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いつのまにやら猛吹雪になっていた。
「だから、やめておこうと申しましたのに」
「うるさいから、ちょっと黙ってて!」
責めるようにつぶやく旅具に返して、雪山を行く。
真祖の外套のおかげで暖かく、疾風のブーツのおかげで豪雪でも歩けるとはいえ、乱れ飛ぶ雪は視界を真っ白に染めるほどで──しつこく追いかけてくるロレッタから逃れるためとはいえ、街道を外れて、山越えで北を目指すというのは、いささか判断を誤ったかもしれない、と溜息をついて後悔する。
道は誤っていない。私の方向感覚によれば、麓の村で教わったとおり、山を越える道を外れずに歩いているはずである──しかしながら、その歩みは遅い。そもそも、疾風のブーツがなければ、歩くことさえできないような豪雪なのである。私の健脚をもってしても遅々として先には進まず、山を越えるには一晩はかかるであろうことを想像して──雪山で一夜を明かすしかあるまい、と覚悟を決める。
失意に沈んで、うつむいていたからであろうか。
「マリオン」
先に気づいたのはフィーリだった。旅具にうながされて顔をあげると、白く染まる視界の奥に、かすかにともる灯りが映る。目を凝らすと、雪の中にぼんやりと館の輪郭が浮かんできて──覚悟は瞬く間に消え去る。
幻ではないことを祈りながら、館の扉に触れる。扉は硬く、雪にも負けぬ重厚な感触を返す。
「フィーリ?」
「幻ではありません」
確認のように問いかける私に、フィーリは、やれやれ、と嘆息をもらしながら答える。
私の願望が生み出した幻ではない、実在の館。見れば、閉じた鎧戸の隙間からは、かすかに灯りがもれていて──館には誰か滞在しているに違いないと確信する。
「すみません! すみません!」
吹雪に負けぬよう叫びながら、扉を叩く。
雪山で遭難しかけて、館をみつけて九死に一生を得るという物語では、往々にして館には魔女が住んでいるものであるのだが──扉を開いて現れたのは、厳めしい騎士だった。
「あやしいやつめ! 名を名乗れ!」
腰の剣に手をかけながら、騎士が誰何する。怒号に込められた武威は手練れのもので、思わず飛び退り、騎士の間合いから離れる。私を見すえる眼光は鋭く、女を相手にしても、騎士に油断する様子はない。
「いや、待て──その顔、見たことがある」
と、不意にその気配が緩む。
「王城で、騎士団長と並んで歩いておられた。その際に、団長より紹介を受けて、挨拶を交わして──」
騎士は、記憶の中の顔と、目の前の私の顔とを重ねたようで──慌てて口調をあらためる。
「──巡察使殿?」
尋ねる騎士の顔には、彼の語るとおり、確かに見覚えがある。
「そうです! 巡察使のマリオンです!」
言って、フィーリから巡察使の指輪──普段は外している──を取り出して証を立てる。
「やはりそうでしたか」
気づけてよかった、と騎士は破顔する。大柄で厳めしい騎士には似つかわしくない、やわらかな笑顔を目にして、かすかな記憶がよみがえる。目の前の彼についても、団長より、期待の騎士である、と紹介を受けたはずである。彼の名は──。
「覚えていらっしゃらないかもしれませんから、もう一度名乗りましょう。私はオルティ。オルティ・トゥードと申します」
そう──オルティ。貴族に仕える護衛騎士のオルティである。
「オルティ──殿、と呼べばいいのかな?」
「同じ騎士同士、かしこまらず、好きにお呼びください」
「では、オルティ、と」
気安すぎるとも思える呼びかけに、しかしオルティは豪放な笑顔で返す。
「オルティは、王城に詰めていたんじゃなかったの?」
私がオルティと挨拶を交わしたのは、王城の廊下である。てっきり、王城に出仕するどこぞの貴族に仕えていて、その護衛のために城に詰めているものと思っていたのだが──それでは雪に閉ざされた山中の館から現れる説明がつかない。
「いえ、あれは王城に立ち寄っただけでして」
と、私の勘違いを正すように、彼は首を振る。
オルティによると、王城には知人に王都を離れることを知らせるために立ち寄っただけであり、この雪山の館にこそ主の護衛として訪れているのだという。
「客人をお招きするような状況ではないのですが、巡察使殿がお困りということであれば、我が主も寛容を示してくれるに違いありません」
オルティの言に、どうやら暖かな寝床にありつけそうである、と安堵の胸をなでおろす。
「さ、どうぞ」
うながされて、玄関で身体に積もった雪を払い落として、館に足を踏み入れる。
オルティに先導されて、廊下を行く。
廊下の調度は、一見素朴なつくりに見えるものの、足を止めて眺めてみると、細部まで丹念に仕上げられており、思わず目を奪われる。
「よい趣味をしておりますね」
と、旅具までもが称賛の声をあげるのだから、正しく芸術を解するもの──成りあがりではない高位の貴族の館であり、おそらく避暑地に建てられた別荘なのであろう、と当たりをつける。しかし、避暑地としてはよい立地であるように思うのだが、雪に閉ざされた頃に訪れるような場所ではない。オルティの主とやらの滞在の理由をいぶかしく思いながら、声をあげる。
「こちら、どなたのお屋敷なんですか?」
どのような用向きで滞在しているのか、という問いは呑み込んで、あたりさわりなく尋ねる。オルティは前を行きながら、首だけで振り向いて答える。
「アムノニア侯爵のお屋敷で、ウルスラお嬢様がご滞在中です」




