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私たちは聖殿に足を踏み入れて──天を支えるほどに高くそびえる列柱の間を抜けて、奥に進む。天井は信じられぬほどに高く、巨人でさえも通り抜けられるであろうと思わせるほどの威容である。
「この聖殿も──古代以降に再建されたものなの?」
私は思わずフィーリに問いかけて──その声が聖殿にこだまする。
フィーリ曰く、古代の聖都は新しい街並みの下に埋もれているということであったはず。とすれば、地上にある以上、聖殿も古代以降に再建されたものということになろうが──この威容を見るかぎり、とても人の手によるものとは思えない。
「いいえ──おそらく、聖神自身がつくったものではないかと思います」
フィーリの返答に、なるほど、と頷く。神の手による造形であれば、この威容にも納得がいくというもの。
しかし──と、私はつぶやく。
「やっぱり──エントマの迷宮に似てる気がする」
「言われてみれば、確かにそうよのう」
私の独り言に、黒鉄があたりを見まわしながら同意を示す。
「百腕の巨人──確か、あの迷宮は神よりたまわったとか言うておったの」
「その神が──聖神ってこと?」
黒鉄の言に、今度はロレッタが続く。
「エントマって、エルラフィデス西部のダヴィア教区とも近いから──それ、当たってるのかも」
ロレッタの声に頷きながら、私は思案する。
確かに──聖神であれば、エントマの迷宮をつくることもできよう。何せ、神はこの世界と隔絶された次元回廊をもつくり出すことができるのである。迷宮をつくる程度の奇跡を起こせたとて、何ら不思議ではない。しかし──それでも、なぜにエントマに迷宮をつくったのかという疑問は残る。百腕の巨人のために、わざわざそんなことをする義理はあるまい──と、そこまで考えたところで、はたと思う。
「練習──していた?」
私はぽつりとつぶやく。そのつぶやきは、誰の耳にも届かなかったようで、返すものはいないのであるが──この聖殿をつくるための練習としてエントマに迷宮をつくり、そしてそれが不要になったから百腕の巨人に授けたとすれば、辻褄はあうように思える。
と──思案する間に、私たちは聖殿の中心と思しきあたりにたどりつく。そこには、地下に続く巨大な階段があり──ますます迷宮じみてきたなあ、と思いながら、階段を下りる。
しかし、そんな感想とは裏腹に──階下には田園風景が広がる。夕映えに染まる麦畑がどこまでも続き──その麦畑の中を、緩やかにうねる田舎道が続いている。見れば、ちょうど遠い山に日が落ちるところで──そんなはずはないというのに、その田舎道に故郷の家路を重ねてしまう。
私は、その迷宮とは思えぬ牧歌のごとき風景に、思わず振り返る。しかし──そこには確かに階段があり、ここが現実と地続きであることを示している。
「行くぞ」
黒鉄の声に後押しされて──私たちは、その田舎道を行く。背の高い小麦に埋もれると、いつぞや魔犬に襲われた折のことを思い起こしてしまって、私はことさらに周囲を警戒しながら歩く。
しかし──麦畑には、私たち以外の気配などない。もちろん、何ものかが巧妙に気配を消して潜んでいるという可能性もなくはないのであるが──行けども何も現れず、見た目のとおりの田舎道が続いており──ロレッタなど、いつのまにやら鼻歌さえ口ずさんでいる。
道は、やがて穏やかに流れる大河にぶつかる。そこには先と同じく階段があり──私たちはさらなる迷宮へと誘われる。
階段を下りると──今度は、茅葺屋根の家々の点在する村に出る。そう──先の田舎道をずっとたどったなら、きっとこんな村に帰り着くだろうというような、小さな村である。
「迷宮って、何でもありなんだねえ」
ロレッタは農村を眺めながら、あきれるようにつぶやくのであるが。
「実のところを言うと──何でもありではありません」
フィーリは即座に否定する。
「これは、神の力を用いて、しかも迷宮という隔離された空間だからこそ実現できている──そう、奇跡のようなものなのです」
フィーリは、しかしその奇跡を濫用とでもとらえているようで、苦々しく続ける。
「とはいえ──神の力を用いてなお、万全とは言い難いようです。階層と階層──異層と異層を無理につなぐことで、世界に歪みが生じています」
「──どういうこと?」
私はフィーリに続きをうながす。少なくとも、私の見るかぎり、迷宮に歪みと思しきものはない。
「世界の壁が──薄くなっています。世界の果てと同じように」
「世界の果てって──霊峰みたいな?」
問いながら、私はいつかリムステッラの最北で見た霊峰を思い出す。
「そうです。この世界には、世界の果てと呼ばれる、世界の壁の薄くなっている場所がいくつか存在します。この迷宮は、その世界の果てと同じ状況を人為的に──いや、神為的につくり出しているのです」
神為的につくり出しているとなれば、それは聖神の意図となろう。
「何でそんなことをするの?」
「それは──」
私の問いに、フィーリは言いよどむ。
「ねえ! 村の真ん中に道があるよ!」
と──あたりを見まわしていたロレッタが、村道をみつけて声をあげる。
「この道を行け──ということじゃろうのう」
言って、黒鉄が村道に足を向けて──私も慌てて後を追う。
私たちは、村の奥に進む。先の麦畑と同じく、何の気配もないのであるが──家々の鎧戸からもれる灯りや、かすかに漂う夕餉の香りは、村の営みを思わせる。
「──お腹すいたなあ」
その食欲をそそる香りのせいであろう、ロレッタが腹を鳴らしながらつぶやく。
さっき酒場で食べたでしょ、と言いかけて──そういえば、食べる前に神命改めの騒動に巻き込まれたのであったな、と思い起こす。
私をはじめ、黒鉄や絶影は、多少の空腹でも行動に支障はないのであるが──ロレッタはそうはいかない。半神であるから、食べなくても死なぬのであろうに、それでもなお人一倍食事に執心しているのであるからして、類稀なる食い意地であると言わざるをえない。
のんびり──というわけにもいくまいが、腹ごしらえくらいは必要であろうと判断して。
「はい」
私はフィーリから赤竜の燻製肉を取り出して、皆に配る。決戦を前に英気を養うに、古竜肉ほどふさわしいものもあるまい。
私たちは、歩く足はそのままに、燻製肉を頬ばる。
「酒が飲みたいのう」
黒鉄が、心からというようにつぶやいて──皆が笑う。
「これが終わったら、酒場に行こう。私、奢るから」
「言質はとったぞ」
私のその言に、黒鉄はロレッタと顔を見あわせながら、にししと品なく笑って──絶対に生きて帰ろう、と思う。
村を抜ける──と、やがて豊かに茂る森に出る。野鳥のさえずりは歌のように美しく、木々を揺らす風はその伴奏のよう。私たちは、誘われるまま、森に足を踏み入れて──いくらもいかぬうちに、下層に続く階段をみつける。