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「兄貴! あいつだ! あの女だよ!」
兄貴分の後ろの不良が叫んで──僕は振り向いて、倉庫の入口を見やる。
そこには、相変わらず制服姿のマリオンと──彼女よりも背の低い、しかし異様に屈強な小男と──その小男の背中に隠れるようにして、こちらをのぞいているロレッタさんの姿がある。
「向こうからきてくれるとはな」
運がよかったな、と僕に言い捨てて、兄貴分は周囲の連中に命じる。
「その女を俺の前に連れてこい」
兄貴分の命令で、不良の一人がマリオンに近づく。不良は、マリオンの腕をつかもうと手を伸ばして──彼女は、その手を左腕でぐるりといなして、無防備な腹に掌打を放つ。それは、何の変哲もない掌打である。マリオンくらいの体格の少女が放ったものであれば、たとえあたりどころが悪くとも、その場にうずくまる程度であろうと思ったのであるが──不良は倉庫の端まで吹き飛んで、そのまま動かなくなる。
皆が唖然とする中、マリオンは何事もなかったかのように、僕のところまで歩み寄り、いつぞやのように手を差し伸べてくれる。
「がんばったね」
マリオンのその笑顔に、思わず僕の口をついて出たのは、助けてもらったお礼ではなく。
「どうして──ここが?」
素直な疑問であった。僕は車で連れ去られたのである。僕でさえ正確な場所を把握していないというのに、どうしてマリオンたちはこの倉庫までたどりつくことができたのであろうか。
「ロレッタに、おまじない、してもらったでしょ」
マリオンは僕を助け起こしながら、いたずらっぽく微笑んで──それ以上は何も言わず、きっと唇を結んで、相対する兄貴分をにらみつける。
「青」
「ここに」
突然のマリオンの呼び声に応えるように、彼女のそばの影から、青白い幽鬼のごとき男が現れる。
「タケルを守って」
「御意」
青と呼ばれた男は、短く答える。皺一つないスーツに身を包んだ彼は、どこか執事のようにも思える。
マリオンは青の答えに安心するように頷いて──そのまま歩み出て、兄貴分の前に立つ。
「おい、手前ら、その程度の人数で乗り込んでくるたあ、覚悟はできてんだろうな?」
言い放って、兄貴分はパイプ椅子を蹴倒しながら立ちあがる。それを合図にして、後ろに控えていた不良どもが、いっせいに武器を構える。木刀、金属バット、鉄パイプ──得物は様々であったが、あれほどの人数が武装していては、確かに四人程度でかなうはずもない。
「小僧、それはこちらの台詞よ」
言って、筋骨隆々の小男が、マリオンの前に出る。
「あれ? 黒鉄がやる?」
「おうとも」
小男──黒鉄と呼ばれた男は、豪放に笑いながら答えて。
「じゃあ、譲る」
マリオンとハイタッチをして、不良どもに相対する。
不良の一人が木刀を振りかぶり、奇声を発しながら、黒鉄に殴りかかる。黒鉄は、その一振りを避けもせず、掲げた左腕で受け止めて──木刀は半ばから折れて、宙に舞う。折れた木刀を呆然とみつめる不良の頬を、黒鉄は羽虫でも振り払うように、軽く平手で打つ。それだけで──たったそれだけで、不良は吹き飛び、倉庫の床を力なく転がり、壁際に積まれた資材の山に突っ込む。
その異様な光景に、あっけにとられたものか、倉庫は、しん、と静まり返る。
「小僧ども!」
その静寂を破ったのは、黒鉄の大音声である。その声は、僕に向けられたものではないというのに、それでも腹の底からわきあがる恐怖で、僕は一歩も動けなくなる。これにくらべたら、いつぞやの不良など、肉食動物どころか、チワワか何かがいいところであろう、と思う。
「ちと、おいたがすぎたようじゃのう」
黒鉄は獰猛に笑って、僕と同じく足がすくんで動けないであろう不良どもに殴りかかる。そこから先は、一方的であった。黒鉄が腕を振り、足をあげるたびに、不良どもが紙くずのように宙に舞う。
「いけ! そこだ! やれ!」
その後ろでは、ロレッタさんが、手振りをまじえながら、黒鉄に声援を送っている。
「うるせえぞ! 黙ってろ!」
それが、何人かの不良どもにとっては、癪に障ったのであろう。奴らはロレッタさんにも襲いかからんとするのであるが──不思議なことに、彼女のもとにたどりつくことさえできず、地べたに転がり──まるで、蜘蛛の糸にからまった虫のようにもがいている。
「おい、動くな! そこまでだ!」
戦況を打開せん、と動いたのは、兄貴分である。その声とともに、乾いた音が鳴る。
見れば、兄貴分は手にした何かを天井に向けている。それは、まごうことなく──銃である。先の乾いた音は、初めて耳にする銃声であったのだと気づく。
「へえ、それが銃ってやつか」
マリオンは楽しそうに言って──あろうことか、兄貴分の方に向かって、足を踏み出す。
「俺に近づくな!」
吠えて、兄貴分は銃を撃つ。銃弾は、マリオンの足もとのあたりで跳ねて、そのまま倉庫の壁にめり込む。
「止まれ! 止まれよ! 今度は本当にあてるぞ!」
叫びながら、兄貴分はマリオンに銃を向けて──はたからは奴の方が優位に見えるというのに、逆に追い詰められているかのように後ずさり──再び発砲する。
「ふうん、それほどの習熟がなくても、弾を前に飛ばせるってのは、利点だねえ」
銃弾は、再びマリオンの足もと──しかも、先よりも身体の近くで跳ねたというのに、彼女は一向に足を止めようとはしない。
「でも──結局、弾は銃口の向いてる先にしか飛ばない──でしょ?」
マリオンはにんまりと笑って──次の瞬間、疾風のごとく駆け出す。兄貴分は、銃に怯まないマリオンに脅えたのであろう、反射的に引き金を引く。銃弾はマリオンの胸を貫いて──僕が悲鳴をあげると同時に、彼女は煙のように消え去る。いや、違う──今やマリオンは四人いる。そのうちの一人が銃弾を受けて消えたのであると悟って──僕の頭は、目の前の現象の理解を放棄する。
それからの出来事は、同時に起こった。
残る三人のマリオンのうち、一人が手刀で兄貴分の右手を打って、銃が宙に舞う。別の一人が兄貴分の腹を打ち、奴は反吐を撒き散らしながら、その場に膝をつく。最後の一人が、宙に舞った銃をつかんで、その銃口を兄貴分に向ける。
兄貴分は、何が起こったのか理解できていない様子で、呆然と銃口をみつめている。マリオンが前に歩み出て、その銃口を奴の額にあてるに至って、ようやく状況を理解したようで──先までの威厳はどこへやら、両手をあげて、失禁している。
「ロレッタ」
「あいよう」
マリオンの呼びかけに、ロレッタさんが応えて──すると、まるで魔法のように、倒れた不良どもが、次々と縄で拘束されていく。
「手前ら、こんなことして、ただで済むと思ってんのか!」
兄貴分は、縄で縛られることで、逆にすぐに殺されるわけではないとでも思ったものか、再び居丈高に怒鳴り散らすのであるが──さすがに失禁の後では、威厳も何もあったものではない。
「俺は若頭の息子だぞ!」
「ぬしらこそ、この程度で済むと思ってはおらんだろうの?」
虎の威を借る兄貴分に、黒鉄はずいと顔を突き出して。
「ひとまず──その親とやらに、けじめをつけてもらうとしようかのう」
獣のように獰猛に笑ってみせる。




