5
エンティアの予知による魔神の出現地点は、鉄道の操車場跡だった。市の副都心計画では、この跡地を活用して、交通結節点の強化と都市機能の集積を図ることになっているらしいが──そんな未来の副都心も、今はまだ草に覆われた更地で、人目を避けるには都合がよい。
僕らは、近場の駐車場に車を停めて、操車場跡に忍び込む。もう夜も明けかけているはずだというのに、周囲はずいぶんと暗い。エンティアの予知によれば、あと十分ほどで魔神が現れるとのことで──僕らは、その出現地となるはずの、開けた資材置き場の正面に陣取って──その周囲を包囲するように、特殊部隊が展開している。
「おい、あまり離れるなよ」
言って、前に出ようとする僕を、紅林が制する。
そう──正面に陣取るのは、僕らだけではない。マリオンたちのお目付け役ということであろう、紅林も同行しているのであるが──まさか僕の心配をされるとは思ってもおらず、少なからず驚く。
「意外そうな顔をするな。民間人に犠牲を出すわけにはいかないだろう」
言われてみれば、紅林は公安とはいえ、一応は警察である。職務上、民間人の身を案じるのは、何もおかしなことではない──とはいえ、いつぞや銃を向けられたこともある身からすると、意外に思ってしまうのも、それはそれで仕方のないことであろう、と思う。
「そもそも、マリオンの提案がなければ、民間人を作戦に加えたりはしないんだが──」
紅林は、明らかに僕をお荷物だと思っているようで、苦々しくつぶやく。
「稀人も、もとの世界では、民間人かもしれませんよ」
僕はそれに反発して、思わずそう言い返すのであるが。
「マリオンたちが? あいつらは違う。根っからの戦士だよ」
紅林は、迷わず先陣を切るマリオンと──それに続く、黒鉄、ロレッタさんの背中を見ながら、そう断言する。
「おしゃべりはそこまで──」
マリオンは振り返って、人差し指を唇にあてて。
「──くるよ!」
周囲に注意をうながす。
マリオンの言の──次の瞬間、資材置き場の中心が妖しく輝いて──魔法陣が描かれる。その魔法陣から現れたのは──やはり、肝試しのときに出会った老爺である。
「ほう──待ち伏せとは」
老爺──魔神は、なぜ自らが待ち伏せされたのか、判然としないようで、首を傾げてみせるのであるが──言葉とは裏腹に、その理由にこだわるつもりもないようで──おもむろに指を鳴らして、それだけで無数の悪魔が召喚される。
「──!」
悪魔が召喚されると同時に、エンティアが何やら唱える──と、瞬く間に、エンティアを中心に、操車場跡をすっぽりと覆うような、半球状のドームが形成される。
「結界を張った──これで、戦場は結界内にしぼれるはず」
これも──当初の予定どおりである。魔神に召喚された無数の悪魔──その討ちもらしが、もしも戦線を突破するようなことがあれば、周囲の被害は甚大なものとなる。それを防ぐためには、戦場をこの操車場跡に限定する必要があるというわけである。
悪魔の群れは、そのわずらわしい結界の存在に気づいたようで、結界の主──エンティアに狙いをさだめる。その様を見て、部隊の一人が、ライフルを構えたまま、エンティアを守るように、一歩前に出る。
「できるだけ魔神には近づかないで! 慣れないものは行動を阻害されるよ!」
マリオンは、前に出た彼に向かって叫ぶ。
それは、事前の説明で共有されていたはずの内容である──が、彼は思わず近づいてしまったのであろう──魔神の威圧にあてられて、その場にへたり込んで、動けなくなる。
「対稀人部隊は、距離をたもちながら、低位の悪魔にあたれ!」
紅林が命じて──部隊はライフルを構えて、悪魔に狙いをさだめて──放たれた銃弾は、いっせいに悪魔に襲いかかる。しかし──ライフルの弾丸は、悪魔の表皮を撃ち抜いたものの、その肉の奥深くまでをえぐるには至らず──悪魔の再生能力により、体内から押し出されるようにして、地面に落ちる。
