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「嬢ちゃん、ごめんね、相席お願いしてもいいかい?」
「どうぞ!」
女主人に問われて返すと、彼女の背後から男が顔を出す。
「すまんの」
言って、目の前に腰をおろしたのは、私よりも背の低いであろう小男だった。
いや、小男というのは語弊があるだろうか。身長は低いものの、胸板は厚く鋼のようで、赤黒い腕は小さな獣なら絞め殺せそうなほどに筋肉が隆起している。髭に覆われた顔からのぞく目は鋭く、老いてなお壮健な様は、どこか祖父を思わせた。
「ドワーフ……」
思わず声に出る。
話に聞いたことはあったものの、人間以外の種族を目にするのは初めてだった。あ、フィーリがいたか。
「ドワーフを見るのは初めてかの?」
初めてが儂でよかったの、と調子のよいことを言いながら、男は慣れた様子で女主人に注文を伝える。
相席といっても、互いに話すでもなく、それぞれに食事を楽しむ。
ドワーフは豪快に鶏をむさぼり食い、エールを水のように飲みほしたところで、私に声をかける。
「その酒、おぬしの手持ちかの?」
私の前に置かれた酒瓶を指しながら尋ねる。先ほどから、ちらり、ちらり、と何度も視線は感じていた。ドワーフが酒好きであるという噂は、どうやら真実であるらしい。
「そうだよ。飲んでみる?」
言って、酒杯を差し出すと、すまんのう、と言いながらも、悪びれた様子など微塵もなく、嬉々として手に取る。
舐めるように一口。次いで、残りをあおるように飲みほす。
「うまい……が、ちと弱いの。物足りぬ」
もらった酒にけちをつける。あまりにも正直な寸評に、思わず吹き出してしまう。
目の前の人物が、よい人か、わるい人か、初対面での判断を外したことはない。
「フィーリ、ドワーフさんに何か出してあげてよ」
「では、こちらを」
外套の中から、新たな酒瓶を取り出す。先ほどのものよりも大きな酒瓶は、透きとおるように澄んだ琥珀色で満たされている。
「これは……」
うなるようにつぶやいて、酒杯に酒を注ぐ。
「うまい……というより、深い……」
酒を口に含んで、舌の上で転がすように味わっている。むさくるしい髭の奥で、そんな繊細な作業ができるとは。
「樽の香りに、ほのかな甘さと……これは何かの香辛料か……?」
真剣な面持ちで香りや味を吟味する様は、とても先ほどまでのドワーフと同一のものとは思えない。
「甘い酒は苦手なんじゃが、これならいける」
言って、空になった酒杯に──どうぞ、とも言っていないのに──新たに酒を注ぐ。
「糖蜜を原料として、様々な香辛料を加えた、香り豊かな蒸留酒です。この酒は、生産者が自身で飲むために残しておいた特に出来のよい酒で、本来は売りに出されないものだそうですよ」
フィーリの説明を聞いているのかいないのか、ドワーフは、うんうん、と頷きながら、何度も酒杯を空にする。あまりにもおいしそうに、恍惚とした表情を見せるものだから──艶っぽいドワーフって見たことある?──次第に好奇心が抑えられなくなってしまう。
「私も! 私も一口!」
「大丈夫かのう」
不安そうに、ドワーフは酒杯を返す。
返ってきた酒杯を手に取り、わずかに残っていた酒を一息で飲みほす。
「うええ」
糖蜜と聞いて飛びついたのが失敗だった。酒精が強い。味わいの深みは感じる。ほのかな甘みも好ましい。しかし、それにしたって酒精が強すぎる。一息に飲みほすものではない。
「お近づきのしるしに全部あげる」
言って、酒瓶と酒杯をドワーフの方に寄せる。
「そうかそうか!」
喜色満面、ドワーフは酒杯に酒を注いで飲みほす。
私たちは、不思議と意気投合して、時が過ぎるのも忘れて談笑を続けた。しまいにはフィーリまで会話に加わってきたのだから、よほど気があったのだろう。
