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イベルトスの東、険峻な山の奥深くにわけ入って、開けたところで足を止める。
「失せもの探しのロレッタ様の魔法、とくとご覧あれ!」
私と黒鉄──二人だけしかいないというのに、大仰に口上のように述べて。私たちは、やんや、と形だけの喝采を送り、ロレッタは魔法を発動する。
『魔糸よ!』
唱えると、ロレッタの足もとから、無数の糸が周囲に広がっていく。
『隠』
次の言葉で、糸は消える──といっても、本当に消え失せてしまったわけではない。目に映らなくなっただけで、糸はそこにある。そう頭では理解していても、その存在はかぎりなく希薄で、私の鋭敏な感覚であっても、糸を知覚するのは難しい。
ロレッタの話すところによると、魔力で糸を紡ぐ『魔糸』の魔法を基礎として、糸を『隠』す、『鋼』と化す、『斬』る、というような応用までも身につけているのだという。しかも、糸を通して声を伝えることまでできるようで──ロレッタ自身は、荒事は苦手であるとこぼすが、魔法の方は、荒事も含めて多くのことに役立つ有用なものであるように思う。
「いくつかの洞窟──いや、廃坑があるね」
山に張りめぐらせた糸を通して、ロレッタは地形を把握する。一山すべてを見通すほどの広範に及ぶ探知──そして近隣に洞窟があることだけでなく、その洞窟が坑道であることまでを知覚する精密さに、私も黒鉄も、おお、と驚嘆の声をあげる。
「近いところにある坑道は、それほど深くない、かな──と、汚い。坑道の奥には、ゴブリンが営巣してるみたいだね」
ゴブリンの暮らしぶりの汚らしさまでを知覚したようで、ロレッタは顔をしかめる。
「ゴブリンが住み着いとるなら、その坑道ではなかろう」
「そうなの?」
断言する黒鉄に、疑問の声をあげる。
「ぬしら、竜の住むところに、ともに住みたいと思うか?」
ゴブリンであっても同じことよ、と黒鉄は道理を説くように続ける。
次いで、いくらか離れたところにある廃坑にめぐらせた糸に意識を飛ばして──ロレッタは困惑の声をあげる。
「深い」
目を閉じて、隅々までを見通さんと集中を高めているようであるのに、それでもなお最奥までを知覚することはできないようで、ロレッタは眉間に皺を寄せる。
「しかも、生き物の気配もない。動物も、魔物も、何も」
さらには、廃坑は不気味なほどの静寂に包まれているようで──黒鉄は、あやしいのう、と声を弾ませる。
「とりあえず、そこに入ってみるかの」
黒鉄の一声により、ロレッタに先導されて、私たちは件の廃坑を目指す。
フィーリの灯りを頼りに、暗い廃坑を行く。坑道は崩落せぬように木材で支えられているのだが──黒鉄によると坑木と呼ぶらしい──その坑木も長い年月を経て腐朽しており、いつ崩れてもおかしくないような危うさを感じさせる。
しばらく坑道を進むと、鉱石を積んだ数台の荷車が現れる。放棄された荷車は、見れば、どれも線状の路に乗っており──路は坑道の奥深くへと続いている。
「ほう」
と、黒鉄は足を止めて、感嘆の声をあげる。
「線路じゃ。ドワーフの国以外にもあるとはのう」
驚いたのう、と黒鉄は線状の路──線路とやらに触れながら、つぶやく。
「ふむ。線路も荷車の車輪も木製──いや、線路の方は、摩耗しやすい部分のみ鉄で補強してあるか。ふふん、儂らはすべて鋳鉄ぞ」
勝ち誇るように言って。
「フィーリ、どうじゃ?」
何のためのものかわかるか、と黒鉄はフィーリに問いかける。
「掘り出した鉱石を輸送するためのものと思われます」
問われて、フィーリは線路とやらを眺めながら、推論を述べる。
「線状の木材を路となして、荷車を転がすのでしょう。家畜に荷車を引かせれば、鉱石の輸送は格段に楽になるでしょう──とはいえ、私の見識では確かなことは申せません。古代では魔法で輸送することができましたし、そもそも鉱物は錬金術で生成しておりましたから、こういった技術には疎いのです」
