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「あたし、借金があんのよ」
それも莫大な、と天を仰ぎながらロレッタが告げる。
ロレッタの言葉に嘘はないようだった。
今まで、どれほどの空腹を我慢していたのであろうか。私の奢りであると確約すると、ロレッタは次から次へと──酒場の主人にあきれられるほどの注文を繰り返して、それらを残らずむさぼり食い、ドワーフかな、というくらいに酒まで流し込む。ハーフエルフの美しく華奢な身体に、とめどなく料理が飲み込まれていく様は、見ていて小気味よい。
ロレッタの話すところによると、彼女はエルフの母親を亡くして以来──といっても、母親は彼女を生んですぐに亡くなったというから、実際には彼女の生のほとんどということになろう──父親とともに旅暮らしをしていたらしい。西方から、リムステッラを経て、東方へ──それはすばらしいですね、と旅具──しかし、十年ほど前から、東方の戦乱が激化して、難民とともにリムステッラへと流れ着き、王都で暮らし始めたのだという。十年前は、まだ難民問題も深刻化しておらず、難民の多くは王都でそれなりの生活を営むことができていた──というのだが。
食事を終えて、腹をさすりながら、ロレッタが口を開く。
「親父って、ほんとに最低でさ」
マリオンの思ってる三倍は最低でさ、と続ける。
「賭場に通い詰めて、借金つくって──そんで逃げちゃったんだよ。あたしは親父の借金を肩代わりさせられて、馬車馬のごとく働かされてるってわけ」
不幸中の幸いと言えばよいのか、リムステッラは奴隷解放によって生まれた国であることもあって、人身売買は固く禁じられており──それ故、ロレッタは売春宿に売られることはなかった。魔法の才を活かして、貴族の魔法使いのもとで雑用をこなして金を稼ぎ、それを返済にあてているらしい。
「結局、親父が残してくれたのは、借金と──よくわからない短剣だけ」
言って、ロレッタは懐から赤い短剣を取り出す。
「捨てようと思っても、なぜか捨てられないんだよね」
心のどこかで親父のことを憎みきれてないのかな、と彼女は感傷に浸る。
「おや?」
短剣に目を留めて、フィーリが声をあげる。
「その短剣、詳しく見せていただいてもよろしいですか?」
フィーリに請われて、ロレッタは短剣を渡す。短剣を吟味して、フィーリが口を開く。
「高度な魔法がかけられていますね。一つは、認識阻害の魔法です。私にも、どういう由来の短剣なのか、判別がつきません」
と、興味深そうに告げる。
「もう一つは、隷属の魔法です。短剣を主、ロレッタを従として、契約が結ばれています」
「どういうこと?」
隷属の魔法とは穏やかではない。それも短剣が主とは。理解が及ばず、フィーリに尋ねる。
「よく言えば、ロレッタはその短剣を失くすことはないだろう、ということです」
「悪く言えば?」
「短剣を捨てられない呪いですね」
ご愁傷様です、と旅具は慇懃に告げて、短剣を返す。
「親父……何てことしやがる……」
短剣を手にして、ロレッタがつぶやく。何度か投げ捨てようと試みて、そのたびに不自然に腕をおろすところをみると、フィーリの見立ては確からしい。
「あたしが思ってるよりも最低だった……」
呆然として、しぼり出すように悪態をつく。確かに、私の想像の五倍は最低な親父である。
「とにかく、借金生活から抜け出すために、魔法使いになりたいんだよ!」
金持ちになりたい、というロレッタの私欲にまみれた願望に、そもそものところを問いただす。
「魔法使いって儲かるの?」
「儲かる! 使える魔法次第だと思うけど、たぶん儲かる!」
ロレッタによると、直接の雇用主である魔法使いは、もとは貴族ではなく、魔法使いとしての能力を認められて、爵位を授かっているのだという。しかも、ロレッタに支払われる給金は、他の仕事のものよりも断然多く──彼女は、魔法使いという職が儲かるからに違いない、と踏んでいるようであった。
「フィーリ先生! お願いします!」
言って、ロレッタはまるで騎士が主にそうするように跪いて希う。
「ちょっと興味があるんですが」
「はい! 何でもお尋ねください!」
「父上は、どんな賭博に手を出していたんですか?」
思ってもいなかったであろう問いを受けて、ロレッタはしばしあっけにとられる。
「えっと、何て言ったかな。賽を二つ振って、出目で勝ち負けを決める──そう、蛇目だ!」
「蛇目!」
よほど驚いたものであろうか、フィーリにしては大きな声をあげる。
「驚きました。飽きもせずに続けているとは、何とまあ」
フィーリによると、蛇目は古代でもたしなまれていた賭博のようで、今に至るまで連綿と続いているということに、あきれるように溜息をつく。
「しかし、父上が蛇目に手を出していたということであれば、話は変わってくるかもしれません。蛇目は、古来より不正の絶えない賭博です。父上の通い詰めたという賭場でも、不正が行われていた可能性は高いように思います。もしかしたら、ロレッタの父上は、いかさま賭博の被害者なのかもしれませんよ」
フィーリに指摘されてみると、思いあたる節もあるようで、ロレッタは納得の色を見せる。
「親父なら、いかさまに引っかかって借金を負っても、不思議はないかもな」
何やってんだよ、と罵る声には、わずかながら同情するような響きも混じっており、父親を心から憎んでいるというわけではないのだろうな、と微笑ましく思う。
「私がロレッタの借金を肩代わりして解決ってこともできるとは思うけど──」
金ならばあるし、執着があるわけでもない。ロレッタのように、自らの過ちでもないのに困窮しているもののためであれば、借金を肩代わりするのもやぶさかではない──と思うのだが。
「──いかさま賭博となると、被害者は他にもいるんでしょ?」
「たぶん」
答えるロレッタに尋ねると、詳しい事情までを把握しているわけではないにしても、借金の返済のために賭場に訪れているのは、彼女だけではないらしい。
「巡察使としては、王都の民の悲痛な声を、聞かぬふりはできませんな」
巡察使としての栄えある初仕事は、いかさま賭博の取り締まりに決まりである。王立図書館の蔵書の貸出については、継続して検討していくこととしたい。
「賭場に乗り込んで、胴元を叩きのめすつもりではないでしょうね?」
と、フィーリが私の決意に水を差す。
「え? そのつもりだけど」
「それではマリオンが悪ものになってしまいますよ」
やれやれ、とフィーリはあきれるように溜息をつく。
「賭場の不正を暴き、違法な借金を取り消して、胴元を捕縛する。それらすべてをこなしてこそ、巡察使というものではありませんか」
思うに、そう熱っぽく語るフィーリの方が、巡察使に情熱を傾けている節がある。
「ロレッタ、あなたに魔法を教えましょう」
「先生! 本当ですか!?」
飛びあがって、首飾りに口づけせんと迫るロレッタを、頭をつかんで押しとどめる。
「ちょっと、フィーリ」
「大丈夫です。いかさま賭博を取り締まるために必要な最低限のことしか教えませんから」
旅具の説得に、渋々引きさがる。
フィーリは、興が乗ったようで、考えついたことをあれやこれやと語って、私たちに自らの手足となって動くように命ずる。
「では、お二人とも、私の言うとおりに演じてもらいましょう」
言って、フィーリが薄笑う。旅具に顔があったなら、さぞ腹黒い顔つきをしているのだろうな、と想像して、ぶるり、と震える。




