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「どこに行ってたんだよう!」
トイレから戻ると、胸にジュースを抱いたマリオンが待っている。
「ごめん──ちょっとトイレに」
返しながらも、僕の頭の中では、先の男の言葉が渦を巻いている。
マリオンが話すときの、その唇の動きを見ろ。
「はい、コーラ」
ひょい、と投げられたコーラの缶を──僕は、するり、と取り落とす。
「わあ!」
マリオンは慌てて、転がった缶を拾いあげて──中身の炭酸を鎮めるためであろうか、ことさらに丁寧に慎重に、今度はゆっくりと僕に手渡す。
「あ、ありがとう」
今までであれば、かわいいなあ、と思ったであろうその仕草も、今の僕には目に入らない。マリオンの言葉──僕には「コーラ」と聞こえていたというのに、彼女の口は「コーラ」とは動いていなかったのである。彼女は、何か別の言語を話していて、それが僕には日本語に聞こえている──そんな突拍子もない考えがしっくりきてしまうほどの不可思議な現象に、僕は混乱してしまう。
「次はどこに行くの?」
マリオンに問われて──僕はとまどう。
確かに──男の言うとおり、マリオンには不審なところがある。しかし──それがどうしたというのだ。僕はマリオンに何度も助けられていて、彼女のことを信頼しているのである。
そうである──そうであるはずなのに、僕はどうしてもマリオンの正体が知りたくなってしまっていて。
「ちょっと──中庭で休憩しようか」
そう提案してしまう。
僕らは、ボーリング場とゲームセンターの、ちょうど真ん中にある中庭に出る。吹き抜けの中庭には、いくつかのテラス席が設けられているのであるが、夏場は暑いからであろう、先客はいない。
僕らはテラス席に腰かけて、コーラの蓋を開ける。僕の方のコーラは、先ほど取り落としたせいで、炭酸が噴き出るというアクシデントもあったのであるが──僕の喉からは、乾いた笑いしか出てこない。
「ちょっと暑いけど、暑いからこそ、コーラがおいしいんだよね」
言って、マリオンは僕に笑顔を向ける。僕は、その笑顔をまともに見ることができず、目をそらした──その先に、男が立っている。いつのまにそこに立っていたやら、僕にはまったくわからなかったのであるが──マリオンはとうにその存在に気づいていたようで。
「少々、時間をもらってもいいかな?」
「どうぞ」
男の問いに、鷹揚に答えてみせる。
男は中庭の入口をふさぐように立って、そこからマリオンに話しかける。僕のことなど、もはや眼中にはない。
「私は、公安外事四課の紅林という」
男──紅林は、警察手帳を見せながら、そう名乗る。
「外事四課というのは、ちょっと特殊な部署でね。君のような存在を担当していると言えば、少しは理解してもらえるかな」
紅林は警察手帳を懐に戻して──マリオンをにらみつけながら続ける。
「──異なる世界からの来訪者」
僕は、紅林のその指摘を笑い飛ばしてほしくて、マリオンを見やる。しかし──彼女は否定することなく、真っ向から紅林をにらみ返して、彼に続きをうながす。
「我々は、君のような存在を『稀人』と呼んでいる」
言いながら、紅林は懐から鈍色の塊を取り出す。それが、まごうことなく銃であることに気づいて──僕はうろたえる。
「中庭に連れてくるだけの約束だろ!」
それは、マリオンを売ったと自白するに等しい発言なのであるが──それでも僕は叫んでしまう。
「危害を加えないとは言っていない」
紅林は、悪びれることなく、そう返す。確かに、奴は何の約束もしてはいない。
「とはいえ、それもその稀人次第だ。大人しく同行すれば、危害を加えるつもりはない」
マリオンは、紅林に銃口を向けられているというのに、まったく動じることもなく──コーラの缶をテーブルに置いて、おもむろに立ちあがる。
「私は──友だちを探してるの」
それは──いつぞや僕に語ったのと同じ言葉である。
「それが最優先だから、同行はできない」
「──そうか」
マリオンはそう宣言して──紅林は、無表情のまま、銃の引き金に指をかける。
「ねえ──してやったり、と思ってるでしょ」
不意に、今度はマリオンの方から、紅林に語りかけて──彼は引き金にかけた指を止める。
「善良なタケルの疑心につけ込んで、私を売るような真似をさせて、ご満悦なんでしょ」
マリオンは、僕の裏切りを、まるで織り込み済であったかのように、さらりと語る。
「でもね、私も──私たちも、あなたのような人を探していたの」
マリオンは、平然と銃口の前に身をさらして。
「誘い込まれたのは──どっちかなあ?」
言って、ぺろり、と舌を出して見せる。




