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次の日──僕はいてもたってもいられず、再び元ヤクザの事務所を訪れる。昨夜は仕方なかったとしても、一晩経てば何か変わっているかもしれないという、藁にもすがるような思いからである。
しかし──そこは、すでにもぬけの殻で、マリオンたちの姿はどこにも見当たらない。ということは──昨夜の宣言のとおり、彼女たちは打って出たのであろう。おそらくは、公安警察──紅林のところに。
僕は、万が一の可能性に賭けて、紅林と出会ったゲームセンターに向かう。平日の午前中、しかも制服姿である。ゲームセンターを探すのは、警察に補導される危険をともなう行為であるが、背に腹は代えられない。僕はゲームセンターをくまなく探し、続いてボーリング場まで──さらにはトイレの個室まで探すのであるが、紅林の姿はどこにもなく──もちろん、マリオンたちの姿も見当たらない。
僕は、ひとまず紅林を探すのをあきらめて──素直に登校する。すでに昼である。食堂に寄って、うどんでも食べてから、午後の授業中に、これからのことを考えよう、と思う。
食堂で、景気よく肉うどんを注文して──トールの姿をみつけて、向かいの椅子に腰をおろす。何はともあれ、腹ごしらえである。
「あれ、休みじゃなかったのか──って、何だその顔は?」
「──どんな顔してる?」
トールに問われて──僕は、そんなにおかしな顔をしているのであろうか、と問い返す。
「初恋の相手に振られた男みたいな顔」
「トールは──意外に見る目がある」
そのものずばりを言い当てられたわけではないのであるが、それでも意外に的を射ているように思えて──僕は、わざとらしい拍手でもって、賛辞を贈る。
「マリオンちゃんと──何かあったのか?」
トールに問われて、僕は逡巡する。
マリオンが異世界人であるということは、僕からすれば信ずるに足る事実であっても、はたからすれば与太話である。とはいえ、トールはマリオンの力の一端を見ている。僕は、わずかな可能性に賭けて。
「信じなくてもいいけど──」
と、前置きをして、これまでのことを語る。
「それは──つらかったな」
トールは、誰よりも食い意地が張っているにもかかわらず、食事の手を止めて──僕の話に耳を傾け、何と同情まで寄せる。
「信じてくれるの?」
「え? 嘘なの?」
驚く僕に、トールは、きょとん、と返す。
「いや、嘘じゃないけど──」
「じゃあ、信じるよ」
トールは簡単に言って、マリオンちゃんは異世界人かあ、と遠い目で続ける。まったく、トールという男は──本当に得難い友であるなあ、と思う。
「俺にできることがあれば、何でも言ってくれ」
そう告げるトールに、僕は頷いて返す──とはいえ、事ここに至り、トールにできることなど、もはや何もないのも事実である。その気持ちだけ、ありがたく受け取っておく。
深夜──僕はそっと家を抜け出す。
午後の授業中、ずっと考えてはいたものの、紅林の居場所は思いつかず──ひとまず、御笠川で破損した車の行方を追えば、何かわかるかもしれぬ、と近隣の人への聞き込みを決意する。
僕は、アパートの階段を下りて、自転車置き場に向かう。深夜では、さすがに公共交通機関も動いてはいない。僕の足となるのは、自転車くらいのものである。都市部まで、どれくらいかかるやらわからぬが──徒歩よりはいくらかましであろう、と自転車の鍵を外そうとした──そのときである。
バイクのヘッドライトが、不意に僕を照らして。
「そこの兄ちゃん、お困りかい?」
まぶしくて目を細める僕の耳に、聞き覚えのある声が届く。
「行って、助けたいんだろ、マリオンちゃんのことを」
ヘルメットを脱いで、そう告げるのは誰あろう──トールである。
「トール!?」
僕は、なぜにトールが、こんな時間に、こんなところにいるのやら、まったくわけがわからず、驚愕の声をあげる。
「どうしたの、そのバイク!?」
「兄貴のを、ちょっと借りてきた」
僕の問いに、トールは誇らしげに、燃料タンクのあたりを、ぽんと叩いてみせる。
トールの兄貴といえば──僕の記憶に間違いがなければ──地元ではいくらか有名な走り屋である。弟にだって──いや、トールのような弟だからこそ、バイクを貸すなどということは、絶対にありえないはずである。トールは、それを知っていながら、後で兄に殴られるのを覚悟の上で、勝手に乗ってきたのである──僕のために。
「助けたいんだろ?」
トールはそう繰り返して──僕は力強く頷く。
