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スヴェルの村より北西に──私たちは雪山をのぼる。
一行の先頭に立つのは、エルラフィデスの聖女──アラエムである。あのような細身の娘に、雪山の、それも先頭に立っての行軍など無理ではなかろうか、と危ぶんだところで──すぐに思い直す。聖女は聖神の使徒である。しかも、魔人をも凌駕する、完全なる使徒なのである。そんな聖女であれば、豪雪をかきわけての行軍も可能であろう、と先頭を見やる──と、いつのまにやら、聖女を中心に、光の膜のようなものが、私たちを覆っていることに気づく。
「吹雪だっていうのに、それほどでもないのは、あれのおかげなのかねえ」
私が膜を見あげていると、絶影もその存在に気づいたようで、感嘆の声をあげる。
そう──その光の膜は、完全とは言えぬまでも、吹雪を遮断しており、膜に包まれた私たちの行軍を、より容易なものとしているのである。他のものも、ちらほらとその奇跡に気づき始めたようで、皆一様に聖神への感謝を口にする。
一行は、縦に長く伸びて進む。私は聖女の加護から飛び出して──真祖の外套があれば、さほどつらい吹雪でもない──前に後ろに冒険者の顔をのぞき込むのであるが、グラムの姿はどこにも見当たらない。
考えられる可能性は二つ。
一つは、私がスヴェルに至るまでのどこかで、グラムを追い抜いてしまったという可能性である。たいそう間抜けな話ではあるが、そうなのであれば、グラムの身に危険はないともいえる。
もう一つは、グラムが聖女一行よりもさらに先行して──独行しているという可能性である。グラムの性格を考えると、こちらの可能性の方が高いように思えて頭が痛いのであるが──そうだとすると、吸血鬼の、それも高祖の血族を一人で相手にすることになるのであるからして、無謀にもほどがある。緋衣の城にたどりついたならば、すぐにグラムを探さねばなるまい。
一行は、さらに雪山の奥深くにわけ入る。雪も風も、聖女の加護をも貫いて、身を凍えさせるほどで、すでにいくらか脱落者も出ている──とはいえ、この程度で脱落するものなど、緋衣の城にたどりついたところで、吸血鬼の下僕となるだけであろうから、まだスヴェルに帰り着ける可能性があるだけ、ここらで脱落した方がましなのかもしれぬ、と思わなくもない。
「どうやら──そろそろのようだねえ」
言って、エヴァリエルが手庇をして、吹雪の奥を見やる。月明りも届かぬ荒天で、手庇もなかろうに、と思いつつも、私も彼女を真似て、手庇をして、目を凝らす。
「──何にも見えない」
しかし、私の目をもってしても、雪以外のものは何も見えず──剣聖は苦笑しながら、聖女の加護の外に出て、おもむろに腰から曲刀を抜いて、無造作に振るう。
剣聖の一閃は、絶え間ないはずの吹雪をも途切れさせて、ほんのわずかな間だけ、視界を鮮明にする。
「──おお」
そして、私は確かに見る。眼下の谷間にそびえる──黒い尖塔を。
一行は、吹雪を抜けて、谷間に出る。
その途端──先までの吹雪が嘘のように、荒天は静まる。雲間からのぞく満月が、眼前にそびえる黒い城を、妖しく照らし出す。伯爵の城は、青空に鮮烈に映える黒であったが──こちらは、月明りと雪に彩られた妖艶な黒である。
一行は、開け放たれた城門をくぐり、城に至る。
「黒い城──じゃねえな、これは」
絶影は、城の外壁に近寄って、鼻を鳴らす。私もそれに倣ってみる──と、鼻をつくのは、血の香りである。外壁の黒は、その上から赤い顔料を塗ったかのように赤黒い。見あげれば、城の尖塔には早贄のごとく突き刺さったいくつもの骸があり、そこから垂れる血が外壁を赤黒く染めていることがわかる。
聖女は、尖塔に刺さった骸を見あげて、わずかに顔をしかめて──しかし、そのまま何事もなかったかのように歩みを進めて、居館の扉の前に立つ。すると──触れてもいないというのに、扉は音を立てて開いて。
「あらあら、どうやらお招きいただけるようですよ」
言って、聖女は罠を警戒することもなく、するりと扉を抜ける。
聖女に続いて、一行も玄関広間に入る──と、居館の扉は音を立てて閉じる。それは、城に入り込んだものを決して逃さぬとでもいうような、何ともいえぬ悪意を感じさせるのであるが──さすがに、ここまで残った冒険者ともなると、誰一人うろたえるものなどいない。皆、身体に積もった雪を払い落として、戦いに備えて準備を始める。
