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「助かっ──た?」
塵と化した悪魔を目にして、うずくまっていた女性が顔をあげる。
「もう大丈夫だよ」
マリオンは女性を助け起こして、五人に林を出るようにうながして──浜辺に出たところで、もともと彼らのものであろうレジャーシートに、皆を座らせる。
五人は、それぞれにすり傷や切り傷を負っており──特に火傷を負った男性はひどい。ロレッタさんは、いったいどこから出したものやら、清潔な糸や布で、各々の治療を始めて──彼らは、ぽつり、ぽつり、と事情を語り出す。
「この無人島には、たまに遊びにきてるんだ」
彼らは地元の遊び仲間で──長髪の男性がボートを持っていることもあって、この無人島に目をつけて、たまに訪れては羽目を外すことがあるのだという。
「それで、今回もバーベキューでもしようって上陸したら、先客に変な爺さんがいて──」
「──爺さん?」
火傷を負った男性の言葉に、ロレッタさんが問い返して──その際に、思わず包帯をきつく締めてしまったのであろう、男性は痛そうに顔をしかめる。
「爺さんだよ──でも、ただの爺さんじゃなかった。俺たち、爺さんが現れてから、一歩も動けなくなって──」
その現象には、覚えがある──僕は、肝試しのときに出会った老爺を思い起こす。あのとき、僕は動くどころか、呼吸すらあやしくなるほどに、老爺の存在感に圧倒されていたのである。あんな老爺が、二人もいてたまるものか──僕は、彼らの出会った爺さんとやらが、僕の知る老爺と同一の存在であることを確信する。
「俺たちが邪魔だとか何とか言って、あの化物をけしかけてきてよ──逃げようとしたんだけど、見えない壁みたいなのに遮られて──頼む! 信じてくれよ!」
火傷を負った男性は、経緯を語りながらも、自分でも突拍子もないことを話しているという自覚があるのであろう──懇願するように、ロレッタさんを見あげて。
「大丈夫──信じるよ」
ロレッタさんは、彼を落ち着かせるように、やわらかく返す。
「例の魔神かの?」
「──だろうね」
ぼそりと尋ねる黒鉄に、マリオンは頷いて答える。
「──船だ」
と、長髪の男が声をあげる。見れば、おそらく海上保安庁のものであろう、巡視船が近づいてくる。
「船だ! 助けだ!」
「林が燃えてるのに気づいてくれたんだよ!」
五人は、傷も痛むであろうに、次々と立ちあがって。
「おーい!」
と、船に向かって手を振りながら、浜辺を駆けていく。巡視船の方も、五人の存在に気づいたようで、進路を変更して、浜辺に近づいてくる。
「ああ、悪魔の張った結界を斬っちゃったから──」
マリオンは、あちゃあ、とつぶやいて。
なるほど──プライベートビーチから無人島の煙が見えなかったのは、その結界とやらがあったからなのであろう、と思う。それをロレッタさんが斬って、破壊してしまったことで、外部からも煙が見えるようになって、無人島の林が火事であると通報が入り、巡視船が出張ってきたというところであろう。
「──どうする?」
「面倒なことにならないように──逃げよう!」
黒鉄の問いに、マリオンは答えるや否や五人に背を向けて──マリオンたちは、逆に林の中に駆け込んで──僕は遅れじとそれについていく。
「逃げようって──ボートがあるのは波辺でしょ? 何で林の方に──」
「いいから、タケルも早く!」
僕は疑問の声をあげるのであるが、マリオンはそれには答えずに、急かすばかり。
僕らは焼野原を突っ切って──さらに林の奥へと駆ける。とはいえ、小さな島である。すぐに林は途切れて、目の前には海に面した崖が広がる。
「飛ぶよ!」
マリオンは簡単なことのように言って──思わず立ち止まる僕をよそに、黒鉄とロレッタさんは、駆ける勢いのまま崖から飛んでいる。
「嘘でしょ!?」
「大丈夫なんだって!」
怖気づく僕の手を取って、マリオンは僕を道連れに崖から飛び降りる。
「──!」
僕は声にならない声をあげて、崖から海に落ちる。
高さは、どれくらいであろう。三十メートルもあると、たとえ下が水であっても、コンクリートに叩きつけられるのと同じ衝撃があると聞いたことがある。
死んだ──そう確信して、やがてきたる衝撃に備えていると──ふわり、と──まるで、身体が羽毛と化したかのように、僕は海の上に着地する。
「みつかる前に、急いで!」
言って、マリオンは、あたりまえのように海面を駆けていく。見れば、先に飛んだ黒鉄とロレッタさんも、我先に、と海面を駆けているではないか。
なるほど──先に漁港からの目を気にしていたのは、この海上歩行という手段のことであったのか、と納得する。確かに──これは目立つ。もしも、漁港から見られたならば、間違いなく怪現象として認定されるであろう──とはいえ、今は見られていないことを祈るばかりである。
僕らは海面を駆けて──砂浜に戻るや、荷物をかき集めて、砂丘を駆けあがる。防風林を抜けて、急いで空地まで戻り、水着のまま車に飛び乗って、急発進する。グラウンドの野球少年たちが、何事ぞ、といっせいにこちら見るのであるが、今はそんな視線も気にしてはいられない。
「危ないところだった──」
車が空地を出て、公園道路を走り出したところで──マリオンは、ふう、と息をつく。
「前から思ってたんだけど、そんなに警察が嫌いなの?」
僕は素朴な疑問を口にする。
肝試しのときも、今回も、警察と見るや──この場合、海上保安庁も警察と言って差し支えなかろう──マリオンたちは脱兎のごとく逃げ出しているのである。もちろん、不法侵入等、法を犯しているのは間違いないことであるから、後ろ暗く思うこと自体は不思議ではないのであるが──それでも、基本的には人助けをしているのであるからして、こんなお尋ね者のような逃げ方をしなくてもよいような気もする。
「警察に捕まれば、面倒なことになろうからのう」
黒鉄は、車窓を眺めながら、ぽつりとつぶやいて。
「警察に捕まっても、超能力のこと、説明できないでしょ」
ロレッタさんは、黒鉄の言葉を補うように、そう続ける。
確かに──皆の力は、他人に話せば、鼻で笑われる類のものばかりである。しかし、実際にその力は存在するのであるからして、目の前で見せさえすれば、いかに警察が疑おうとも、信じざるをえなくなるのではないか──そう考えたところで、いや、と首を振る。たとえ警察官個人がその力を信じたとしても、警察という機関がその力ありきの供述を採用した調書をつくるとは、やはり思えない。結局のところ、マリオンたちの、逃げるにしくはなしという判断は、正しいのであろう、と思う。
「でも──」
と、マリオンが助手席から振り返りながら続ける。
「私たちみたいな存在を、狙って捕まえにくるような警察なら、興味はあるんだけどね」
後日──近隣の漁港で、海上を歩く人影を見たという噂が広まったという。それは、かつて海で溺れたものが、今でも陸を求めてさまよっている姿なのである──と、まことしやかにささやかれているというのであるが。
「お前らのことじゃねえの?」
あきれ顔で尋ねるトールに、僕は知らぬ存ぜぬで通すのであった。
「海に出るつもりじゃなかった」完/次話「勇気の半分は」




