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エルラフィデスの聖都は、中原のまさに中央に位置する、世界最古の都市であるという。
他の古代都市が蛮族を拒絶する中、エルラフィデスだけは蛮族の信仰を許容したために、争い、滅びることもなく、今に至るまで聖地として栄え続けているのだという。
「それにしては──聖都の街並みは新しいような」
フィーリによるエルラフィデスの案内を聞きながら、私は疑問の声をあげる。
かつて目にした古代都市は、それぞれに趣は異なれども、どれも悠久の時に刻まれた美しさを感じたものなのであるが──きょろきょろとあたりを見まわしてみても、さして目新しいものもなく、中原の他の都市と変わらない印象を受ける。
「今、マリオンが目にしている街並みは、比較的新しく──と言っても、六百年以上前になりますが──再建されたものです。古代都市エルラフィデスは、この街並みの下に埋もれているのですよ」
「この下に──」
フィーリの言に、私は今まさに踏みしめている石畳を見下ろすのであるが──残念ながら、その敷石さえも新しく、感慨に浸るというほどでもない。
「そう言われても──にわかには信じらんねえよなあ」
と、石畳に転がる石ころを蹴飛ばしながら続くのは誰あろう──絶影である。
そう──絶影は、北方に戻るのを先延ばしにして、私たちに同行しているのである。曰く、命を救ってもらった恩を返さねば男がすたる、とのことであるが──そもそも、高祖の騎士と引き分けて瀕死となった彼を救ったのは、エヴァリエルなのである。私に恩を返そうとするのは筋違いであると何度も言ったのであるが──スヴェルの村で絶影の意識が戻った頃には、エヴァリエルはすでにいずこかへ旅立っていたこともあり、私に恩を返すの一点張りというわけである。まったく、頑固というか、義理堅いというか。
「何度訪れても、すごい都市だなあ、とは思うんだけどねえ」
ロレッタは、どこか含むところのある物言いをする。
「そんなに何度も訪れてるの?」
「三回、くらいかな?」
「儂も」
「俺も」
指折り数えるロレッタに、黒鉄も絶影も、似たようなものであると同意を示す。
黒鉄曰く、中原の東西を陸路で行き来するとなると、よほど無理に山越えでもしないかぎり、すべての道は聖都に通ずるのだという。
「それで、すごい都市だと思うんだけど──って、何か不満でもあるの?」
先のロレッタの物言いについて尋ねると、彼女はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに不満を吐き出し始める。
「お酒を飲めるところがね、少ないんだよね」
「清貧をよしとするから、飯も質素でのう」
「ちょっと暴れただけで、つまみだされる」
と、彼らは三者三様に不満をこぼすのであるが──最後の絶影のものだけは、いくらか筋違いではなかろうか、と苦笑する。
「あ、あった、あった」
と、ロレッタが声をあげて──私たちは、ようやく目当ての酒場にたどりつく。
中原の東西を結ぶエルラフィデスは、交通の要衝である。ゆえに、聖都を訪れるものは、信徒だけではない。旅人、商人、さらには得体のしれない荒くれた輩まで──ありとあらゆるものたちが、この都を通り過ぎていくのである。
旅人たちは、金を落とす。それゆえに──というのは、ロレッタの想像であるが──エルラフィデスは、旅人に寛容であるという。教義では禁じられている酒を出す店も、数軒ではあるものの営業を許可されているのである。
「それで──マリオンはこれからどうするつもりなの?」
酒場の最奥の席に陣取るなり、ロレッタはテーブルに頬杖をついて尋ねる。私は、あたりを見まわして──彼女の長い耳に顔を近づけて、声をひそめて答える。
「聖神を──ぶっ飛ばす!?」
ロレッタは、私の答えを聞くなり、大声をあげる。聖都で、しかもその信仰の象徴たる聖神をぶっ飛ばすなどと叫んだら──当然、酒場の客の視線は、いっせいにこちらに向く。
「何でもないです。何も言ってないです」
私は慌ててロレッタの口をふさいで、周囲の客に詫びる。酔客たちは、聞き間違えたかなというように首を傾げながら、歓談に戻る。ここが酒場でよかった、酔っ払いしかいなくてよかった、と聖神ではない神に感謝する。
