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夕暮れの頃、夫婦月の浮かぶ空は、落陽に照らされてうろこ雲が色づき、いつかのウェルダラムを彷彿とさせる黄昏に染まっている。私は朱に染まる大地に目をやって──その場に立ち尽くす。
街道は、そこで途切れていた。
いや、街道が途切れている、というのは語弊があるかもしれない。街道は、その先の地表ともども、一切合切が穿たれており、眼前には荒廃した大地が広がっている。古の魔法によって築きあげられたとされる街道が、跡形もなく消え去ってしまうとは、いったいどのような力によるものなのか、見当もつかない。
「あれ、マリオンは知らないの?」
呆然とする私に、ロレッタが問いかける。
そう、私はロレッタと同道していた。
街道を外れて、険しい道を行くことで、ロレッタの追跡をかわしていたものの、しばらくぶりに街道に戻って、ほんの少し酒場で寛いでいただけで、忌々しい魔法の糸の力によって、追いつかれてしまったというわけである。どうやったって追いつかれるというのなら、ロレッタを振り切るためだけに、街道を外れて雪山で遭難するというのも割にあわない。あきらめて、寝所と厠にはついていかないという誓いをたてさせて、同行を許しているというわけである。
「知らないって、何を?」
「戦争と竜の話」
有名だよ、とロレッタは続ける。
「興味深いですね。どういった話なのでしょう」
「フィーリ先生も知らないの?」
尋ねるフィーリに、ロレッタは驚きの声をあげる。
「寡聞にして存じません。私の知る街道は、まだ先まで延びておりました。途切れているということは、私の眠っている間の出来事が原因ということなのでしょうね」
「なるほど。さすがの先生も、眠ってる間のことまでは知らないよね」
ロレッタは納得するように頷いて。
「しかし、フィーリ先生を相手に説明するとなると、緊張するな」
言って、真剣な面持ちで腕を組む。
「親父から聞いた話だから、本当かどうかはわからないけど──」
と、前置きをして、語り始める。
ロレッタによると、リムステッラの北方は、良質な鉄を産出する山々に囲まれた鉱山地帯として栄えていたのだという。リムステッラは、大々的に鉄を生産して武器をつくり、それをもって他国を侵略しようと目論んでいた。しかし、隣接する国々も、手をこまねいていたわけではない。リムステッラの野望を阻止するため──というよりも、鉱山地帯を我がものとせんがために、国々は軍隊を派遣して、この地に集った。何千、いや何万もの軍勢が相対して、一触即発──という、まさにそのときに。
「そのときに──竜が現れたんだって」
竜は、この地を住処としており、戦争によって大地が汚されることを嫌って、各国に戦いを止めるよう諭したのだという。人々は竜の威容におののき、震えあがり──戦は始まりもせぬうちに終わるかのように思えた。
しかし、竜の声を聞かぬ一人の男によって、愚かにも矢が放たれた。いかなる運命のいたずらか、矢は敵の将を射抜き──そこからは転がるように事が動いた。将の仇を討たんと報復の矢が放たれる。国々は竜の仲裁を聞き入れず、争いを始めて──大地に流れた血に激怒した竜は、世界を震わせるような咆哮を轟かせた。
「かくして、各国の軍隊は全滅。ついでに大地も街道も粉々に砕かれて──この有様というわけ」
眼前の荒野に向けて、ロレッタは両手を広げる。
「見てきたかのように語るね」
「だから、親父の受け売りだって」
鉱山地帯は、今もリムステッラの領土ではあるものの、歴代の王も隣国の為政者たちも、竜の逆鱗に触れることをおそれて、積極的に干渉するようなことはなく──結果として、各国の緩衝地帯のようになっているということらしい。
「人間ってのは、たくましいもんでさ。そんな土地であっても、人が集まり、街ができるんだよ」
そんな土地だからなのかも、と苦笑しながらロレッタは続ける。
「街があるんだ。何ていうところなの?」
尋ねる私に、ロレッタは短く答える。
「自由都市──イベルトス」