「謙遜を。フィーリの答えどおりじゃて」
黒鉄はつまらなさそうに返して──どうやらフィーリにドワーフの技術についての知識をひけらかしたかったようで、いじけるように荷車に体重を預ける。
「長髭って、こういうもの、好きだよねえ」
まったくもって理解できないという顔で、あきれるようにロレッタはつぶやく。
「──よいことを思いついたぞ!」
荷車を押して、引いて──前後に動かして、その動きを確かめていた黒鉄は、出し抜けに声をあげる。
「こいつに乗って先に進むというのは、どうじゃ?」
黒鉄の提案を受けて、皆で鉱石をおろして、空になった荷車に乗り込む。壊れかけの線路、荷車ともに、ロレッタの糸で補強されており、三人乗り込んで荷車を動かしてみても、すぐに壊れてしまうような危うさはない。
「準備はいいかい?」
ロレッタが声をあげて、私と黒鉄は頷いて答える。
「じゃあ、行くよ!」
ロレッタの糸に御されて、荷車は坑道の奥に向けて、緩やかに進み始める。
「ああああ!」
最初に叫び声をあげたのは、ロレッタだった。
当初、緩やかに進んでいた荷車は、下るにつれて速さを増して、今や空駆ける隼のごとく突き進んでおり──右に左に荷車が揺れるたびに、ロレッタの叫び声が響く。
「わあ!」
私は歓喜の声をあげる。疾風のブーツで走る方が速いとはいえ、荷車に乗って進むのは、また違った趣があり、想像していたよりもずっと楽しい。
いくつかの曲がり道を蛇行するように進んだところで──不意に速度があがる。速い方が楽しいとはいえ、安全のためには、もう少し速度を落とした方がよいのではないか、と後方のロレッタに声をかける。
「ロレッタ、少し速いんじゃない?」
私の呼びかけに答えたのは、しかしロレッタではなかった。
「マリオン──非常に言いづらいことなんじゃが」
と、最後尾の黒鉄が声をあげる。
「長耳のやつ、気絶しておるぞ」
「はあ?」
振り向いてみると、ロレッタは白目をむいて、荷車の動きにあわせて、ゆらゆらと揺れている。おいおい。ロレッタの糸で御さなければ、荷車は線路を脱してしまうやもしれぬというのに。
「ロレッタ!」
呼びかけるが、彼女に起きる気配はない。
「マリオン! 前!」
黒鉄の声に、前に向き直ると、途切れた線路が目に入る──どころか、さらに先では、坑道さえも途切れており──どうやら、その先には坑道よりも大きな空間が広がっているようで、崖のようになっているのがわかる。
「ロレッタ!」
呼びかける声も空しく。線路が途切れて、路を脱した荷車は坑道を直に進み──やがて、切り立った崖から飛び出して、宙に舞う。まずい。崖の高さまではわからぬが、この勢いのまま地面に叩きつけられるとなると、無事で済むとは思えない。
「起きろ!」
怒鳴りながら、今度は平手で頬を張る。何度目かの往復で、ロレッタは飛び起きる。
『魔糸よ!』
目を覚ましたロレッタは、瞬時に事情を察したものか、眼前に魔法の糸を編みあげて、あわや墜落という荷車をやわらかく受け止めんと試みる──しかしながら、勢いのついた荷車はそれだけでは止まらず、網の上で跳ねるように回転して、私たちは荷台から放り出される。
私は体勢を整えて、くるりと宙返りして着地する。二人はいかに、と目をやれば、黒鉄は尻から落ちて転がり、仰向けに倒れて──続いて落ちてきたロレッタが、黒鉄の腹の上で跳ねる。無事なようで何より。
二人を助け起こして、頭上を見あげる。
「──空だ」
荷車の落ちた先は、もはや坑道ではなかった。いかなる自然の営みがつくりあげたものか、眼前には見渡すかぎりの地底湖が広がっており、見あげる先には洞穴の裂け目から空がのぞいて──空には竜のごとき影が飛び交っている。




