10
「──ご加護を!」
聖女がその場に跪いて、祈りを捧げる──と、彼女を中心として、周囲に光の膜が広がり、私たちの身体をやわらかく包み込む。
「──手出しすんなよ」
「わかりました。グラムさんが死ぬまで待ちます」
グラムは聖女に向かって凄んでみせるのであるが、彼女はどこ吹く風──笑顔で手を振りながら、後ろに下がる。
一方で──エヴァリエルは、私と高祖との間に割って入り、曲刀を抜きながら告げる。
「嬢ちゃん──まずはあたしにやらせておくれよ」
「──そのつもりだよ」
返して、私はエヴァリエルから離れる。
高祖と戦う術は──実を言えば、いくつかある。しかし、それらの術にどれほどの効果があるやらわからぬ以上、使いどころは吟味したいところ。先にエヴァリエルが戦ってくれるというのであれば、私はその好機を探ることに専念できるというもの。否やはない。
そして──グラムとエヴァリエルが、同時に床を蹴る。
グラムは、獅子のごとき咆哮をあげながら、リディルに迫る。その猛進から繰り出される一閃は、並の吸血鬼であれば大広間の端まで吹き飛ばされるほどの強撃なのであるが──リディルは自らの剣でそれを受け止めて、何と微動だにしない。
「魔人程度の力を得たくらいで、僕に敵うとでも思ったのかい?」
リディルは舌を出して、グラムを嘲る。魔人とまでなり果てて、復讐に燃えるグラムが、それでも自らより弱いという事実──それは、リディルにとって、その嗜虐心の飢えを十分に満たすほどの愉悦なのであろう、と思う。
グラムは、リディルの挑発を意に介さず、暴風のごとく大剣を振りまわす。しかし、その刃がリディルに届くことはなく──逆に、リディルの刃が、グラムの身を少しずつ斬り刻んでいく。
一方で──エヴァリエルは、高祖の前で足を止めている。先の言から察するに、高祖の身体に見える線が浮かんでは消えて、攻めあぐねているのであろう、と思う。
『──こないのかね?』
言って、高祖は無造作に間合いを詰める。
『剣聖エヴァリエル──君には、私の血族もずいぶんとやられているからね。ここらで死んでもらうとしよう』
「殺すとはまた無体な。下僕にすれば、あたしほど役立つものもいないだろうに」
高祖の言に、エヴァリエルはそううそぶいてみせる。
『──老婆の血は吸わない主義でね』
「さすがにあんたよりは若いだろう──よ!」
高祖の嘲るような返答に、エヴァリエルはついにその曲刀を振るう。
それは、先の血剣の騎士との戦いで目にした、極超の神速の一閃である。私の目でも追えぬほどのその一閃を──しかし、高祖は手刀で受けている。
「何を食ったら、そんなふざけた身体になるんだい?」
『しいて言うなら──人間かな』
エヴァリエルのあきれ顔に、高祖は不敵に笑う。
エヴァリエルは再び曲刀を振るうのであるが、高祖はその都度それを手刀で受ける。おそらく──高祖の手刀には、例の線は見えていないのであろう。エヴァリエルは、高祖の身体に見える線まで曲刀を届かせんと、その手数を次第に増やしていくのであるが──高祖は余裕の顔でそのすべてを受け切って、さらには反撃さえしてみせる。とはいえ、その手刀も、エヴァリエルには届いていないから──はた目には、両者の実力は拮抗しているように見える。
と、大広間に鈍い音が響いて──どうやら、先に戦況が動いたのは、グラムとリディルの方である、と慌ててそちらに目をやる。
そこには、グラムの暴風のごとき猛攻の、そのすべてを受け切ったリディルの姿がある。いや──それどころか、奴はグラムの大剣に大きな亀裂さえ刻んでいる。
「せっかく魔人の力を手に入れても、武器がそれではね」
リディルは指摘しながら、グラムの大剣に一太刀浴びせて──次の瞬間、グラムの大剣は半ばから折れて、その切っ先が床に転がる。それは、リディルの技量によるもの──というよりは、魔人と化したグラムの剛力に、大剣の方が耐えきれなかったというべきなのかもしれぬ、と思う。
「あの世でトリスティアに愛を告げるがいいさ」
言って、リディルは剣を振りおろす。その剣は、グラムの獅子頭を両断せんと迫り──そして、逆に刀身の半ばからを砕かれて、その欠片が宙に舞う。
「──な」
リディルは、折れた剣を目にして、絶句する。
グラムは折れた大剣を捨てて──外套の下に隠し持っていたと思しき長剣を抜いている。その、聖鋼よりもまばゆき長剣──高祖の騎士の一撃を弾き返したのであるからして、並の剣であろうはずがない。
グラムは、呆然と立ち尽くすリディルに、長剣を振るう。それは、先までの暴風のごとき剛剣ではなく──まるで流水のような精妙なる剣技である。リディルは我に返り、折れた剣で応戦するのであるが──グラムの長剣は、その剣をたやすく両断し、返す一閃でリディルの右腕すら落としてみせて──ついには、その心臓をも刺し貫く。
「高祖の騎士たる──この、僕を」
リディルは、自らの胸を貫く剣を目にして、呆然とつぶやく。
「魔人程度の力では敵わないってんならよ──聖神自身の力ならどうよ」
グラムの隠し持っていた長剣は、おそらく吸血鬼討伐の奥の手だったのであろう──彼はリディルに顔を寄せ、その目をきっとにらみつける。
「あれは──聖神の神具!?」
私の胸もとで、フィーリが驚愕の声をあげる。
「──聖剣です。私も初めて目にします」
