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私は、誰も選ばなかった扉──玄関広間の左の扉を選んで、奥に進む。
廊下は、先の玄関広間にくらべると、どこかもの寂しく──おそらく、客を迎えるための通路ではなく、城の従者などが用いる通用のものなのであろう、と思う。
城には、いくつかの大きな気配がある。そのどれもが邪悪な気配なのであるからして、吸血鬼のものと考えて相違なかろう。真祖の騎士たる青や赤が、その気配を完全に断つことができるのであるから、高祖やその騎士も同様に気配を断てるのであろうに、わざわざそれをあらわにしているのは、慢心──そして、私たち侵入者に対する挑発であろう、と思う。
私の進む先にも、吸血鬼の気配がある。私はフィーリから旅神の弓を取り出して、構えながら歩いて──そして、廊下の角の前で、足を止める。
来る──私は、いつでも矢を放てるように、その気配に狙いをさだめる。しかし、廊下の角を曲がって、私の前に現れたのは、おぞましい吸血鬼──というよりも、城に仕える単なる侍女のように見える。
「マリオン様でいらっしゃいますね」
侍女は確認するように告げて──まるで、賓客にそうするように、古風な辞儀をして。
「どうぞこちらへ」
私をどこかに案内しようというのであろう、無防備に背中を見せる。もちろん、この侍女も吸血鬼である。このまま背中から心臓を射れば、おそらく滅することができよう──が、私のことを知っているという事実が、どうしても気になる。私は、いつでも侍女を殺せるよう弓を構えたまま、その背中を追う。
侍女は、私を居館の奥の扉まで案内して。
「それでは、失礼いたします」
と、その場を辞して──私は、侍女に案内された部屋に、慎重に足を踏み入れる。
そこは、巨大な大広間である。部屋の四方には、壁を埋め尽くすほどの絵画が飾られており、その血を思わせる色味に、知らず怖気がわいてくる。
部屋の中央には、長大なテーブルがある。盛大な晩餐会が開けそうなほどのテーブルであるが、吸血鬼の主催ともなると、そこに並ぶのは人間の骸なのやもしれぬ、と不気味な想像をしてしまう。
『ようこそ、我が城へ』
と、不意に声が飛んで──私は、まったく気配のなかったはずの、声の出どころを見やる。
長大なテーブルの端──私の位置からするとテーブルの遠く逆側に、緋色の衣をまとった黒髪の吸血鬼が座している。吸血鬼は、私がそちらに目をやると同時に、隠していた気配をあらわにする。その強大な気配──さすがに真祖たる伯爵には及ぶべくもないが、緋衣の血族の長──件の高祖と考えて間違いあるまい、と思う。
『真祖の友──マリオン・アルダ殿』
高祖は立ちあがり、私を歓迎するように、その両手を広げる。その口にする言葉は、真祖とそれ同じく、神代の言葉であり──私は、目の前の高祖が、神ごときものに近しい力を持っていると確信する。
「私のことを知ってるの?」
『もちろんだとも。真祖の友となった人間など、そうはいないのだからね』
私の問いに、高祖は苦笑しながら答えて──どうやら、私の知らぬ間に、吸血鬼の界隈では名が知れているようである、と悟る。
『さあ、かけたまえ。君を害するつもりはない──少なくとも、今のところはね』
言って、高祖は片目をつぶってみせる。その所作は、真祖のそれにくらべると、その若さゆえか、いくらか浮ついて見える──が、そもそも緋衣の血族は、その性、残忍のはずである。私が真祖の友でなければ、どう扱われていたやら、知れたものではないのであるからして、警戒を緩めることはできない。
『これほど多くの客人を城に招き入れるのは初めてのことで、年甲斐もなく胸が躍ってしまってね。私一人で楽しむにはもったいない、さりとて近隣に友はおらぬし──どうしたものかと思案しているところに、君の姿をみつけてね』
同席してもらおうと思ったわけさ、と高祖は続ける。
私は警戒を続けながらも、高祖にうながされるまま、対面のもっとも遠い席に腰をおろす。旅神の弓は、いつでも手に取れるよう、膝もとに置く。高祖はそれを見届けて、満足げに頷いて、おもむろに指を鳴らす──と、高祖の背後の扉から、幾人もの侍女が現れて、大広間に料理を運び込む。長大なテーブルは、あっという間に料理で埋め尽くされて──その何とも食欲をそそる香りに、私の腹は主の許しも得ずに、ぐうと音を鳴らす。
『毒を盛るなど、無粋なことはしない。うちの料理人が、久々に腕を振るった料理だからね。ぜひとも堪能してくれたまえ』
高祖は、私の腹の音に苦笑しながら、そう告げて──私はテーブルの突き匙を手に取る。
「ちょっと──マリオン!」
料理に無造作に手を伸ばす私をとがめるように、フィーリが声をあげて。
「大丈夫だよ」
返しながら、私は卓に供された肉料理を突き匙で口に放る。
フィーリの心配はもっともである──が、高祖は毒殺なんてまわりくどいことはするまい、とも思う。なぜならば、高祖は──その気の抜けた態度からするに──私を殺すことなど造作もないと考えているに違いないからである。敵に見くびられているからこそ、気兼ねなく料理に手を伸ばすことができるというのも、皮肉なものである、と思わなくもない。
『──いかがかな?』
「おいしい」
供された肉料理は、もちろん人の肉ではなく、おそらく牛の肉である──が、さすがは吸血鬼の料理人というべきか、血も滴るような焼き加減は絶妙で、やわらかく、噛むと肉汁があふれ出す。
『それは重畳』
私の答えに満足したものか、高祖は酒杯を手にして、ぐいと傾ける。
『お──っと、そろそろ戦いが始まるようだ』
と──高祖は、私にはわからぬ何かに気づいたようで、妖しく笑う。
『さあ、ともに血の饗宴を楽しもうではないか!』
告げて、高祖が手を叩く──と、壁面の巨大な絵画が描き変わる。いや──あれは、ただの絵画ではない。この城のどこかの風景を、絵画として描きとっているのだと悟って、私は驚嘆の声をあげる。




