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「私は──正確には、異界間航行用の旅具です」
フィーリは神妙に告げる。
「異界──何?」
しかし──私には、そもそものところからして理解できず、首を傾げる。
「マリオン──あなたは、どんなときも変わりませんね」
フィーリはあきれるように返すのであるが──その声音にどこか喜びを感じるのは、おそらく気のせいであるまい。
「私は、旅具は旅具でも、この世界から異なる世界へと旅立つための旅具なのです」
フィーリは、私にもわかるように、と言い直す。
「そして、マリオン──あなたの持つその弓こそ、世界の果てにおいて、世界の壁を穿つことのできる唯一の至宝──原初の神の神具」
言われて、私は手もとの旅神の弓に目を落とす。
「フィーリの旅の目的って──」
「私は、神ならぬ身のものとともに、世界の壁を越えて──そして、それぞれの異神の故郷たる異界より、彼らを召喚し直すことを目的として、つくられたのです」
そうして、私はようやく悟る。原初の神の神具たる弓、そして原初の神の現身たる旅具──これらは、その目的のための一対の道具なのである、と。
旅神の弓の封印を解くための力ある言葉──今さらながらにその意味するところを思うに、古の盟約とは、異神を異界に帰すことを指しており、天外を穿つとは、世界の壁を穿ち、天の外──異界に通ずる穴をあけることを指しているのであろう、と思う。
そして──その異界を旅するための旅具こそ、フィーリなのである。古の盟約を果たすために、原初の神の現身としてつくられた旅具──なるほど、どうりで何でもできるはずである、と納得する。
「この目的は──本当は、もっと多くの旅を重ねてから、打ち明けようと思っておりました」
フィーリは残念そうに続ける。
「もっと!」
私はあきれるあまり、思わず声をあげる。言うに事欠いて、もっと旅をしてからとは、いったいどれほどの旅を重ねれば満足するというのか。私がお婆ちゃんになってから打ち明けるのでは、遅きに失するであろうに。
「もっと旅を重ねたら、もっと旅の楽しさを知ってもらえると思って──」
フィーリは恥ずかしそうにもじもじと返して──まったく、悠久の時を生きるものは困ったものであるなあ、と旅具を優しくなでる。
「どうか、マリオン──私とともに、異なる世界に旅立ってはくれませんか?」
まるで、愛の告白でもするように、フィーリはおずおずと申し出る。
「答える前に、一つ聞かせて──どうしてこんなにまわりくどいことをするの?」
私は単純な疑問を抱く。
「異界への旅は、神様の願いなんでしょ──だったら、そう命じればよかったのに。神様の命なら、一緒に旅立ってくれる人なんて、いくらでもいるでしょ」
そう──喜んでついていくとまではいかなくとも、神命とあらば致し方なしというものはいたはずである。それこそ──聖神のためとあらば、聖女アラエムあたりは、命を捨てることさえ厭わないであろうに。
「原初の神は、神の願いだから、と異界から呼び寄せたものを異神として祀りあげて──今こういう状況になっているのですよ」
同じことを繰り返すわけにはまいりません、とフィーリは殊勝に続ける。
フィーリが原初の神の現身であるというのなら──原初の神というのは、どうしようもないほどに真面目で、不器用な神なのであろうなあ、と苦笑する。
「それに──我々の都合で、異界に迷惑をかけるわけにはまいりません。同行者は、心の清らかなものでなければならないと定められております」
なるほど──となると、聖女のような類は、その定めに反することになろう。何せ、聖神のためとあらば、自身の命さえ顧みないのであるからして、異界の都合など一顧だにしないであろうことは、火を見るよりも明らかである。
そこまで考えたところで──はて、と思い至る。
「私って、心が清らかなの?」
私に同行を求めるからには、私は条件を満たしているということになろう。
「マリオン──あなたは優しい。楽しければ笑い、理不尽には怒る。弱きものが虐げられるのをよしとせず、そのためなら強きものにも立ち向かう」
フィーリはすらすらと続ける。それは、私の普段の行いを述べているのかもしれないが、あらためて言葉にされるとこそばゆいこと、この上ない。
「あなたは人間です──私が、こうあってほしいと願って生み出した、人間そのものなのです」
フィーリは、原初の神の現身らしく、慈しむように告げる。
「よく──わからない」
「端的に言えば──私は、あなたとの旅を経て、もっとあなたと一緒に旅がしたいと思ったのですよ」
それならばわかる。異界への旅だとか何だとか、そんなことは放っておいて──フィーリが私と旅を続けたいと思ってくれていることは、たまらなくうれしい。
「この世界に戻ってくることができるかどうかは──正直なところわかりません」
フィーリは神妙に告げる。
「あなたがこの世界を愛していて、ここに残りたいと願うのなら、無理に旅立とうとは言いません」
フィーリの、その寂しそうな口調に、私は悟る。かつてのフィーリの主──私の祖先たる旅神エルディナは、愛するものとこの世界に残ることを選んだのであろう。
フィーリは、決して強いることなく、ともに旅立ってくれる人を、ずっと待ち続けたのであろう──それは、とても数百年では足りぬ、千年、いやもっと──どれほどの長きにわたる孤独やら、私には想像もつかない。
そして──フィーリがいまだこの世界に残っているという事実は、ともに旅立つことを願い出ては、断られ続けているということをも示している。
フィーリは──彼は、いったいどんな気持ちで、どれほどの勇気を振りしぼって、私を旅に誘ったのであろう。私は、旅立ちの折、彼にかけられた言葉を思い出す。
「考える時間が必要なら──」
「いいや、そんなものいらないよ」
私は苦笑しながら、フィーリの言葉を遮る。
なぜならば──私の答えは、とっくに決まっているのだから。
「旅具」完/終話「旅神のご加護がありますように!」




