかし後続を仕留めることを優先する。
矢を放つ。再び三射。
放つと同時に、眼前に迫ったゴブリンが、私の胴を薙ぐように手斧を振る。手斧の軌道は低い。宙を舞って斬撃をかわし、先の三射の行方を目で追う。皆中。
着地して、ゴブリンの膝を押すように蹴りつける。斬撃の勢いを、関節を打って殺して、平衡を奪う。次いで、よろめくゴブリンの顎を、靴が汚れるなあ、と渋りながら蹴りあげる。顎が跳ねあがり、ゴブリンの視線が外れる。その隙に背後にまわり、腰から短剣を抜いて、首を薙ぐ。鮮血が散って、ゴブリンはその場に膝をつく。やがて血だまりに伏して、自らの血で溺れるように、ごぼり、と音をたて、間もなく絶命する。
見れば、馬車の方もあらかた片づいているようだった。ちょうど最後の一匹に止めを刺した黒鉄が、私の視線に気づいて手を振る。
「リュカさん、大丈夫!?」
馬車に駆け寄って、御者台のリュカを見やる。
「マリオン!」
リュカは驚いた様子で声をあげて、私の顔を見て安心したようで、剣を取り落とす。
見れば、リュカの脚にはいくつもの切傷ができている。大事に至るほどの傷はないものの、かなり痛むことだろう。
「じっとしててね」
言って、フィーリに合図して、外套に手を入れる。旅具から傷薬を取り出して脚に塗ると、切傷は瞬く間に消える。まるで最初から傷などなかったかのように治癒した脚を、リュカは呆けたようにみつめる。
「おかげで助かったよ」
いまだに切傷が消えたことが信じられないものか、脚をさすりながらリュカが礼を口にする。
「普段は街道に魔物なんて出ないんだけど。ウェルダラムの迷宮から魔物があふれたって噂は本当なのかもしれないな」
用心のために、チェスロー、ウェルダラムにも魔物の出現を知らせた方がよいだろうということになり、リュカが商人の組合を通じて情報を共有することを決める。
「お礼の代わりにもならないかもしれないけど、ぜひ乗っていってよ」
ドワーフさんも、ぜひ、と請われて、当然のことをしたまでだからとか何とか、格好をつける黒鉄が微笑ましい。
「ところで、さっきの傷薬はマリオンのものかい?」
話が一段落したところで、打って変わって、商人の顔で問いかける。いくつか譲ってほしいというリュカの願いを、普段から村ぐるみでお世話になっていることもあって断り切れず、フィーリの許可を得て、三つほどを適当な額で譲る──無償でよいと言ったのだが、それは商人として許されないらしい。
ちなみに、フィーリ曰く、大したものではない、というこの傷薬で、リュカは王室に出入りすることを許されるまでになるのだが、それはまた後日のこと。
荷台の後ろに腰かけて、脚をぶらぶらと遊ばせる。
チェスローで荷を積んだばかりのようで荷台は狭いが、二人が寛ぐ程度の余裕はある。
穏やかな陽ざしのもと、やわらかな──しかし、かすかに冷たい涼風が頬をなでて、私を午睡に誘う。
隣に座った黒鉄は、機嫌でもわるいのか、難しい顔で黙り込んでいる──と、渋々といった様子で、こちらを向いて、重そうに口を開く。
「酒場で、村一番の狩人だ、と言っておったであろう」
何かと思えば、そんなこと。
うちとけてからのやりとりでは、そんな話をしたような気もする。
「何が村一番じゃ。国一番と言っても過言ではないわ」
「ほんと!?」
思わぬところで褒められて、浮かれてしまう。
「弓のことはよくわからんが、瞬く間に三匹も倒しておったではないか。しかも、近づいたゴブリンに相対したときの、あの身のこなしよ。危なっかしいと思っておったのに、儂の出る幕などなかったわ」
とんだ恥さらしじゃ、と言い捨てて、ふてくされたようにそっぽを向く。
「黒鉄ってば、心配でついてきてくれたんだ」
言って、顔をのぞき込むと。
「そんなんじゃないわい」
逃げるように顔をそむける。またのぞき込むと、またそむける。からかうように何度か繰り返すと、黒鉄は荷台から逃げていき、リュカの隣に腰をおろして、わざとらしく世間話を始める。
私は荷台に寝転んで、青天を見あげる。
「やっぱり優しいドワーフだった」
つぶやいて──祖父の顔を思い出しながら、私はゆっくりと目を閉じた。
「ドワーフ」完/次話「迷宮」