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階段を下りると──そこには、石造りの通路が伸びている。
「今度こそ──迷宮?」
脅える様子のロレッタに。
「いや──古城か何かのようじゃのう」
黒鉄は通路の先を顎で指しながら返す。
見れば、通路には開け放たれた窓があり、そこからは初夏を思わせる陽光が射し込んでいる。確かに──地下に埋もれた迷宮というよりは、開けたところに建つ古城といった趣である。
私たちは、窓まで歩いて、そこから外を眺める。古城は、どうやら小高い丘に建っているようで、眼下には赤屋根の街が広がっている。その赤屋根の、さらに先には、麦畑が風になびいており──まるで、黄金色の海のように美しい。
「麦畑、農村、古城──と、順に進んでおるようじゃのう」
黒鉄の言に、頷いて返す。
階段を下りるたびに、少しずつ景色の先に進んでいる──とすれば、城下に戻るのではなく、古城の奥にこそ、次に進む階段があろうというもの。
私たちは、古城の探索を始める。先に窓から外を見たかぎり、おそらく私たちは居館の中にいる。目指す下層への階段が、古城の実際の階段と同一とはかぎらぬが、それでも探してみる価値はあろう。居館であれば、地下に食料の貯蔵室があろうから、ひとまずはその階段を──と、厨房を目指して進んだところで。
「何か──聞こえる」
私は、かすかに耳に届くものを感じて、皆に注意をうながす。
その音を頼りに、通路を折れる──と、遠くから響くそれは、どうやら旋律のようであると気づく。リュートであろうか、ぬくもりを帯びた音が、緩やかに流れて──次第に心に降り積もる。知らず、帰るべき場所が浮かぶような、そんな旋律である。
通路は、やがてテラスに突きあたる。テラスから庭園を望む椅子に、リュートをつまびく楽士の姿がある。テラスの奥には、庭園に続く階段が伸びており──それを得体の知れぬ楽士がふさいでいるとなれば、あれこそが次の階層に通ずる階段なのであろう、と思う。
あの楽士──何ものかはわからぬが、このようなところで音を奏でるものが、ただ人であろうはずもない。私は、皆をその場に残して、気配を殺して進む。じわり、またじわりと近づいて、ようやく楽士が私の間合いに入る──まさにその直前で、奴はリュートをつまびく手を止める。
静寂が古城を満たす。さすがに、聖殿を守るものが、こちらの気配に気づかぬ程度というのは、楽観がすぎた。私は気を取り直して──今度は皆を呼び寄せて、あえて無造作にテラスに近づく。
「名を名乗れ」
黒鉄が、巨人の斧をかついで、楽士に告げる。しかし、楽士は名乗らない──どころか、黒鉄の方を見ようとさえしない。
「名乗らぬならば、好きにせい」
言って、黒鉄は巨人の斧を振りかぶる。
「儂は黒鉄──その階段、通らせてもらうぞ!」
「待って!」
嫌な予感がして、私は声をあげる──が、時すでに遅く、黒鉄はまるで棍でも扱うかのように斧を振りまわして。
「ぬうん!」
と、楽士に横薙ぎの一閃を振るう。
その一閃は、たやすく楽士の胴を両断して──先の予感は思い過ごしであったか、と安堵した──その瞬間、私はそれに気づく。
楽士の胴の断面──あらわになった肉が、おぞましく蠢いている。肉は、分かたれた半身を求めるように伸びて、互いにからみあいながら──しかし、もとの楽士ではない何かに変貌していく。その生命を冒涜するような醜悪な様に、知らず怖気がわいてくる。
これは──この変貌を続けさせるのは、まずい。
「ロレッタ!」
『爆炎よ!』
私の声に応えて、ロレッタが爆炎を放つ。
逆巻く炎に焼かれて、先まで楽士であった異形は、悶え苦しむ。しかし──それでもなお異形は燃え尽きることなく蠢き続けているのであるからして、炎はさして効かぬのやもしれぬと判断して──私は旅神の弓を構える。
狙うは、楽士の心臓──のあったあたりである。変貌は続いているが、まだかろうじて判別できる。やるなら今のうちである。
『貫け!』
放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。彗星は、あやまたず異形の──楽士の心臓のあったあたりに大穴をあける。
「こやつ──不死の化物か!?」
しかし──黒鉄は驚愕の声をあげる。それもそのはず、異形にあいた大穴は、しばしの後には、何事もなかったかのようにふさがっているのである。
「フィーリ──あれはいったい何なの?」
私は呆然とフィーリに尋ねる。
「あれは、おそらく──聖神の使徒です」
「使徒って──魔人ってこと?」
フィーリの意外な答えに、私はさらに問い返す。
「魔人どもも相当の異形じゃったが──ありゃあ、埒外じゃろう」
あきれるような黒鉄の言に、私も頷く。魔人どもは、異形と化しても、かろうじて人の形をたもっていたはずである──が、目の前の異形は、もはや人の形を失いつつあり、なお変貌を続けているのである。
「適合せぬものに、加減なく神の力を注いだのでしょう。それがあふるれば、単なる異形、単なる魔人となるのでしょうが、その後も力を注ぎ続ければ──」
「──こうなるってことね」
フィーリの言葉を継いで、私は目の前の異形を見あげる。
異形は、ついに変貌を遂げている。もはや人の形の名残すらないそれは、いくつかの獣が混ざりあったような、おぞましい巨獣と化しているのである。しいて呼ぶなら──魔獣であろうか。
この魔獣には、どうやら不死に近い力がある。となれば、黒鉄の剛力も、ロレッタの魔法も──さらには旅神の弓や赤剣でさえも、まともに通用するとは思えない。多少なりとも通用するとすれば──。
「──ここは俺に任せて先に行け」
そう──武侠の絶技、降魔くらいのものであろう、と思う。
「でも──」
絶影の決意に、ロレッタは異を唱えようとするのであるが。
「恩を返すのに、これほどの好機はねえだろ」
絶影はそれを笑顔で遮る。
「それに──どう考えたって、ここから先の方がやばい。ここであいつの足止めをする方が、まだましだろうさ」
絶影は、魔獣を顎で指しながら、不敵に笑う。やすやすとやられるつもりはなかろうが、それでも──死を覚悟した笑顔である。
ロレッタは、おもむろに絶影の手をとって。
「どうか──死なないで」
その頬に、触れるだけの口づけをする。
「別嬪の加護があるかぎり、俺は死なねえよ」
絶影は、好色漢にしてはめずらしく顔を赤くして、照れ隠しのように調子のいいことを言う。今回ばかりは、そうあってほしいものである、と願う。
「お前らこそ──って、姐さんは死なないんだっけ」
絶影はあっけらかんと笑って──そして、魔獣に向き直る。
「行け──振り返るな」
言って、絶影は猛り狂う魔獣の懐に潜り込んだかと思うと、そのまま透しを放つ。絶影の渾身の透しは、魔獣の巨体すら揺らす。
私たちは、その隙にテラスの先の階段に飛び込む。薄暗い階段である。フィーリの灯りを頼りに駆け下りる。そうして、どれほど下りた頃であろうか──私たちは、地の底に通ずるとでもいうような扉の前に出る。黒鉄がこちらを見て──私は深く頷いて返す。
「開くぞ」
言って、黒鉄が扉に手をかける。