「──おい!」
と、冒険者の一人が声をあげて──彼の指す先、玄関広間の一画に目をやると、そこには吹雪の中ではぐれたはずの冒険者の、むごたらしい姿がある。彼らは皆一様に、身体中の血液を吸い尽くされたかのように干からびており、触れただけで壊れそうなほどに乾いている。
「異端者どもめ、我らを愚弄するか!」
打ち捨てられた骸の山を目にして、大司教が声を荒げる。
おそらく──彼らは強行軍から脱落した後、この城に巣食う吸血鬼によって狩られたのであろう。その血を吸い尽くしているにもかかわらず、下僕にするでもなく、その骸を捨て置いているというのは──確かに、大司教の言うとおり、私たちを嘲っているのであろう、思う。
「まあまあ、猊下、お気を静めて」
聖女は大司教をなだめながら、その骸の山に手をかざして、何やら聖句を唱える──と、彼女から発せられた光が、骸をやわらかく包み込み、彼らの苦悶に満ちた死に顔は、どこか安らいだものに変わる。その様は慈愛に満ちあふれており、さすが聖女と呼ばれるだけのことはある、と私は素直に感嘆する。
「さて──皆さま、先に進みましょう」
そして、聖女は何事もなかったかのように告げて、皆に出立をうながす。
「なあ、聖女様よう──」
と──そこに異を唱える声があがる。見れば、それは冒険者の中では、一等手練れであろう──もちろん絶影とエヴァリエルはのぞく──禿頭の男である。
「報酬は、吸血鬼一匹屠るごとに支払われるってことでいいんだよなあ?」
禿頭は聖女に尋ねる。
「ええ──緋衣の血族は、その証として、高祖より与えられた真紅の指輪を身に着けているといいますから、その指輪の数をもとに報酬をお支払いするつもりです」
聖女の答えに、なるほど、と頷く。吸血鬼は、その身を滅ぼされると同時に灰と化すのであるからして、討伐の証としては骸以外のもので示す必要があろう。
「だったらよう──別行動でもかまわねえよな?」
「ええ、もちろん」
禿頭の申し出に、聖女は笑顔で頷く。
吸血鬼を相手に数の利を捨てるなど、普通に考えれば正気の沙汰ではない。しかし、多勢で吸血鬼を討伐しても、報酬は頭割りとなろうから、報酬を最優先とするのであれば、その判断も理解できなくはない。禿頭はよほどの自信があるようで、聖女の許可を得るや否や、仲間とともに近くの扉に消える。
「あたしも、別行動させてもらうよ」
次に声をあげたのは──剣聖エヴァリエルである。その申し出に、しかし私が驚くことはない。剣に生きる老エルフのことである。どうせ、数の利があっては存分に斬れぬ、などと考えているのであろう、と思う。
「どうぞどうぞ──他の皆さまも、別行動される方はご随意に。そうでない方々は、私どもと一緒においでくださいませ」
聖女は笑顔で告げる。その笑顔からは、冒険者などという有象無象がいなくとも、自らだけで足るという自負が滲み出ている。
「俺も別行動させてもらうぜ」
絶影は、聖女に──ではなく、私にそう耳打ちする。
「一人で大丈夫?」
「俺様を誰だと思ってやがる」
絶影の身を案じる私に、当代の武侠はそううそぶいてみせる。
「武侠の奥義は、お前に見せたもんだけじゃない」
絶影はそう言って、にやりと笑う。私に見せていない奥の手──何か吸血鬼を屠ることのできるような奥義があるということであろうが、私との同行を拒むのは、その奥義に裏打ちされた自信によるもの──だけではあるまい。
「ああ──それを私に見せたくないってことね」
「ご名答」
絶影はいたずらっぽく笑いながら答えて──手をひらひらと躍らせながら、大階段の脇の扉に消える。武侠の奥義──見てみたかったなあ、と唇を尖らせながら、その背中を見送る。私に技を盗まれることを警戒して、同行を拒むとは、まったく器の小さい男である。
「マリオン様も、お一人で?」
聖女に問われて──見れば、残りの冒険者は聖女一行との同行を決めたようで、去就の決まらぬものは私だけとなる。私はしばし思案して──聖女に頷いて返す。もしも、グラムが独行しているならば、一人の方が探しやすかろう。
「それでは、ご武運を」
告げて、聖女一行は、正面の扉を開いて、居館の奥へと進む。そうして──玄関広間には、私一人だけが残る。




