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放課後──僕はいつもと同じ駅で降りて、いつもとは違う道を行く。
あの日、マリオンに連れられて歩いた道を思い起こしながら、繁華街の奥を目指す。日の高いうちに見る街並みは、ネオンに彩られたきらびやかな姿とはまったくの別物で、まるでマジックの種をのぞき見てしまったような、得も言われぬ後ろ暗さのようなものを感じる。
通りを何度か行き来して、ようやくその路地をみつけて──僕は見覚えのある雑居ビルの階段を下りて、突きあたりの扉をノックする。
「まだ準備中ですよう」
中からの応えが、ロレッタさんのものであることに安心して。
「あの、違います、お客じゃなくて──」
扉の前で続けると、中から足音が近づいてくる。
「お客じゃないなら──って、何だ、タケルくんか」
中から現れたのはロレッタさんである──が、いつぞやのバーテンダー姿ではない。コーヒーカップを片手に、寝ぼけ眼で出てきた彼女は、店に泊まり込んでいるものか、薄手のパジャマ姿で──あらわになった肌から、僕は無理やり目をそらす。
「マリオンならいないけど──どしたの?」
ロレッタさんの肌を極力見ないようにしながら、僕はかいつまんで事情を説明する。
「そういうわけで、この前の不良を見かけたら、絶対に近寄らないように、マリオン──さんに、伝えてください」
「そういうことね──ま、伝えてはおくよ」
言うこと聞くかはわからないけど、とロレッタさんは不吉なことを続ける。聞いてもらわなければ困る。マリオンに危険が迫るなんて、考えるだけで胸がしめつけられる思いがする。
「ところで──それだけでいいの? マリオンに事情を話せば、助けてくれると思うけど」
ロレッタさんは、コーヒーカップに口をつけながら、今の僕には魅力的にすぎる提案をささやく。確かに──あれほど強い彼女にならば、頼ってもよいのではないか。僕は一瞬そう考えかけて──慌ててかぶりを振る。
「マリオンさんには、もう助けてもらいました。これは僕の問題ですから」
「ふうん、男の子じゃん」
答える僕に、ロレッタさんは心底から楽しそうに笑って──コーヒーカップを近場の椅子の上に置く。
「タケルくん、ちょっと手を出して」
ロレッタさんに言われるがまま、僕は右手を差し出す──と、彼女は何を思ったものか、その手を取って、艶めかしくなでまわす。
「何を──してるんですか?」
「ちょっとしたおまじない」
確かに──ロレッタさんは、何かのおまじないのように──まるで、魔法の糸でも巻きつけているかのように、僕の腕のまわりをぐるりとなでている。
「あたしね、カクテルはまずいって言われるんだけど、おまじないの方は評判いいんだよ」
言って、ロレッタさんは誇らしげに笑うのであるが──バーテンダーがそれでよいのであろうか、と思わなくもない。
「はい、終わり」
言って、ロレッタさんの手が離れる。
「ありがとう──ございます」
礼を述べながらも、いくらか名残惜しいのは、僕も男子であるからして、仕方のないことであるといえよう。
ロレッタさんは、これで話は終わり、とでも言うように、椅子に置いていたコーヒーカップを再び手に取る。
「タケルくん、気をつけてね」
言って、コーヒーカップに口をつけながら、小さく手を振る。
「はい、マリオンさんにも、よろしく伝えてください」
「──マリオン」
返す僕に、彼女は苦笑しながら、訂正を加える。
「あの子、さんづけされるの嫌いなんだよね。マリオンって呼んであげて」
「──はい」
決意して頷いてはみたものの、女性にまったく免疫のない僕に、呼び捨てなどという大それたことができるのであろうか、と思わなくもない。
雑居ビルを出て、繁華街を足早に抜けて──そもそも高校生の立ち入るようなところではない──駅前に戻る。気もそぞろで落ち着かず、ひとまずアニメの雑誌でも眺めよう──と、いつもの書店に入り、雑誌を手に取った──そのときである。
「みいつけた」
耳もとでささやいて、馴れなれしく肩を組んできたのは、いつぞやの不良である。
僕は自らの考えなしに気づく。不良は、マリオンと──ついでに僕を探しているのである。当然、僕と出会ったこの書店を見張っているに違いないわけであり、そんなことにさえ考えが及ばなかった自分の愚かさを恥じる。漠然と、成績はよいから頭もよいのだろうと思っていたのであるが、どうやらそうではないらしい。
僕は肩を組まれたまま、無理やりに書店から連れ出されて、表に停まっているワゴン車に押し込まれる。ワゴン車は、建築か何かの社用車のようで、あちらこちらによくわからない資材が積んである。
「お前がタケルかあ」
ワゴン車の後部座席で僕を待ち構えていたのは、大柄な不良──どころではない。僕ですら知る、地元の中学を卒業後、ヤクザだか右翼だかになったという噂のある、札つきのワルである。
「松原に通ってるなんて、頭いいんだなあ」
そのワルに言われて──すでに名前も、高校もばれていることに気づいて、ぞっとする。それは、仮に隙をついてこの場を逃げ出せたとしても、今後こいつらから逃げ切ることはできないことを意味している。
ワゴン車は荒い運転で走り出す。ドラマなんかでは、行く先を知らせぬために目隠しをされるところなのであるが──そんなこともなく、車は埋立地の方に走る。まさか、行く先を知られたからには殺す、なんてことはないであろうと信じたい。
ワゴン車はしばらく走り、埋立地の一画、扉の開いたままになっている薄暗い倉庫に、車のまま入る。倉庫の中──ヘッドライトに照らされて浮かびあがる人影は、二十人ではきかない。車は倉庫の真ん中あたりで停まり──倉庫の扉は無慈悲にも閉じられる。
「おい、出ろ」
僕はワゴン車から蹴り落とされる。倉庫の床に転がって、地べたから見あげれば──そこには、高校生の不良どころか、ヤクザと思しき男たちまでも何人か控えている。
「お前が、うちの弟分をやったのか?」
そのうちの一人──パイプ椅子に腰かけた、もっとも偉そうな男が、遠間から話しかける。男の後ろに隠れるように立つ不良は、先にマリオンにのされた不良のうちの一人である。
事ここに至り、僕はようやく事情を悟る。
あいつ──あの不良は、高校生ながら、ヤクザの兄貴分の舎弟なのである。そして、マリオンにやられたことを、兄貴分に泣きついた──となると、これは不良にからまれたどころの話ではない、ヤクザの報復なのである。
「ぼ、僕じゃ──ないです!」
僕は必死に、自らの関与を否定する。
「知ってるよ」
返す兄貴分は、後ろの弟分から、すでに話は聞いているのであろう。見れば、弟分の頬は赤く腫れあがっており、すでに女にやられたことをなじられた後であることがうかがえる。
「だから──その女を連れてこい」
兄貴分に凄まれて、僕の手はまるで自分のものではないかのように震え出す。
トール──トールのアドバイス、役に立ちそうにないよ。きっと、ぼこぼこにされるだけでは済まない。事後に警察署に駆け込めるかどうかもわからない。こんなことになるのなら、素直にマリオンに助けを求めればよかった。
「いや──」
そんなことはない。そんなことをしなかったことだけは、これから何が起ころうとも、誇れるはずではないか。
「どこにいるか、知らないんです」
決意して、そう答える──と同時に、背後で倉庫の扉が開いて、そこから月明りが射し込む。