旅具の声は、めずらしく興奮の色を帯びている。
フィーリが初めて目にするほどの神具となると──おそらく、本来はエルラフィデスに秘蔵されており、外に出ることなどないようなものなのであろう、と思う。
「貴様──自らの力では勝てぬからと、そんなものまで持ち出すとは──」
リディルは、怨嗟の声をあげながら、グラムをにらみ返すのであるが。
「はっ! 吸血鬼の力を得てはしゃいでいる貴様に、そんなことをとがめられる筋合いはねえ!」
自身の真名を知る相手に、しかも聖剣で心臓を貫かれては、さしもの高祖の騎士といえども、滅びから逃れることはできぬようで──リディルは、刺し貫かれた心臓のあたりから、じわりと灰と化している。
「僕は、永遠の命を、手に入れたんだ──」
リディルは、自らの心臓を貫く聖剣を抜こうとして、その刀身を握り──そして、聖剣から拒絶されるかのように、その両手を焼かれて、叫び声をあげる。
「お前とトリスティアが幸せになってくれれば──それだけでよかったのによ」
つぶやいて、グラムは聖剣を、さらに押し込む。リディルは、もはや声を発することもできぬようで、絶望の顔でグラムをみつめる。
「あばよ──リディル」
グラムが告げる──と同時に、リディルは、その身のすべてを灰と化して崩れ落ちる。グラムは、その様を放心するようにみつめて──自らもまたその場に倒れる。おそらく──吸血鬼との、連戦に次ぐ連戦で、すでに満身創痍だったのであろう。最後の方は、気力だけで戦っていたのやもしれぬ、と思う。
高祖は、エヴァリエルとの戦いの最中であるというのに、灰と化して滅びるリディルを、ちらと見やる。
『まったく──役立たずどもめ』
その言葉は、リディルのみに向けられたものではなく──おそらくは、不甲斐なく敗れたすべての高祖の騎士に対してのものであろう、と思う。
「舐められたもんだね!」
エヴァリエルは初めて怒気を放つ。自らの猛攻を、手刀でさばかれながらの、よそ見である。剣聖の矜持を思えば、その怒りももっともであろう、と思う。
エヴァリエルは、仕切り直すように一歩引いて──曲刀を構える。
そして──ただ、一振り。
その一閃は、先のような極超の神速──ではない。もちろん神速ではあるが、高位の吸血鬼であれば十分に対応できる速度で──実際、高祖もその一閃を打ち落とさんと手刀で迎え撃つ。
しかし──エヴァリエルの曲刀は、その手刀をするりとすり抜けて──そうして、私はようやく気づく。あれは──あの一閃こそは、いつぞや黒鉄に放った秘剣である、と。
エヴァリエルの秘剣は、高祖の左腕の、その半ばまでを斬り裂いて──そこで止まる。
『──ほう』
と、高祖は感嘆の声をあげるのであるが──エヴァリエルはというと、悔しそうに舌打ちをしながら、曲刀を引き抜く。おそらく、エヴァリエルの秘剣は、例の線を途中までしかなぞれていないのであろう。その証左に、高祖の傷はすぐにふさがり始める。
高祖は、左腕の回復に集中するためであろう、エヴァリエルから間合いをとるように、一歩下がる。その一歩は、無造作な──そして、隙だらけの後退である。
その一瞬の隙をこそ、私は待っていたのである。
私は、戦いを見守っている間、ずっと生命力を練っていた。自らの丹田──へそのあたりが、先の絶影のごとく、光り輝いているのを感じて──疾風のごとく駆けて、高祖の背後から飛びかかる。高祖は、私の接近に気づいて振り返り、それを手刀で迎え撃つ。
高祖の手刀が斬り裂いたのは──しかし、闇である。
私は、多重の分身を、分身として用いるのではなく、自らに重ねることで、達人の見切りすら欺く幻惑の闇をつくり出しているのである。
『──な』
これには、さすがの高祖も驚いたようで──私は、グリンデルに感謝しながら、高祖の懐に潜り込む。
私は疾風のごとく──大地を踏み込む。大地を穿つほどの衝撃を、関節を連動させることで増幅して、身体をねじりながら手のひらにまで伝えて──高祖の胸にそっと触れるような掌打を放つ。
疾風のごとき踏み込みと、関節の連動──凄まじい衝撃は、さらに増幅されて、私の身体を伝わり、練りに練った生命力とともに、手のひらからほとばしる。
「──透った」
雷のごとく──降魔の衝撃が高祖を貫いて、私は勝利を確信する。
「透ってないよ!」
しかし──エヴァリエルは、私の注意を喚起するように叫んで──見れば、高祖の胸のあたりが、無数の蝙蝠と化していることに気づく。結果、心臓のあるはずの部分には、ぽっかりと穴があいていて──私の放った衝撃は、その穴を通り抜けただけで終わる。
謀られた──と、悟ったときには、もう遅い。
『そのような児戯が本当に通用すると思っているとは、何とも健気なことよ』
言って、高祖は立ち尽くす私を見下ろす。
武侠の絶技「降魔」──さも自らにも効果があるようなことを言っておきながら、高祖はそれが致命の一撃にはなりえないことを知っていたのである。私はまんまと騙されて、今や隙だらけで高祖の前に身をさらしている。
高祖は、瞬く間に全身を無数の蝙蝠と化し、私にまとわりつくように飛んだかと思うと──気づけば、背後から私を抱いている。
『真祖の友──その血を吸うという背徳! ああ! 血が昂る!』
高祖は、自らの牙を突き立てんとしているのであろう──奴の吐息が、私の首筋にかかる。




