5
「マリオン!」
呼びかけるのは──黒鉄の声である。それほど長く離れていたわけでもないというのに、どこか懐かしく感じてしまうことが、何ともこそばゆい。
魔人サリウスを降し、聖殿の下に通ずるという水路の奥に向かった私は、その道中で別の水路から現れた黒鉄たちと合流する。黒鉄は、巨人の斧を肩にかついでおり──その刃が血に濡れているところからするに、道中で一戦交えたのであろう、と思う。
「──襲われたの?」
「魔人どもにな」
私の問いに、黒鉄は鼻を鳴らしながら答える。
「必要なのはマリオンだけと言うてな──襲いかかってきよったから、返り討ちにしてやったわ」
言って、黒鉄は豪放に笑う。
いくら魔人どもとはいえ、黒鉄、ロレッタ、絶影を相手にするとなると、そもそも勝ち目などあるまい。
「魔人に同情するよ」
本心から言いながら、私はふと思う。
私がサリウスを倒し、黒鉄たちが複数の魔人を倒したというのなら、もはや生き残る魔人は聖女アラエムのみということになるまいか。そうだとすれば、はからずもルストラの願いはかなったということになる。もしかすると、原初の神のご加護やもしれぬなあ、といくらか信心を深くする。
私たちは水路を進み──やがて、小部屋にたどりつく。小部屋の奥には、地上に出るためのものであろう、梯子がかかっている。
「私が先頭で」
言って、私は梯子に手をかける。
自然、絶影が後ろに続き。
「あたし、最後でもいい?」
ロレッタが、黒鉄に急かされるのを嫌ってであろう、最後尾にまわる。
梯子は、フィーリの言が正しいのならば、古代のものということになろうが──体重を預けても、まったく不安なところはなく、頑丈そのものである。
そうして──しばしの間、黙々と梯子をのぼり続ける。
「あれ?」
と──梯子は不意に終わりを告げて、私の手は宙をつかむ。見あげてみても、そこに目指す天井はない。闇は深く、まだまだ上に続いているというのに、梯子はそこで途切れているのである。
「どうした?」
下から、絶影が問う。
「梯子、ここで途切れてるの」
返して、私は思案する。
おそらく──地下水路の梯子は、古代の聖都の地表であったところまでしか届いていないのであろう。しかし、私たちが目指すのは、その古代の地表の上に築かれた、新しい聖都の地表である。
「じゃあ、ここから先は、あたしに任せて!」
最後尾のロレッタは、私たちの足が止まったことで、事情を察したようで──おもむろに魔法の糸を紡ぎ出す。糸は、梯子にからみつくように伸びて──梯子の途切れた先で、新たな梯子として編みあげられていく。
「やるねえ」
絶影は、その様に感嘆の声をあげて──ロレッタの顔は見えぬが、きっとご満悦であろう、と思う。
私たちは、今度はロレッタの糸でつくられた梯子をのぼる。糸には、あわせて強化の魔法もかけてあるようで、たるむこともなく、意外にのぼりやすい。
すいすいといくらかのぼったところで。
「まだあ?」
「たぶん、もうすぐ」
最後尾のロレッタの、出口はまだか、という問いに、先頭の私が答える。
何度か同じやりとりをして、しつこい、と怒鳴ったあたりで、ようやく天井──いや、おそらくは聖都の石畳の裏までたどりつく。
「──んんん!」
私は、渾身の力で、頭上の石を押しあげるのであるが──石畳の敷石と思しきそれは、微動だにしない。ことここに至り──私は、のぼる順番を誤ったことに気づく。黒鉄を先頭にしていれば、その剛力でもって、たやすく石を押しあげられたであろうに。
「どいてろ」
と──私の隣にするりと身を寄せるのは、絶影である。絶影は、その狭い隙間で、器用に身体をひねり──何と透しを放ってみせる。敷石は、透しを受けて吹き飛んで──頭上には、ぽっかりと穴があく。
絶影が穴から顔を出して──私も、と続いて、彼の隣の隙間から顔を出す。
「──おお」
そして──その威容に、思わず感嘆の声をもらす。
眼前にそびえるのは、まさしく聖殿である。天を支えるほどに高くそびえる列柱は、まるで巨人のためのものであるかのように巨大で、そしてその巨大さゆえの荘厳さに、私は押し潰されそうになる。
「──はて」
と──そう感想を抱いたところで、既視感を覚える。この聖殿──そう、エントマの迷宮で目にした神殿に、どこか似ている気がするのである。
そんなことを考えていると、先に吹き飛んだ敷石が、ようやく落ちてきて──何かにあたって、粉々に砕ける。
