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「フィーリ!」
『──』
私の呼び声に応えるように、フィーリが何やら唱える──と、私たちの身体を薄く光る膜が覆って、それとともに心も鼓舞されて──押し潰されそうなほどの聖神の神気を前にしても、もはや怯むことはない。
「マリオン! 弓の封印を解けい!」
言って、黒鉄は私をかばうように前に出る。
黒鉄は、私の右手がしびれていることを見抜いているのであろう。すぐには参戦できぬから、弓の封印を解かせる。その間、時間を稼ぐのは黒鉄とロレッタという算段であろう、と瞬時に理解する。
「いけません! この場で弓の封印を解いては──」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
フィーリは異を唱えるのであるが、私はそれを退ける。聖神を相手に、弓の封印を解かないという選択はありえない。
聖神は異神である──とすれば、その力は、同じく異神たる海神と同程度であろう。かつて私たちは、その海神をして退けたのであるからして、戦いようはあろうというもの。
『弓よ! 我が意に従いて、その力を示せ!』
私は旅神の弓の封印を解くために、力ある言葉を唱える。その瞬間、私の身体は、不可視の巨人に握り潰されるような、強烈な負荷に襲われるのであるが──こんなもの、グラムを失った痛みにくらべれば、何ということもない。
「不倒の黒鉄──参る!」
吠えて、黒鉄はまるで棍でも扱うかのように斧を振りまわして、聖神に襲いかかる。黒鉄の斧は、暴風のごとく聖神の胴を薙ぐ──いや、薙ぐことあたわず。斧頭は聖神の胴をとらえているのであるが、当の聖神は微動だにしていない。
『──こんなものか?』
聖神は斧の柄をつかんで、黒鉄ごと、ぐいと持ちあげる。巨人の斧と黒鉄──あわせるとかなりの重さとなろうに、それを感じさせぬほどに軽々と、そして高々と持ちあげて──勢いよく大地に打ちつける。私の目をもってしても追えぬほどの速度で大地に叩きつけられて、さしもの不倒の黒鉄も悶絶する。
「黒鉄!」
地べたに這いつくばる黒鉄をかばうように、今度はロレッタが前に出る。手には赤剣──その腕前も、今や一端の剣士を名乗るに不足はない。
ロレッタは赤剣を正眼に構えて──そして、聖神に斬りかかる。その剣筋は、ともすれば相手にとって受けやすいものにも思えるのであるが──受けさせることが目的なのであるからして、それでよいのである。火神の神具たる赤剣であれば、受けたものごと斬り落とすことができる──ロレッタゆえの剣技といえよう。
『おっと──こちらはさすがにまずい』
言って、聖神は手をかざす。
それだけで、無敵の力を誇る赤剣は、たやすく受け止められている。
『驚いたかな?』
聖神は赤剣を握って、いたずらっぽく笑う。ロレッタは、それを振りほどかんと力を込めるのであるが、赤剣は微動だにしない。
「ロレッタ!」
私は叫ぶ。赤剣から手を放せ──そう続けるよりも先に、聖神は赤剣ごとロレッタを持ちあげる。黒鉄の二の舞である。ロレッタは大地に叩きつけられて──悶絶どころではない、どうやら意識すら飛んでいる。半神であるからして、死んではいないのであろうが、もはや戦える状態ではあるまい、と思う。
さすがは異神たる聖神──黒鉄とロレッタ──歴戦の猛者たる二人をして、まるで子ども扱いである。
『さて──そなたはどうする?』
聖神は、挑発するように私に問うのであるが──いまだ弓の封印は解けていないのであるからして、どうしようもない。
『それでは──少し話をするとしよう』
聖神は、黒鉄とロレッタを間合いにとらえたまま、そう告げる──となれば、二人は人質も同然である。どうすることもできず、私は聖神の話に耳を傾けるよりほかない。
『僕は、原初の神により、異界より召喚されて──この地で神となった』
聖神は、原初に自身が召喚されてからの悠久の時に思いを馳せるように、遠い目で告げる。
『それが──どういうことか、そなたにわかるか?』
聖神は、そう問うのであるが──当然、神ならぬ私にわかるはずもない。
『ブルムにならわかるであろう──僕の絶望が』
私からの返答がないことを知ると、聖神はブルムに問いかける。
「俺には、もとの世界の記憶がねえんだよ」
一緒にするな、とブルムはすげなく答えるのであるが──それでも聖神の絶望とやらは理解しているようで、苦い顔で視線をそらす。
『確かに──異神の中には、召喚を喜んだものもいる。何せ、異界とはいえ、神になれるというのだからな』
聖神は、そのものたちを蔑むように続ける。
神になれる──その言葉に、私は違和感を覚える。それでは──異神は、もとは神ではなかったということになるのではないか。
『しかし──そうでないものたちもいる』
そうでないものたち──そこには、おそらく自身のことも含まれている。
『僕だって、あのまま死ぬよりは──と、かつてはこの世界の神となることを受け入れた。でも、今は違う。僕は──帰りたいのだ』
聖神は、ここではないどこかを見るような眼差しで、ぽつりとつぶやく。
帰りたいとは──つまり、もとの世界に──異界に戻りたいということ。
しかし──神は世界の壁を越えることはできぬはず。だからこそ、空中都市ナタンシュラにおいて、悪魔は迂遠な手段を用いて神を召喚しようと画策したのではないか──と、そこまで考えたところで、私は息をのむ。
『悟ったか──マリオンよ』
聖神に誘導されて、私はようやく悟る。
『異神とは、故郷に帰れぬ神──』
そう──異神とは、原初の神により召喚されて、そして神となったがゆえに、故郷を失ったものたちなのである。
そうであるならば──と、私は思い起こす。僕の故郷という発言、この聖殿の各層で目にした風景、あの郷愁をかきたてる夕映えは──もしかすると、聖神の原風景を模したものなのではないだろうか。
『ゆえに──僕は原初の神を憎む』
聖神は吐き捨てる。
『原初の神が異神を召喚したことこそが、そもそもの過ちの始まりなのだ』
そして、なじるように、そう続ける。
私は、その様にどこか幼さを感じて──もしかすると、聖神はかつて人であった折、見た目どおりの少年だったのではないだろうか、と思う。そうだとすると、原初の神からすれば、死にゆく少年への救いとなるはずであった召喚も──見方を変えれば、幼い少年につらい選択を強いるものであったとも言える。
私は押し黙る。原初の神にも言い分はあろうが、それでも聖神の憎悪にも一理あるように思えてしまったからである。聖神は、私のその様を見て、満足そうに笑って──おもむろに告げる。
『なあ、そうであろう、原初の神──フィーリよ』