「大きな声を出さないでよ!」
私はロレッタを叱りつけて──彼女が何度も頷いてみせるのを確認してから、ようやく手を放す。まったく、ロレッタの考えなしにも、困ったものである。
「グラムの死──か?」
と、黒鉄が神妙な顔で問うて──皆、私に気を遣っているのであろう、場に沈黙が満ちる。
「グラムは──もともと死ぬつもりだったんだと思う」
私は、皆のその優しさに感謝しながらも、沈黙を破る。
グラムは、かつて真祖の血族の末と戦ったことで、自らの力不足を実感したのであろう。だからこそ、力を求めて、聖神の甘言に乗り──魔人と化した。さらには、吸血鬼に血を吸われる覚悟さえして、真祖に助力をあおいでいたのであるからして──そこには尋常ならざる決意があったと言わざるをえない。
グラムの決意──それは、仇討ちを果たしたら、潔く死ぬこと。魔人と化し、さらには吸血鬼と化すやもしれぬほどの死地に赴くのである。彼がそう決意するのも無理はなかろう、と思う。
「聖女は──あるいは聖神は、グラムのその決死の覚悟を知っていて、利用したんだと思う──私をこの国に呼び寄せるために」
私は、自らの結論を口にする。
グラムの死──それが、たとえ彼自身の意思であったとしても、そう仕向けたものがいるとすれば、私は激怒する。それを見越して、奴らは私を怒らせるために、グラムに協力したのであろう。それが、私のたどりついた結論である。
「マリオンを怒らせるために、わざわざそうしたというのか?」
黒鉄は疑問の声をあげるのであるが──そうでなければ、聖女の別れ際の言葉の説明がつかない。
「私が怒って、聖神許すまじとなれば──私は必ずエルラフィデスを訪れる」
「じゃあ──まんまと誘い込まれたってこと?」
私のその結論に、ロレッタは急に不安になったものか、脅えた顔であたりを見まわす。
「誘いに乗ったってこと」
私は安心させるようにそう続けるのであるが、それでもロレッタの疑心は晴れぬようで、彼女は酒場に間者がまぎれ込んでいるとでもいうように、酔客にいぶかしげな視線を向ける。
「それは──命を懸けるほど大切なことなのか?」
と──不意に、絶影が神妙な面持ちで問う。
確かに──私が挑もうとしているのは、正真正銘の神である。神ごときものでさえ、挑むとなれば相応の覚悟が必要となるのであるからして、聖神をぶっ飛ばすともなれば、命を懸けるという絶影の言も、決して大げさではなかろう、と思う。
しかし──と、私はグラムの笑顔を偲ぶ。今なお胸を締めつけるこの痛みを思えば、命を懸ける価値がある──と、私は絶影の問いに、頷いて返す。
「旦那も、姐さんも、それでいいのか?」
絶影は、同じことを、黒鉄とロレッタにも問う。
「マリオンには──もう何度も命を救われておる」
黒鉄は、本当に命を懸けてもよいと思っているのであろう、いつになく真剣な面持ちで、真摯に答える。
「あたし、死なないらしいし」
一方で、半神ゆえに命を懸ける必要のないロレッタの言葉は軽いのであるが、それでも神に挑むに否やのないことに変わりはない。
私は二人の同意に、思わず目頭を熱くして──それが気恥ずかしくて、気づかれぬよう、真祖の外套で目もとをぬぐう。
「まったく、仕方ねえなあ」
絶影はあきれるように溜息をついて──そして、にっと笑う。それはつまり、絶影も同行するという意思の表れに他ならない。
「絶影──いいの?」
「俺は、危なくなったら、逃げるからよ」
私の問いに、絶影はうそぶいてみせるのであるが──義理堅い彼のことである。きっと逃げずに、何だかんだと最後までつきあってくれるのであろう、と苦笑する。
「みんな──ありがとう」
私は、はにかみながら礼を述べて、皆が笑顔で応える──そのときである。
「全員、その場を動くな!」
不意に、酒場の入口から声が飛ぶ。
見れば、そこには屈強な男と──その出で立ちからするに、狩人であろうか──その後ろにつき従う聖堂騎士の姿がある。その狩人の威容といったら──動くなと言うまでもない、並のものでは動けぬであろうほどの武威を放っているのであるからして、ただものであろうはずがない。おそらく──魔人の一人であろうと当たりをつける。
「神命改めである!」
魔人は酒場に踏み込んで、高らかに宣言する。