「行っても──何の役にも立たないってわかってるけど──でも、僕はマリオンのもとに駆けつけたい」
「男ってのは、そういうもんよ」
僕の決意に、トールはわかったようなことを言う。
「ひとまず、トールのバイクで御笠川に──」
僕はとりあえずの思いつきを提案するのであるが──トールは、これ見よがしに人差し指を揺らして、ちっちっちっと舌を鳴らす。
「俺はな、タケル──相当な馬鹿ではあるが、頭のいい友だちは多いんだぜ」
トールの、その自慢なのか何なのかわからぬ言葉の後に、バイクの後部座席から降りてきて、ヘルメットを脱いだのは──。
「──緒方!?」
僕の級友──隣の席の緒方慎司である。
「話はすべて聞かせてもらった」
「──話したの?」
僕の問いに、トールは笑顔で頷いて。
「──信じたの?」
僕の問いに──しかし緒方は首を振る。
「別に信じる必要はない。仮定として、推論する」
言って、緒方はその推論とやらを語り出す。
「その公安は、どこでマリオンのことを知ったんだと思う?」
緒方の問いに、僕は思案する。マリオンたちが明らかに不可思議な力を用いたのは、二回。
「──肝試しか、海水浴?」
「それだけ聞くと、夏を満喫してんなあ」
トールが茶々を入れるのであるが、緒方は当然のように無視する。
「そのどちらかだとして──公安は、タケルのことも知ってたんだぞ」
「となると──肝試しか」
緒方に誘導されて、僕はようやく気づく。
海水浴では、マリオンたちの力を目撃されてしまったわけではあるが──それでも、僕の素性が割れるようなことはなかった。しかし、肝試しでは、通報を受けて駆けつけた警察に捕まった不良たちがいる。その中には、マリオンに助けられたものもいたであろうから、彼女の不可思議な力や、僕らの風体なども、警察に伝わっていることであろう。その事実と、近隣の高校で停学になっている生徒とを照らしあわせれば、自ずと関係者をしぼることはできたはずである。
「肝試しのときに通報を受けたのは東警察署。その公安とやらがどこの所属になるのかはわからないけど、マリオンの情報を得るためには、東警察署に出入りしたと思う」
言いながら、緒方はデジタルカメラを取り出す。
「写真部の備品を拝借して、放課後に東警察署に張り込んできた」
緒方は、デジタルはあまり好きではない、とぶつぶつ言いながらも、巧みにカメラを操作して、撮った写真のデータを呼び出す。
「この中に──公安を名乗った男はいるか?」
言って、緒方はデジタルカメラを、僕に手渡す。僕は、写真のデータを一枚ずつ表示させながら確認して。
「──こいつだ」
紅林──写真の中から、見紛うはずもない男をみつけて指差す。
「じゃあ、間違いないな。公安は東警察署に出入りしている。そして、マリオンたちが、不思議な力で公安の居場所を特定しているのなら、きっとそこに現れる──だろうと推論できる」
緒方は、そう結論づけて──僕にヘルメットを放る。
「緒方! ありがとう!」
僕は受け取ったヘルメットをかぶって──トールのバイクの後ろに飛び乗る。
「礼は金銭で頼む」
そう言って、僕らを見送る緒方を残して、バイクは走り出す。
トールは、深夜の騒音を気にしてのことであろう、アパートの敷地を出るまでは低速で走り──国道に出るなり急加速して、東警察署を目指して走り出す。危なげのない運転である──が、僕はあることに気づいて、トールの背中に問いかける。
「ところで──トール、免許は?」
はたして、大型バイクの免許は、十六歳で取得できたであろうか。
「兄貴に駐車場で練習させられたことはある」
トールの答えに、僕は絶句する。トールは、何と無免許でバイクを運転して、あろうことか警察署まで僕を送り届けようというのである。
「ちょ──ちょっと、待って! 降ろして!」
「遠慮すんなって」
僕の抗議もどこ吹く風、トールは鷹揚に答えて──さらにバイクを加速する。
僕の心配とは裏腹に、バイクは何事もなく、東警察署に近づく。トールは、東警察署の手前のファミリーレストランの駐車場に、バイクを停める。さすがのトールも、無免許で警察署の敷地内に入るほど、馬鹿ではなかったようである。僕らはバイクを降りて、徒歩で警察署に向かう。
「おい! タケル!」
トールの声に、その視線の先に目を凝らせば──今まさに東警察署の敷地に入らんとする、見覚えのある三人の姿がある。
「マリオン!」
僕はその三人の先頭に立つ少女の名を呼ぶ。
「タケル!?」
マリオンは振り向いて、驚きの声をあげて──彼女の驚いた顔なんて、初めて見たのではあるまいか、と思う。




