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「フィーリ、道順、ちゃんと覚えた?」
「私を何だと思っているのですか?」
旅具ですよ、と鼻息も荒く返して──鼻はないのであるが──フィーリは地下水路の案内を始める。
ルストラに教えられた道順はかなり複雑なもので、私は途中であきらめてしまったのであるが、どうやらフィーリはしかと覚えているらしい。迷いのない声で、私を導いてくれる。
水路は、進むにつれて、その姿を変える。聖都の東側の水路は、先の老爺の言のとおり、ほとんどが瓦礫に埋もれていたのであるが──次第にその瓦礫も少なくなり、堰き止めるものがなくなったからか、水は勢いよく流れ始める。
私は、水に濡れぬよう、一段高くなった通路を歩く。通路の壁には、奇妙な紋様が描かれている。それは、今までに訪れた古代の都市で目にしたものと、どこか似かよっており、おそらく同じ時代に刻まれたものなのであろう、と思う。水源から水を引いて、その水を都市に行き渡らせるための水路に、飾りの紋様などいらぬであろうに──それでもなお浮き彫りが細工されているのであるからして、古代の仕事は手が込んでいる。
どうやら、水は北から南に向かって流れている。件の水源とやらは、おそらく北にあるのだろう。聖都の北には、北方との境となる山脈がある。この水は、そこから流れ来る雪解けの水なのやもしれぬな、と思う。
水路は、次第に枝わかれして、迷路の様相を呈する。
「その先を、左に曲がってください」
フィーリの指示に従って、私は水路を折れる。もはやどこを歩いているやら、私にはわからない。フィーリと、先のルストラの案内がなければ、水路を抜けて聖殿を目指すなど、不可能であったろう、と思う、
「水の流れる音が──大きくなってる」
「水路の交わるところがあるのでしょう」
私の独り言に、フィーリが応える。
水路を行くと、水音はさらに大きくなり──ついには轟音となって響き出す。これは──この音は、水路が交わる程度で出せる音ではない。いぶかしみながら進むと、やがて視界が開けて。
「──わあ」
私は、思わず感嘆の声をあげる。
そこには、この場が地下水路であることを忘れてしまうほどの、瀑布がある。いくつもの水路が合流して、高みから流れ落ちる様は、まさに壮観である。これほどの大瀑布となると、長い旅路を思い返してみても、ちょっと記憶にはない。
瀑布は、水路の壁にぶつかりながら、さらに地下へと流れ込んでいる。壁にぶつかった水は、まるで霧のように宙に舞って──私はその霧の中を歩く。
「マリオン、あちらに飛べますか?」
フィーリの声に左を見れば、私の歩く水路と並ぶように、もう一つの水路がある。
「近道です」
並のものでは飛ぼうとさえ思わぬであろう距離をして、気軽に言ってくれるものである。
私は旅具の信頼に応えるべく、疾風のごとく駆けて、飛ぶ。届かなければ、瀑布に呑み込まれるところであるが。
『風よ!』
私は風を呼び起こして、その後押しでもって飛距離を伸ばして、隣の水路に降り立つ。
水路は、瀑布を貫くようにして、その奥──壁の暗がりへと続いている。
「この水路で間違いありません。あの暗がりを抜ければ、聖殿の下に出るはずです」
フィーリの言に頷いて、私は歩き出して──暗がりの手前で、ぴたりと足を止める。
「──どうしました?」
不意に足を止めた私に、フィーリはいぶかしげに問いかける。
「出てきなよ」
私は暗がりに呼びかける。
フィーリが気づかないのも無理はない。その闇に潜むものは、真祖の騎士を思わせるほどに、見事に気配を消しているのである。私という獲物の姿を認めた瞬間、わずかにもれた殺気を肌で感じたからこそ、私は足を止めることができたのであるが、そうでなければ、今頃まんまと不意打ちをくらっていたであろう。達人──いや、練達の狩人のごとき隠形である。