「対物ライフルで心臓を狙え! それ以外では殺しきれんぞ!」
紅林は再び命じる。部隊は、悪魔に代わるがわるライフルを撃ち込む。それらは、致命傷には至らぬとはいえ、繰り返す衝撃は、悪魔の足を止めるには十分で──その隙に、山と積まれた資材の上に陣取った狙撃手が、対物ライフルで悪魔の心臓を撃ち抜く。心臓を貫かれた悪魔は、現世にとどまることができず、霧散して消え去る。
「やるじゃん」
マリオンは、ひゅう、と口笛を吹いて、部隊の戦果をたたえる。
「ここまではな」
紅林は慢心することなく返して──狙撃手に合図を送る。
狙撃手は、その合図でもって、対物ライフルの照準を、悪魔から魔神に移す。次の瞬間──狙撃手は、見事に対物ライフルで魔神の心臓を撃ち抜く。もしかしたら、と僕は期待に満ちた目で戦況を見守るのであるが──当初の予想どおり、奴の胸には傷一つついていない。
「対物ライフルでも──無傷とは」
紅林にも、もしかしたら、という期待はあったのであろう、悔しそうにつぶやく。
しかし──魔神が動かぬ今、戦況は優勢である。悪魔は、狙撃手の銃弾に倒れ、その数を着実に減らしていく。
「──小癪な」
次々と消滅する配下を前に、魔神がつぶやく──と同時に、その周囲に蝋燭のようにか細い炎がいくつも灯って──その炎の下の大地から、見るもおぞましい死者が、無数に這い出してくる。
「しかし──すでに死せるものを、殺せはすまい」
言って、魔神は死者の軍勢を操る。
部隊は、こちらに迫りくる死者の群れに、ライフルを撃ち込む。しかし──銃弾がその身を貫いても、彼らの歩みは止まらない。対物ライフルで四肢が吹き飛ぼうとも、まるでプラナリアか何かのように再生して、再び歩み始めるのである。
「殺せなくても、足止めにはなる! 作戦通りに撃ち続けろ!」
紅林は叫ぶのであるが──それでも、すべての死者の足を止めるには至らない。撃ちもらしの死者が僕らの眼前にまで迫り──マリオンが前に出る。
マリオンは、いつぞやの肝試しのときのように、深く息を吸って──目にも留まらぬ早業で、死者の心臓のあたりに、光る掌打を叩きつける。死者は吹き飛んで倒れて──そのまま二度とは動かない。
「貴様──いつぞやの小娘か」
魔神は、マリオンの存在に気づいたようで、忌々しそうにつぶやく。
「──だったら、どうする?」
返して、マリオン──そして、黒鉄とロレッタさんが前に出て、魔神と相対する。
紅林の作戦である。基本的には、マリオンたちが前に出て、魔神の相手をする。そして、万が一、魔神の矛先がそれて部隊に向いた場合に備えて、絶影と青は周囲に展開する。
しかし──この作戦だけでは、魔神を殺すことはできない。それは、先の会議での、マリオンの言である。先の会議で、彼女は最後にこう言った。
「魔神は、自分を殺せるものがいるとは思ってもいないはず。油断はあると思うけど──あの衝撃波は、なかなか厄介でね。正面から殺すのは難しいと思う。奴の注意を引きつけて──不意打ちで殺す」
魔神は無数の死者を操り、マリオンたちに迫る。襲いくる死者に相対して、最前に立つのは、黒鉄である。警察から借りた警棒を二本──両手に構えて、死者の群れを迎え撃つ。
「ま、軽くて短いのは気に食わんが、ないよりはましじゃろうて」
黒鉄は、軽口を叩いて──猛然と警棒を振るう。
黒鉄は、両の警棒を、器用に振りまわして──暴風のごとく、死者を吹き飛ばしていく。死者は警棒で殴られても──たとえそれが黒鉄の剛力であっても──死ぬことはない。とはいえ、結界の端まで吹き飛ばされれば、再びこちらに襲いくるまでの時間は稼げるというもの。
「討ちもらしは頼む!」
