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「幽霊──じゃないみたいだね」
マリオンは、お化け屋敷の壁に空いた穴から外に出て、倒れた首なし幽霊を検分して、そうつぶやく。
「幽霊を見たことがないから何とも言えねえけど──実体はある、よな?」
トールに言われて、僕も首なし幽霊に手を伸ばす。確かに、手が透り抜けるようなことはなく、実体として触れられる存在であることに間違いはない。
「幽霊だったら、たぶん今ので消滅してる。実体が残るってことは、別物だと思う」
マリオンは、誰に言うでもなく、そうつぶやく。
僕らには、彼女の言葉の真偽はわからないのであるが、それでも異を唱えるものは誰もいない。今やマリオンは幽霊もどきを撃退した霊能力者なのである。
「死者の軍勢に似てる──気がする」
マリオンは、やはり僕らにはわからぬことをつぶやいて──幽霊もどきの検分を終える。
「ねえ! もう帰ろうよう!」
叫んで、藤原優子は泣きそうな顔で、マリオンの腕を引く。ちょっと怖いくらいの肝試しに出かけたつもりが、本物が現れてしまったのである。彼女が半狂乱になるのも無理はない。僕だって、マリオンの前で格好をつけるという大義名分がなければ、平静でいられたかどうか。
「そうだね。帰った方がいいと思う」
マリオンに言われて──マリオンが言うなら、と僕らは納得して、廃墟の侵入口に戻ることにする。
道中、何度か不良の類とすれ違って──マリオンは怪訝な顔をする。
「ねえ、トールくん──ここに幽霊が出るって噂、そんなに広まってるの?」
「ああ、結構広まってると思うよ。よその高校のやつらも、だいたい知ってたし」
トールはそう返しながら、そうだよなあ、と藤原優子に同意を求める。
「うん、女子の間でも、結構広まってると思うよ」
藤原優子は、それがどうしたの、と首を傾げるのであるが──マリオンは眉根に皺を寄せている。
「まずい、それなら──もしかすると、贄として呼び寄せられたのかもしれない」
マリオンが意味ありげにつぶやいた──そのときである。
「誰か! 誰か助けて!」
不意に、叫び声が響いて──僕らは足を止める。
「ミラーハウス!」
マリオンは瞬時に声の出どころを聞きさだめて。
「みんなはここで待ってて!」
言って、僕らの返事も待たずに駆け出す。
ミラーハウスには、先に見かけた不良たちが向かっていたはずである。あの叫び声からするに、あちらにも、僕らが遭遇したような、幽霊もどきが現れたのかもしれない、と思う。
「トールたちはここで待ってて!」
「おい! タケル!」
足手まといになるかもしれない──そんなことは百も承知であるというのに、それでも何かの役に立ちたくて、気づけば僕はトールの制止を振り切って駆け出している。
僕は、マリオンの後を追って、ミラーハウスに足を踏み入れる。
「何だ──これ」
僕は思わずつぶやく。
飛び込んだ先は、当然ミラーハウスのはずである──が、そこは今や在りし日の姿からは想像もつかないほどに変貌している。鏡面は、肝試しに訪れたものたちの記念であろう、名前やら何やら、くだらない落書きで埋め尽くされている。しかし、さらに奇妙なのは、その奥である。ミラーハウスの奥に進むにつれて、鏡面の落書きは次第に規則性を帯びていき、しいて言えば──そう、まるで魔法陣のような幾何学的な紋様で埋め尽くされているのである。
「何ていうんだっけ、こういうの。フィーリがいれば、わかるのに」
前を行くマリオンに追いつくと──彼女は、この紋様に何やら心当たりがあるようで、ぶつぶつとつぶやいている。
「──タケル」
マリオンは、振り向きもせず、僕の名を呼ぶ。
「ついてくるからには、覚悟を決めてよ」
マリオンのその言葉に、僕は返事の代わりに、ごくり、と喉を鳴らす。
僕らは、前後に並んで、ミラーハウスを行く。マリオンが先行しているからよいものの、そうでなければ、僕は何度も鏡面に頭をぶつけているであろう、と思う。マリオンは、一度も鏡面にぶつかることなく、すいすいと進んで──やがて、ミラーハウスの中心部にたどりつく。
ミラーハウスの中心──広間のようになっているあたりに、不良たちが倒れている。見れば、不良たちの前には、幾重にも重なった鏡面の魔法陣があり、それを守るように──幽霊もどきが立っている。
マリオンの行動は速かった。不良たちがすぐには逃げられぬと見るや、疾風のごとく駆け出して、先の幽霊もどきにそうしたように、光る掌打を叩き込む。幽霊もどきは、ミラーハウスの鏡面を打ち砕いて、いくつか先の通路まで吹き飛ぶ。
「私たちが何とかするから、早く逃げて!」
マリオンは叫んで──訳もわからぬ様子で呆けていた不良たちは、素直に頷いて、腰の抜けているものに手を貸しながら、広間から逃げていく。
マリオンは、幽霊もどきの吹き飛んだ通路を向いたまま──奴が起きあがった場合に備えているのであろう、構えを解くことはない。
しかし、見たところ、幽霊もどきは、もう動かない。
「マリオン──」
僕は彼女に、もう大丈夫だよ、と呼びかけようとするのであるが。
「──下がって!」
マリオンは、鏡面の魔法陣に向き直り、鋭く叫ぶ。
気づけば、魔法陣の上に、老爺が立っている──立っているだけであるというのに、全身の毛が逆立つのがわかる。マリオンの前で格好をつけるという強い意志がなければ、間違いなく失禁していたであろう、と思う。
「あれは──ヤバい」
マリオンはつぶやいて──僕を守るように前に立って、老爺をにらみつける。
「こんなところにまで現れるなんて──見境のない侵略者だね」
マリオンはすごい──僕は動くどころか、呼吸すらあやしくなってきたというのに、彼女は老爺の前に立って、意味のわからぬ啖呵を切っているのである。
「ほう──訳知り顔の小娘が一人」
老爺は楽しそうに笑いながら、マリオンをねめつける。
「タケル! 逃げて!」
叫んで、マリオンは逆に老爺に飛びかかる──と同時に。
「何ものかは知らぬが──去ね」
言って、老爺は無造作に手を振る。
マリオンは瞬時にポンチョを脱いで、僕を守るようにそれを広げる。老爺の手から、何か得体のしれないものがほとばしり──瞬く間にミラーハウスを打ち砕いていく。しかし、その絶大な衝撃は、マリオンのポンチョに遮られて、僕のところにはわずかしか届かない。
衝撃に崩れ落ちるミラーハウスを呆然とみつめながら──もしもマリオンがいなければ、僕は死んでいたであろう、と思う。