水路の先──暗がりから姿を現したのは、先に私を追いまわした魔人である──が、その姿はというと、先とはいささか異なる。
「リムステッラの巡察使──マリオン・アルダ殿とお見受けする」
魔人は、自らの隠形を見破られたというのに、笑みをたたえながら声をあげる。その姿ときたら──屈強な上半身は変わらぬのであるが、その下半身──そこには、何と馬の身体があるのである。魔人の力に、馬の脚力をもあわせ持っているとなれば、私の疾走にもついてくるはずである、と納得する。
巡察使か否かの問答は不要であろう。
「よくこの場所がわかったね」
私は挑むように答える。
「行き止まりから煙のように消えたとなると──地下に潜ったとしか考えらぬ」
人馬の魔人は、その馬の蹄で、こつこつと水路の石畳を叩きながら続ける。
「地下は、旧教徒どもの住処──奴らにかくまわれたのなら、流れ着く先はここであろうと思うたまで」
先ほども感じたことであるが、この男──魔人にしてはめずらしく、力任せなところがない。追跡や隠形は並外れて優れており、さらには頭も切れるとは──まったくもって、やりにくい相手である。
「申し遅れた。某は、人馬の魔人──名をば、サリウスと申す」
人馬の魔人──サリウスは、武人のごとく、名乗りをあげて。
「聖神様より、マリオン殿を聖殿にご案内するよう、神命を受けている」
と、意外なことを告げる。
聖殿とは、聖神の座すところのはず。そこに私を案内せよと命を受けているとなれば──神命改めの折、おとなしくつかまっていれば、この逃走は無用であったということであろうか。
「私は、聖神に会うために、聖殿を目指してる──と言ったら、素直に案内してくれるの?」
私はサリウスに問うて──奴は、返答の代わりとでもいうように、私に向かって武威を放つ。
「案内を仰せつかってはいるが──案内の方法までは、指定されてはおらぬ」
サリウスの、その武威──荒々しくも洗練されており、まるで針のように私の肌を刺す。間違いなく、並外れた武人である。
「マリオン殿はひとかどの武人であると聞き及んでいる」
「ずいぶんと肯定的な評だね」
「そう評したのは──グラム殿だ」
サリウスは、さらりとその名を告げて──思わぬところで飛び出たグラムの名に、私の胸はちくりと痛む。
「聖神様の使徒には、嫌気の差すような連中が多いのも事実ではあるが──まともな武人もいないわけではない」
グラム殿やアウルス殿のようにな、とサリウスは続ける。
「神命もあるゆえ、殺しはせぬ──が、尋常に勝負いただきたい」
サリウスは、私に一騎打ちを挑む。それは、いつぞやの魔人どもとの座興ではない──武人同士の命を懸けた勝負を所望しているのである、と悟る。
「マリオン殿の得手は弓であると聞く。某も──もとは狩人。エルラフィデス随一と自負している。此度は、ぜひとも弓で勝負いただきたいと考えているが、いかに」
いかに、と問いながらも、サリウスはすでに私を獲物とみなしている。
それにしても──と、私は苦笑する。どうりで追跡と隠形を得意とするはずである。まさか、ご同業とは──負けられぬ理由が一つ増えたというもの。
「私が使うのは、この弓だから──あなたは負ければ死ぬことになるけど」
「──構わぬ」
サリウスのその一言には、自らの技量への、並々ならぬ自信が表れており──私の負けん気が、むずむずと動き出す。
「どうやって勝負するの?」
私の問いに、サリウスはしばし思案して。
「そうだな──こういうのはどうだろう」
私とサリウスは、水路の脇の長い通路の両端に立って、互いに向かいあう。間合いは遠い。たとえ私が疾風のごとく駆けようとも、一呼吸ではたどりつけぬほどの遠間である。ゆえに──必然として、互いに弓を握る。まだ、構えはとらない。弓と矢を手にしたまま──そのときを待つ。