言って、黒鉄はさらに死者の群れに踏み込んでいく。
マリオンは、心得たとばかりに、黒鉄の暴風をすり抜けた死者に、光る掌打を叩き込む。一方で、ロレッタさんは、暴風に巻き込まれて吹き飛んだ死者に、おそるおそるというように近づいて、赤い剣で心臓を刺してまわる。不思議なことに、ロレッタさんに刺された死者は、二度とよみがえることはなく──マリオンとロレッタさんは、死者を殺せる存在なのであろう、と思う。
魔神は、死者では埒があかないと見て取ったものか、マリオンたちに不可視の衝撃波を放つ。マリオンは、ロレッタさんに飛びついて──彼女をかばいながら衝撃波をかわすのであるが──黒鉄は、それを正面からもろに受ける。黒鉄は吹き飛──ばない。黒鉄は、大地を踏みしめて、倒れることを拒絶している。衝撃波は、黒鉄の内側を破壊しているのであろう、彼は吐血しているというのに、それでもなお倒れることなく、魔神をにらみつけてみせる。
しかし──魔神の衝撃波に対して、打つ手がないというもの事実──マリオンたちは、翻弄されるように、戦場を逃げまどい──みるみるうちに防戦一方となる。戦場は衝撃波にかき乱されて──気づけば、いつのまにやら、魔神が僕の目の前に立っている。
「──」
魔神は、死ね、とも言わず──まるで虫でも殺すかのように、無言で僕に衝撃波を放つ。
肝試しのときの僕であれば、動くことさえできなかったであろう、と思う。しかし──僕の憧れた人が、僕のことを勇者だと認めてくれているのである。僕の身体は、魔神を前にしても──きっと動く。
僕は、手にしたマリオンのポンチョを、魔神に向けて掲げる。それだけで──衝撃波は、ポンチョに弾かれて、霧散する。
「──人間が!?」
ただの人間に、自慢の衝撃波をふせがれて、魔神の矜持に傷がついたのであろう、奴は驚愕の声をあげる。
これこそが、マリオンの作戦──魔神に隙をつくるのは、奴が侮る人間にしかできないこと──しかも、その人間が民間人であれば、なおのこと隙は大きくなるはずで──彼女は、その隙をこそ、待っていたのである。
無言で──ロレッタさんが、魔神の背後から襲いかかり、対物ライフルさえ弾く魔神の身体を──その心臓を、赤き剣で刺し貫く。そして──貫いた心臓を、さらにえぐるように、剣の柄をひねる。
魔神は、自らの胸から生えた剣の切っ先を、信じられないものでも見るような目で見下ろす。
「まさか──この世界に、我を傷つけるうるものがあろうとは」
魔神は驚愕しながらつぶやいて──貫かれた心臓から、次第に霧のように散り始める。
勝った──誰もがそう確信して、皆が歓喜の声をあげかけた──そのときである。
「しかし──もう遅い」
魔神は邪悪に笑って。
「──大、召、喚」
最後の力を振りしぼるようにつぶやく。
魔神の言に応えるように、目の前の魔法陣から、光の柱が立ちあがる。光の柱は、結界をも貫いて、空にまで届いて──見あげれば、この場からだけではない、いくつもの柱が立ちあがっている。僕は、それが青葉花園や無人島からであろうことに気づいて──魔神は、各地に出没しては、この大魔法陣とも呼ぶべきものを描いていたのだと、ようやく悟る。
六つの光の柱が立ちあがり、それぞれを結ぶように、さらなる光が走る。やがて、その光の柱は、空を──世界を割る。そして、ひび割れた世界の隙間から、禍々しいほどに赤き星が現れる。
「我が主よ──」
魔神は、天空に妖しく輝く赤き星を見あげて、うっとりとつぶやいて──やがて、霧と化して散っていく。魔神が霧散すると同時に、魔法陣も消え去り──遠い空から、赤き星が墜ちてくる。
「あの赤き星こそが、魔神の主の、現世での御姿ってこと?」
魔神の言を、そばで聞いていたマリオンが、誰にともなく、そうつぶやく。




