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 高祖の牙が私の首筋に突き立つ──その瞬間。


『な──』

 私の影からあふれ出した()が、高祖を押しとどめる──どころか、そのまま押し返して。

「マリオン!」

 フィーリの声に我に返って、私は慌てて高祖から離れる。


 床を転がり、起きあがりざまに振り向く──と、そこには、私の影から伸びる、影よりも暗き闇の姿がある。闇は、高祖を覆うように広がりつつも、その根幹となる姿形は人間のそれのようにも見える。なぜにこのような異形が影から飛び出したのか、と私はあっけにとられるのであるが──続く高祖の怒声で、闇の正体を知る。


()()()()だとお!』

 黒の騎士──それは、真祖直属の四騎士のうちの、最後の一人である。


「嬢ちゃん──あんな化物を影に宿してたのかい?」

 エヴァリエルは、私を助け起こしながら、あきれるようにその闇を見やる。

「いや、私も知らなかった」

 返しながら、私もその闇を呆然と見あげる。


 此度の出立にあたって、伯爵からあれこれと手助けしてもらったのは事実なのであるが、まさか私の知らぬうちにあんな護衛までつけていたとは──伯爵の過保護にあきれつつも、命を救われたのはまぎれもない事実なのであるからして、ひとまずの感謝を捧げる。


「黒の騎士は──他の騎士とは異なります」

 フィーリが、ぽつりとつぶやく。


「あれは、正確には吸血鬼ですらありません。()()()()の欠片──それを真祖様が欲して、わずかばかりを人の型に押し込めた──闇の異形です」


 原初の闇──それは、神々が世界を形づくる以前より存在する、混沌の名であるという。目の前の黒の騎士が、そのもっとも古き闇の欠片であるとは、にわかには信じられぬのであるが──吸血鬼の高祖と同等に渡りあっているところを見るに、おそらく真実なのであろう、と思う。


「真祖様の身を守る、その最後の砦たる黒の騎士を、まさかマリオンの身を守るために貸し与えていたなんて──」

 と、フィーリは驚きのあまりであろう、言葉を失う。


 今この場に、黒の騎士が顕現しているという事実は、どうやら旅具にとっても信じられぬほどの、真祖の気まぐれ──いや、恩情のようなものであるらしい。


『真祖め! 小娘に黒の騎士をつけるとは、まさか私を滅するつもりか!』

 高祖は怒声を発しながら、自らにまとわりつく闇をかろうじて振り払って──その一瞬の隙をついて、その身を無数の蝙蝠と化して、闇から逃れんと大広間の宙を舞う。


 私は、その蝙蝠の群れに向けて、おもむろに旅神の弓を構えて。

「──そのとおりだよ」

 と、伯爵の言葉を代弁する。伯爵は間違いなく、私が高祖を滅ぼしてもよいと考えている。その証拠に──私は、高祖を倒すための、その本命ともいうべき策を授けられている。


「高祖──()()()()()()()()()()()()

 私は、伯爵より教えられた高祖の真名を唱える。


 それだけで──高祖は、蝙蝠としての変化をたもてなくなり、無様にもテーブルの上に落ちる。テーブルを割り、料理を撒き散らしながら──高祖は、先までの威厳などなかったかのように、私の射線から逃げまどう。吸血鬼にとって、真名を知られるというのは、それほどにおそろしいことなのであろう──今ならば、たとえ高祖であろうとも殺せると確信して。


『貫け!』

 放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。彗星は、高祖の心臓を貫かんと迫るのであるが、奴はわずかに身をそらして──その一撃を肩で受けて、わざと吹き飛ばされて、死地から逃れんとする。


 しかし──その程度のことは織り込み済である。高祖の吹き飛ばされた先に待ち構えているのは誰あろう──剣聖エヴァリエルである。


「──()()()

 言って、エヴァリエルの神速の一閃が、高祖の心臓ごと、その胴を両断する。それは、例の線をなぞった、必殺の一閃だったのであろう──わかたれた高祖の身体は、その断面から徐々に灰と化しながら宙を舞う。


「──しまった!」

 しかし──エヴァリエルはその勝ち誇った顔から一転、自らの失態に舌打ちする。見れば、斬り飛ばされた高祖の上半身は、あろうことか、横たわるグラムの上に覆いかぶさるように落ちたのである。


「グラム!」

 私は、高祖の身体を蹴り飛ばすべく、グラムに駆け寄ろうとするのであるが──時すでに遅く、高祖はグラムの首もとに噛みついている。


『はあ──傷ついた身体に染みわたる』

 高祖はグラムの血を吸って、活力を取り戻したようで──見れば、身体の灰化は止まっている──どころか、再生すら始まっていて、見る間に下半身が補われて、その場に立ちあがる。