やがて──先に私の放った金貨が落ちてくる。それでも、まだ構えはとらない。金貨の回転する様がはっきりと見えるほどに、体感する時間が引き延ばされていく。そして、永遠とも思える一瞬を経て、金貨は通路の床に落ちて──その音が耳に届くよりも速く、私とサリウスは同時に弓を構えて、必殺の矢を放つ。
「まさか──これほどの業前とは」
サリウスが驚きと──そして、歓喜の入り混じった声をあげる。
私の放った矢は、サリウスの放った矢と、中空でぶつかりあって──両の矢は、その軌道を変えて、互いの身をかすめたのである。
この結果には、私も少なからず驚いている。サリウスの矢は、おそらく聖鋼でできている──が、いくら聖鋼の矢が相手とはいえ、こちらは旅神の矢なのである。相手の矢など、たやすく打ち砕いて、そのままサリウス自身も貫けると確信していたというのに──その必殺の矢を弾かれたのである。エルラフィデス随一の狩人というのも、あながち誇張ではあるまい、と思う。
「では──次は、こちらが放るとしよう」
言って、サリウスは懐から銀貨を取り出して、高く放る──と同時に、私もサリウスも、即座に弓に矢をつがえる。
そのとき──私は違和感を覚える。サリウスの動きが、先よりもわずかに速いように感じられたのであるが──銀貨が床に落ちて、奴が私よりも速く弓を構えるに至って、それが気のせいではないことを悟る。
サリウスは──先よりも軽い矢をつがえている。この距離であれば、軽い矢の方がより速く飛ぶと判断したのであろう。その判断は──おそらく正しい。
サリウスは、私が弓を構えると同時に、矢を放つ。私は、わずかに──ほんのわずかに後手にまわる。それは、まさに刹那というべき一瞬なのであるが──その一瞬こそが、この攻防の勝敗をわける、と奴は考えているのであろう。なぜならば、先と同じく、両者の矢が中空でぶつかりあったとして──その瞬間、サリウスの矢が、より私の近くにあれば、その矢は弾かれてなお、私の身を貫くであろうから。先の結果からすれば、当然そうなる。
しかし──それはあくまで、私が先と同じように射ればのこと。
相手に勝るように射る──そのために必要なのは、速く射ることでも、数を射ることでもなく──射るべき瞬間を知ることである。
私はサリウスの放った矢を凝視して──先よりもさらに専心して、狙いをさだめる。奴の矢の矢じり、その先端までも鮮明にとらえて──ようやく私は矢を放つ。
旅神の矢は、私の目の前で、聖鋼の矢とぶつかりあって──サリウスが勝ちを確信するように口角をあげるのがわかる。しかし──その目は、すぐに驚愕に見開かれることになろう。
私の矢は、寸分の狂いもなく、サリウスの矢の矢じりの先端をとらえる。そうすると、どうなるか。矢は弾かれることなく、真正面からの力くらべとなる。旅神の矢と正面からぶつかりあっては、いかな聖鋼の矢といえども分がわるい。
旅神の矢は、聖鋼の矢を打ち砕き、そのままサリウスの胸をも貫いて──奴の目は驚愕に見開かれる。その胸には大穴があいていて、奴はその場にどうと倒れる。
私は弓を構えたまま、サリウスに近寄る。
「──見事」
サリウスは、血を吐きながらも、しぼり出すように告げる。
「──止めがいる?」
サリウスは、魔人といえども、武人であった。その程度の情けはかけてもよかろう、と申し出る。
「──不要」
しかし、サリウスはそれを固辞して。
「小細工を弄したのが、裏目に出たか──」
あろうことか、残るわずかな命の灯火でもって、先の戦いを振り返る。
「そうだね。あなたほどの腕前なら、普通に勝負すればよかった」
「そうしていれば、あるいは──いや、結局は負けていたか」
自問するサリウスに、私は応えない。実際のところ、奴の矢に目が慣れてさえしまえば、幾度目かには同じ結果となったであろう、と思う。
「魔人になど、なるものではない──が、こうして武に敗れて死ぬるは、誉れよな」
言って、サリウスはくつくつと笑う。
そして──その笑い顔のまま、静かに息絶える。