「私はマリオン」
「故あって、名は捨てておる。黒鉄と呼んでくれ」
「旅具のフィーリと申します」
三人で名乗りあって、杯を重ねる。
「では、酒の礼に、儂から助言を」
言って、黒鉄は打って変わって真剣な面持ちで、こちらに椅子を寄せる。
「おぬし、フィーリのこと、口外せん方がよいぞ」
顔を近づけて、さらに声をひそめて、ささやく。
「よからぬ輩に知られれば、盗まれるやもしれん。その価値を理解するものからは、ぬしが襲われることさえあるかもしれん」
あんな酒があると知れれば、ドワーフからも狙われるかもしれんぞ、と脅すように続ける。
「黒鉄は盗まないの?」
「誰がそんなことをするか!」
私の失礼な物言いに、黒鉄は声を荒げて、むっとした顔を見せる。
「でしょ」
黒鉄がフィーリを盗むなど、思ってもいない。
「黒鉄が優しい人だってことくらいわかるよ」
あ、優しいドワーフか。
「だから、フィーリのこと話したの。黒鉄は、誰かに言いふらしたりしないから」
「そんなに簡単に信用するもんじゃないわ」
言って、残っていた酒を瓶ごと飲みほす。
髭からのぞく赤黒い肌が、さらに朱をさしたように赤らんでいるのは、きっと酔いのせいだけではない。やはり優しいドワーフだ。
「あ、でも、酒はもう一本ほしいのう」
撤回しよう。優しい、酒好きのドワーフだ。
「そのような留め方では、いつ落とすかわからんわ」
言いながら、太い指先で、しかし器用に金具の形を整えていく。
「ドワーフって細工も得意なんだね」
「皆がみな、細工ができるわけではない」
儂が特別なのだ、と誇らしげに笑って、フィーリを守るように金具を取り付けていく。
「ほれ」
手渡された旅具は、古くからある石を素朴な金具で飾ったという趣で、元からそういう首飾りであったかのように、私の胸に納まった。
「お見事です」
フィーリもまんざらではなさそうだった。
酒場を出ると、酒で火照った肌を夜風がなでる。
料理はおいしく、初めての酒も飲み、さらには素敵な出会いまであった。上々の夜だ。月明りまでが私を祝福しているように感じる。
「酔っているからですよ」
表情に出ていたものか、心でも読んだかのようにフィーリが笑う。
いじわるな旅具を指先で弾いて、心地よい夜を歩く。
「宿はとっておるのか?」
「まだ」
並んで歩く黒鉄に返す。
「でも、知り合いが宿に声をかけておいてくれるって言ってたから、ちゃんと泊まれるはず」
野宿には慣れているから、宿なしで放り出されたとしても困ることはないのだが、宿で休めるに越したことはない。持つべきものは、顔の広い商人の知り合いである。
「次からは、先に宿をとっておくとよい」
宿つきの酒場で飲めば酔いつぶれても安心じゃぞ、と何ら安心ではないことを助言して、黒鉄は豪快に笑う。
リュカに教えてもらった宿への道すがら、私たちは、まるで旧来の友人のように語らう。初めて出会った、それもドワーフとの、何ということのない会話だというのに、語ることは尽きなかった。
「黒鉄も旅人なんでしょ? どこに向かうの?」
ふと、尋ねてみる。
「儂は北に行くつもりじゃ」
王都の北にある鉱山を目指すのだ、と続ける。
「私も、王都までは北に進むつもり」
王都で何をするというわけでもないけれど、と私も続ける。
「では、進む方向は同じというわけだ。ならば、先の道行で出会うことがあれば、またあの酒を頼むとしようかの」
真剣な面持ちで、フィーリに願い出る。
「在庫は十分にありますが、次は別のものをお楽しみいただきましょう」
「だってさ」
首飾りとなったフィーリを掲げる。
「それは楽しみじゃの」
黒鉄が返して、三人で笑う。
小道を抜けて大通りに出たところで、私は右に、黒鉄は左に。
縁があれば、また──そう言って、三人は別れた。