『さあ、聖神の騎士よ──奴らを殺せ』

 高祖の命に従って、グラムも立ちあがる。


「グラム!」

 私の呼び声にも応えず──グラムは冷たい目で私を見すえる。そして、おもむろに聖剣を振りかぶり──振りおろす。


『──()()

 高祖はつぶやいて──斬り落とされた自らの右腕を、呆然とみつめる。

「なぜ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 高祖の疑問に答えるのは、私の前で不敵に笑うグラムである。


 そう──グラムが斬ったのは、私ではない。聖剣を振りおろしながら振り返り、背後の高祖の右腕をこそ、斬り落としているのである。


「それはな──お前よりも()()()()()()に、すでに()()してるからだよ」

『──真祖』

 グラムの種明かしに、高祖は怨嗟の声をあげる。

「そう、俺は真祖に隷属して、こう命を受けている──()()()()()、ってな」

 そう告げて、グラムが聖剣を構えた──そのときである。


「──捕まえましたよ」

 無邪気な声で言って、高祖を背後から抱きしめるのは誰あろう──聖女アラエムである。

「もう蝙蝠になって逃げることもできないんですよね。迂闊でしたね」

 見れば、聖女は高祖をやわらかく抱擁しているのであるが──高祖は、真名を看破されたことによるものか、その細腕を振りほどけないでいる。


「おい──いいんだな?」

「ええ──どうぞ」

 グラムの問いに、聖女は笑顔で頷いて。


 グラムはその聖剣で、聖女ごと高祖の心臓を刺し貫く。


 真名を看破されて、さらに聖神の神具たる聖剣で心臓を貫かれては、さしもの高祖もただでは済まなかったようで、血反吐を撒き散らしながら、苦しみ悶える。


「──楽しかったよ」

 告げて、エヴァリエルが曲刀を振りおろす。その一刀は、わずかに高祖の命をつないでいた線を断ったようで──高祖は、真祖への怨嗟を叫び続けながら、やがて灰と化して消える。


 グラムは大きく息をついて──緊張の糸が切れたように、その場にへたり込む。それは私も同様で、ほう、と息をつきながら、グラムの無事に──いや、無事とは言い難いか──安堵の胸をなでおろす。


 一方で、聖女はというと──聖剣で高祖ともどもその胸を貫かれたはずであるというのに、そこには傷一つなく──グラムとエヴァリエルを称賛するように、笑顔で手を叩いている。もしかすると、聖神の神具たる聖剣は、聖神の使徒を傷つけることはないのやもしれぬ──が、だからといって、自らの胸を貫かせようとは、ずいぶんと肝のすわった聖女である。


『──お嬢』

 と──不意に、神代の言葉で呼ばれて、驚いて振り返る。そこには、闇の異形──いや、黒の騎士がたたずんでいる。黒の騎士は、おずおずと古風な辞儀をしたかと思うと──私の影にするりと潜り込む。私は自らの影を何度か踏んで──踏んだからといって、ぬっと出てくるわけでもないのだなあ、と妙なことに感心する。


「そうだ──グラム!」

 私は、思い出したように、グラムに駆け寄る。


 グラムは、吸血鬼の高祖に噛まれたのである。真祖の力によって、その呪縛からは逃れたものの、吸血鬼と化してしまったことに変わりはない。その身を案じるなというのも、無理な話である。


 私がグラムのもとに駆けつける──よりも早く、聖女がグラムに手を差し伸べる。

「グラムさん、よくやりましたね」

 彼女の手は、グラムを助け起こすつもりで伸ばしたように見えるのであるが──当のグラムは手を取らず、きっと聖女をにらみつける。


「これで──()()は果たしたからな」

「ええ、よい契約でした」

 グラムはそう言い放って、聖女は満足げに頷く。


 契約──聖神の力を得る代わりに、緋衣の血族を滅ぼすとでも約していたのであろうか。そうだとすると、ずいぶんとグラムに都合のよい契約である、と思わなくもない。


「ほら──返すぜ」

 言って、グラムは聖神の神具たる聖剣を聖女に差し出す。

「──確かに」

 聖女は、伸ばしていた手でそれを受け取って、愛おしそうに懐に抱く。


「それでは、マリオン様──ごきげんよう」

 聖女は振り返って、長衣の裾をつまんで、優雅な辞儀をして。

「また、()()()()()()()()やもしれませんね」

 そして、意味ありげに笑って──そのまま振り返ることもなく、大広間を後にする。


「まったく──剣呑な聖女様だったねえ」

 言いながら、曲刀を鞘におさめるのは、エヴァリエルである。高祖に止めを刺せたことが、よほどうれしかったものと見えて、めずらしくにやついていて──その顔を見るかぎり、より剣呑なのはこの婆さんの方ではないか、と思わなくもない。


