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北方より、王都を経て、西に向かう。
王都には、数日ほどとどまり──その間、黒鉄とロレッタは、王都の名だたる酒場をめぐり、昼夜を問わず飲み続けたらしい──方々への顔見せを済ませる。名残を惜しむ二人を急きたてるように王都を出立して、街道を南に──交易都市チェスローから、さらに西進したところで、物語は始まる。
「おう、そうじゃ」
黒鉄は、よいことを思いついた、という顔で、声をあげる。
「近くに、よい酒場があるんじゃが、ぬしら、興味はあるか?」
「街道の真ん中で、何を言ってんの?」
呆けたか、とロレッタは──道中の疲れもあいまってか、黒鉄に無駄に食ってかかる。
「近くに村があっての。その村の酒場の料理が絶品なんじゃ」
「お、それなら興味ある」
ロレッタは瞬く間に前言を撤回する。長髭の舌は確かだからね、と彼女は、まだ見ぬ料理を想像して──それだけで舌鼓を打つ。
「マリオンは、どうじゃ?」
問われて、私は空腹に鳴る腹の音で返す。そんなもの──興味がないわけないではないか。
「黒鉄さん!」
少女は──私よりも少しくらい年上だろうか──黒鉄の姿を認めるや否や、その首もとに飛びつく。
「おお! マリー!」
少女を軽く抱きとめて、大きくなったのう、と黒鉄は微笑みを返す。
「おうおう、長髭のやつ、隅に置けないねえ」
からかうように言って、ロレッタは口笛を吹いて。
「保護者を盗られたみたいで、嫉妬する?」
さらには、私にもいたずらっぽく問うて──さて、どうであろう、と曖昧に濁す。
街道から外れた森の程近く、アジェテの村に、その名もなき酒場はあった。
酒場は、その主人の素朴で、しかし繊細な料理と、近頃とみにあでやかになったと評判の看板娘──マリーとを売りにしており、近隣では知らぬもののおらぬほどに繁盛しているらしい。
農作業を終える頃ともなると、酒場はわずかな空席を残して、客であふれる。見れば、どうやら村のもの以外の客もいるようで──もはや村の酒場という枠には収まらないほどに賑わっており、黒鉄がよい酒場と断言するのも頷ける。
噂に違わぬ料理に舌鼓を打ち、ほろ酔い気分のところ、事は起こった。
「マリーに触れるな!」
店内に声が響いて、客の視線がそちらに集まる。見れば、農作業から戻ったばかりと思しき少年が、マリーをかばうようにして、酔っ払いの客──酔漢に相対して、啖呵を切っている。
「うるせえんだよ。ちょっと触っただけじゃねえかよ」
言って、酔漢は少年を突き飛ばして──少年は軽々と飛んで、空席の椅子を薙ぎ倒す。
「ゴルダ!」
マリーは少年──ゴルダに慌てて駆け寄る。
「どうしたの?」
隣の客に問うと、どうやら酔漢がマリーの尻をなでたようで──いたいけな少女の尻をなでるとは──ゴルダが止めに入った、ということらしい。気概のある少年ではないか。
「マリーに謝れ!」
起きあがったゴルダは、マリーの制止を振り切って、酔漢につかみかかる。
「てめえ!」
舐められた、とでも思ったのであろう、酔漢は激昂して、ゴルダに殴りかからんと拳を振りあげて──割って入った黒鉄に、たやすく拳をつかまれる。
「お引き取り願おうかの」
言って、黒鉄は酔漢の拳を握りしめる。黒鉄の怪力で握られては、たまったものではなかろう。酔漢は情けない叫び声をあげて──そのまま店からつまみ出される。
「こんな店、二度とこねえよ!」
捨て台詞を吐いて、酔漢は一目散に逃げ出す。
「二度とくるなよう」
酔漢の背中に向けて、あらんかぎりの悪態を投げつけるロレッタは、きっと思ったよりも酔っている。
「もう、ゴルダったら、無茶するんだから」
突き飛ばされた際に傷ついたのであろう、ゴルダの額に滲む血を、マリーが優しくぬぐう。
「俺は、マリーを守るためなら、命だって惜しくはないから」
「儂ら以外にも、たいそうな酔っ払いがおるもんだのう」
ゴルダは、真顔で大仰な台詞を言ってのけて──それを酔いからくるものと受け取ったようで、黒鉄は、幼い割に酒豪じゃのう、と感心の声をあげる。
「ゴルダは下戸です……」
マリーは溜息まじりにつぶやく。
「こやつ、素面であのようなことを言っておるのか」
黒鉄は、ふん、と顔をそむけるゴルダに、あきれるように苦笑する。
「ゴルダは、幼馴染なんです」
マリーの言葉に、ふと故郷のロビンのことを思い出す。そういえば、王都まで、という約束を違えて旅を続けることを伝えていなかったな、と思い至り──ま、いいか、と片づける。
「昔から、ああなんです。私をからかって、楽しんでるんですよ」
マリーは、すねるように言って、ゴルダの傷を、えい、と指で弾く。
「そうかなあ」
意外に本気だと思うけど、とロレッタは、じゃれあう二人を肴に酒杯を傾ける。




