6
逃げ延びた駐車場から──しかしマリオンは動かない。
「マリオン! 急がないと! 追手がくるよ!」
「ちょっと待って」
僕は必死にマリオンを急かすのであるが、彼女はどこ吹く風──背負っていたリュックをおろして、中身をあさり始める。
その間に、駐車場のあちらこちらで、エンジン音が鳴り始めて──紅林の呼んだ応援とやらに違いない、と思う。
「マリオン! 車で追いかけてくるよ! どうするの!?」
「ふふん」
僕は、車に追われるのであれば、それこそすぐにでも逃げなければ、とマリオンを再び急かすのであるが──彼女はそれを鼻で笑う。
「こっちには、秘密兵器があるんだぜ!」
不敵に笑って、マリオンはリュックから何やら取り出す。それは筒状の袋で、大き目の折り畳み傘でも入れているものかと思っていたのであるが、彼女が取り出したのは何と──何の変哲もないキックボードである。
「嘘でしょおおおおお!」
僕は叫び声をあげる。
なぜならば──キックボードは、追手の車が追いつけないほどの速度で、国道を走っているのである。もちろんメーターなどあるはずもないから、正確な速度はわからないのであるが、周囲の車をすいすいと抜いていく様からするに、時速八十キロ程度は出ているものと思われる。
「口、閉じる! 舌噛んでも知らないよ!」
言って、マリオンは地面を蹴る。それだけで、キックボードは車に勝るほどの加速を得ているのであるからして──なるほど、やはり公安警察の言うとおり、彼女は稀人なのであろう、と思う。
僕は舌を噛まぬよう、歯を食いしばり──マリオンに抱きついたまま、後方を見やる。
「後ろ! ついてきてる!」
「わかってる!」
言って、マリオンは律儀に信号を守りながら、大通りを右に折れる。
「マリオン! そっちは──!」
地元に住んでいる僕にはわかる。その道は、突きあたりで御笠川にぶつかる──袋小路である。
「──行き止まりだよ!」
「見た目はね」
マリオンは軽く返して、キックボードをさらに加速させる。
「見た目も何も──」
泣き叫ぶ僕をよそに、マリオンはキックボードの前輪を持ちあげて、ガードレールに飛び乗る。そのまま器用にバランスをとって、ガードレールを走り、その勢いのまま、御笠川に飛び出す。
「そんなんで飛び越えられるわけが──」
「風よ!」
マリオンの呼び声に応えるように突風が吹いて──僕らを乗せたキックボードは、天高く舞う。僕らは御笠川を越えて放物線を描き、このまま月まで届いてしまうのではないかとさえ思えたところで──マリオンが、おもむろに振り向いて、僕の頬に顔を寄せる。
「耳──」
「え」
マリオンの顔が近づいて、僕の耳もとで、ささやくように告げる。
「──うるさかったらごめんね」
言い終えると同時に、銃声が轟いて──僕の耳は何も聞こえなくなる。
放たれた弾丸は、あやまたず追手のタイヤを撃ち抜いたのであろう、コントロールを失った車がどこかにぶつかって停止したであろうことは、かすかに響く轟音でわかる。マリオンは、その結果に満足するように笑って──その吐息が耳もとに触れてこそばゆい。
キックボードは、御笠川を越えて、向こう岸に着地する。着地の衝撃で、さすがにキックボード自体は壊れて、もう走れないほどに歪んでしまうのであるが──僕自身は、先と同じくマリオンに抱っこされて、衝撃はゼロである。
「ほら! 逃げるよ!」
マリオンは、僕の手を引いて、軽やかに駆け出す。
やがて──僕らは、マリオンたちが根城とする元ヤクザの事務所のあたりまで逃げ延びる。ここまでくればもう大丈夫であろう、とマリオンが僕の手を離して──手のひらに残っていたぬくもりが消える。僕はそれを取り戻したくて、思わず口を開く。
「マリオン、本当に──」
ごめん、そう口にしようとしたところで──マリオンは人差し指を僕の唇にあてる。
「私の友だちが、いつか言ってたんだけど──」
マリオンは、どこか恥ずかしそうに、そっぽを向いて続ける。
「勇者って、どれだけ怖くても、勇気を振りしぼって、誰かを助けることのできる人のことなんだって」
彼女は、私もそう思う、と続けながら、僕に向き直る。
「だから、勇気の半分は──きっと臆病でできている」
言って、マリオンは僕の唇から指を離して──次いで、胸を、どん、と叩く。
「だったら──あなたも勇者でしょ」
そう告げるマリオンの顔は、恥ずかしさのあまりであろうか、真っ赤に染まっている。
「かばってくれて、うれしかった」
しかし、続くその言葉は、いつものマリオンのもので──僕は彼女に認められたことがうれしくて、力強く頷いて返す。
「勇気の半分は」完/終話「少年は荒野をめざす」