「あらあら──お行儀のわるい」
と──敷石を砕いた何かが、聞き覚えのある声で続ける。
「やっぱり──すぐにお会いすることになりましたね」
拳を高々と掲げて、敷石を打ち砕いたのは誰あろう──聖女アラエムである。
「ここから先は、聖神様のおわす聖殿です」
言って、聖女は私たちの行く手を阻むように立ちふさがる。
私は穴から飛び出て。
「その聖神に呼ばれてきたんだけど?」
ずいと聖女の前に歩み出て、挑むように問う。
「確かに──聖神様は、マリオン様にお会いしたがっております。私の立場としては、あなた方を通してさしあげなければならないのですが──心情としては、通すわけにはまいりません」
聖女は、その顔に、わずかに憂い──いや、迷いを滲ませながらも、そう言い切る。
「──どういうこと?」
「答えるわけにもまいりません」
問い返す私に、聖女は慈母のごとく微笑む。
まったく──使徒というのは、どいつもこいつも我が強いというか、欲望に忠実というか──聖神を奉ずるのであれば、その命に従うべきであろうに、どうにも勝手気ままなことを言う。
「ならば──押し通るまで!」
穴から這い出た黒鉄が吠えて──巨人の斧を手に、前に出る。
そして、まるで棍でも扱うかのように斧を振りまわして。
「ぬうん!」
渾身の一撃を聖女に振るう。
しかし──百腕の巨人をして、自身を屠るほどと言わしめた一撃を、あろうことか聖女は片手で受け止めている。
「──化物め」
黒鉄は、自身の剛力を、その細腕で受け止めてられて、そううめくのであるが。
「──どちらがですか。魔人でもないというのに、ふざけた膂力ですこと」
聖女の方も、その一撃でわずかに後退しており、あきれるように返す。
仕切り直し、とばかりに黒鉄は斧を引いて──聖女の死角から、絶影が躍り出る。絶影は、瞬く間に聖女の懐に潜り込み、彼女の腹にそっと触れるような掌打を放つ。
「あら──」
つぶやくと同時に、聖女は吹き飛ぶ──いや、吹き飛ばされた瞬間に、その剛力で石畳を打ち抜いて、敷石をつかんでこらえている。
「もう、妙な技を使わないでくださいます?」
言って、聖女は年頃の娘のように唇を尖らせてみせるのであるが──どこの娘にそんな芸当ができようか。やはり見目にまどわされてはならない。
絶影は、まさか必殺の透しをあんな方法でこらえられるとは思ってもいなかったのであろう──心底から楽しそうに笑いながら、再び聖女に飛びかかる。
絶影は、足で石畳に透しを放って、疾風のごとく駆ける。四つ身に分身して、再び聖女に透しを放たんとするのであるが──聖女はじろりと分身を一瞥して、そのうちの一体──絶影の本体をどんと押す。
「目がよいものですから」
微笑む聖女に突き飛ばされて、絶影は吹き飛ぶ。
しかし──同時に、突き出した聖女の腕も飛んでいる。見れば、いつのまにやら、聖女の背後には、赤剣を抜き放ったロレッタが立っている。めずらしく怒りをあらわにした彼女の──絶影が突き飛ばされたからであろう──その一振りで、聖女の腕は飛んだのである。
「あら──まあ」
宙に舞う腕をみつめて、聖女は間の抜けた声をあげる。
「私の腕が飛ぶなんて──これはちょっと想定外ですね」
言って、聖女は石畳に転がった自身の腕を拾いあげて、聖句とともに傷口に押しあてる。するとどうであろう、瞬く間に傷口はふさがり、腕はもとどおりにつながって──彼女は、腕の回復を確かめるように、指先を動かしてみせる。
確かに──神に仕える聖職者には、癒しの力が宿ると聞いたことはある──が、斬り落とされた腕がつながるなど、そんなものはもはや癒しどころか奇跡の領域である。
とはいえ、赤剣が通用するのならば──旅神の弓も通用するに違いない。
「まだまだあ!」
ロレッタは再び赤剣を振るう。赤剣の乱撃ともなれば、さしもの聖女も身をかわすしか術はない。私は、ひらりと舞う聖女に狙いをさだめて──その動きを予測して、未来の彼女に向けて矢を放つ。
『貫け』
放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。聖女はロレッタの赤剣をかわして──そして、彗星の射線に立つ。彗星は、あやまたず聖女の胸を貫いて──今度ばかりは、余裕の言葉もなく、聖女はその場に膝をつく。
「エルラフィデスの聖女──討ちとったり!」
吠えて、黒鉄は止めとばかりに聖女に迫る。