「そういえば──嬢ちゃん、あの()()は死んだのかい?」

 と、エヴァリエルは、ふと思い出したというように、私に尋ねる。あの若造──それは、おそらく絶影のことであろうと思い至って。

「いや、居館の東の廊下で伸びてるはずだよ」

 私は、絵画越しに見た絶影の状況を伝える。フィーリの傷薬の効果もあって、伸びているだけ──のはずである。たぶん。

「じゃあ、あたしが若造を回収してくるから──あんたはそこのでかいのと話をつけな」

 エヴァリエルはそう返しながら、なぜかグラムの肩を叩いて──私の返事も待たずに、すたすたと歩き出す。


「──恩に着る」

 グラムは、エヴァリエルの背中に礼を述べる。老エルフは、振り返りもせずに、手をひらひらと躍らせて──大広間を後にする。


 そうして──大広間には、私とグラムだけが取り残される。


 私は──いまだに口が開けないでいる。復讐こそ遂げたものの、自ら吸血鬼と化してしまったグラムの心中を思うと、どうしても言葉がみつからないのである。


 やがて──その居心地のわるい沈黙を破るように、グラムの方から口を開く。

「さて──と」

 つぶやいて、グラムは立ちあがる。先まで満身創痍であったというのに、吸血鬼と化したからであろう、今やその蒼白い肌には傷一つない。


「マリオン──」

 グラムは私の名を呼んで──おもむろに告げる。


「──()()()()()()()


「──何?」

 私は、聞き間違えたものと思って、笑いながら問い返すのであるが──グラムは困り顔で苦笑するばかり。

「──何で!」

 それが聞き間違いではないのだと悟って、私は声を荒げる。


「何でって──俺のもっとも嫌う吸血鬼に、俺自身がなっちまったんだ。殺してくれと願うのも、当然のことだろ」

「当然のことなんかじゃないよ! 伯爵のおかげで、これからも自由でいられるんでしょ──だったら!」

 だったら、死ぬ必要なんてないではないか、と私はグラムに詰め寄る。


「俺は、人間の血を吸ってまで、生きながらえるつもりはねえ」

 私の懇願を、しかしグラムは言下に退ける。


 その決意は固いようで、グラムに一切の逡巡は見られない。もしかすると、そもそも魔人となった時点で、復讐を遂げたら死ぬつもりだったのやもしれぬ、と思う。


「なあ──頼むよ。こんなこと頼めるのは、お前しかいないんだ」

「そんな言い方──ずるいよ」

 グラムにそんな言い方をされると、断れなくなってしまう。


「もう──思い残すことはないの?」

「──ああ」

 何とか引き留めようとする私に、グラムは短く答える。その顔は晴れやかで、私くらいの存在では、彼の未練にもなりえないのだと悟って──そのやるせなさが、私の胸に棘のように刺さる。


「トリスティアって娘のこと──好きだったの?」

 私は、どうしても気になっていたことを尋ねる。

「ああ──誰よりも大切な人だった」

 グラムの答えに──私の胸は、さらにちくりと痛む。


 グラムの愛したトリスティア──たとえ彼女がこの場にいたとて、きっとグラムの願いをかなえることはできない。彼の願いをかなえることができるのは、彼の名を知り、かつ吸血鬼を屠ることのできる強さを持つ──私だけなのである。


「──わかった」

 意を決して、私は旅神の弓を構える。

「ありがとう」

 言って、グラムは微笑む。それは、いつか見たような、屈託のない、安らかな笑顔である。


「お前は──本当にいい狩人だ」

 グラムは、いつかのようにそう言って──目を閉じる。私は、涙がこぼれそうになるのを、下唇を噛んで、必死にこらえる。


「──グラム」

 目の前の吸血鬼の真名を呼んで、その心臓に狙いをさだめる。


「さようなら」

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― 新着の感想 ―
ををを… 黒鉄の腕が生えたとき(災禍の9でした)くらい情報が渋滞している… 真祖様、ここまで過保護なら、 旅から帰ってきて報告はまだかまだかとソワソワしてたんでしょうね それは不機嫌にもなりますね笑…
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