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『──遅い』
私たちは古城の書斎に通されて──伯爵に出迎えられる。
伯爵──いやさ真祖は、怒気の代わりのつもりであろうか、何とあからさまに神気を放っており、私たちは一様に震えあがる。
以前の私であれば、その圧倒的なまでの神気にあてられて、まったく動けなくなっているところであるが──海神や冥神と相対した経験は無駄ではない。今の私は、この神気にも対抗することができるのである!
「──申し訳ございませんでした」
私は、神気に抗って、前に歩み出て──誠心誠意、謝罪する。確かに、古城を通り過ぎて、まず王都に向かったのであるからして、伯爵がへそを曲げるのも無理からぬことであろう、と思ったからである。
『よい──少し拗ねてみせただけよ』
言って、伯爵はいたずらっぽく笑う。
私は、その言葉に安堵の胸をなでおろしつつも──少し拗ねただけで神気を放つのはいかがなものか、と思わなくもない。黒鉄はともかくも、ロレッタは泡を吹いて気絶しかけているのであるからして、お茶目もほどほどにしてほしいものである。
「あ、これ──お返しします」
私は、フィーリから十数冊の本を取り出して、伯爵に返す。
赤毛の勇者の冒険譚──あれほど大事に、少しずつ読み進めていた物語も、ブルムの真実を知ってからは、あっという間に読み終わってしまったのである。さようなら、私の旅の友よ。今度は別の本を借りよう、と決意する。
『どうであった?』
伯爵は本を受け取り、そのうちの一冊をぱらぱらとめくりながら、私に感想を求める。
「面白かったです!」
『それは重畳』
伯爵は満足げに返して、本を閉じる。
「あ、でも──旅の途中で本人に会っちゃったせいで、物語の主人公の印象が、実際のブルムで上書きされちゃって、それはちょっと残念だったかも」
『そこまでは、余も責任はとれぬ』
言って、伯爵は苦笑する。ブルムの人となりをよく知っているからこその苦笑であろう、と思う。
「そうそう──こちら、ブルムの娘のロレッタです」
ブルムの話題になったので、私はついでとばかりに壁面書架の前に控えるロレッタに手招きをする。
『ほう──レフスクルの娘か』
「母を──ご存知なんですか?」
ロレッタは、吸血鬼の真祖を前にして、いくらか緊張しているようで──私の背に隠れるようにして、わずかに頭をのぞかせながら、そう尋ねる
『知っておる──というよりも、どちらかというとブルムよりもレフスクルの方と親しかったものでな。同じ長命種として、どこか気があったのやもしれぬ』
伯爵は、ロレッタのその無礼とも思える態度を、さして気にする様子もなく、彼女の顔を興味深そうに眺める。
『近う寄れ』
伯爵に命じられて、ロレッタはおそるおそるといった足取りで近づく。
伯爵は、おもむろにロレッタの顎に触れて、彼女の顔の角度を変えながら、その造形をつぶさに眺めて。
『面影が──ないこともないが、どちらかというとブルムに似ておるな』
やがて、そう結論づけて──ロレッタは、やはり、と肩を落とす
ロレッタはその場にしゃがみ込み、どうせ絶世の美女じゃありませんよう、とふてくされるのであるが──私などからすれば、それだけ美しければ十分であろうに、と思わなくもない。
『さて、これよりマリオンの旅の話を聞こう。語り終えるまで、贅を尽くしてもてなすゆえ、ゆるりと逗留するがよい』
黒鉄とロレッタは、いつぞやの老執事に連れられて、書斎を後にする。これから二人は、吸血鬼の真祖が贅を尽くしたというほどの夕餉をふるまわれるのであろう。
それに対して、私は書斎に残り、伯爵と二人きり──老執事が、茶と菓子を置いていったものの、贅を尽くした夕餉とやらを思うと、物足りぬ気がしてしまうのも、やむをえぬこと。
『そうむくれるな──旅の話が終われば、そなたにも夕餉をふるまおうぞ』
苦笑する伯爵にうながされて、私は渋々、長い──長い旅路について語り出す。
ようやくリムステッラへの帰還までを語り終えた頃には、喉はからからに枯れている。
『ふむ──ずいぶんと物語にしがいのある旅をしたものよ』
伯爵は、私の口述を聞きながら書き留めた紙束を眺めて、満足げに微笑する。
「私の旅も、本にするんですか?」
言いながら、私は喉を潤すように、茶を口に含む。
『無論──本にして、未来永劫、語り継ぐ』
伯爵は、当然であろう、と返すのであるが──未来永劫とは、また大きく出たものである。
「そんな大げさな」
『大げさではない。余が本にすれば、そういうことになる』
伯爵は断言する。
なるほど──吸血鬼の真祖たる伯爵の著作ともなれば、確かに本自体は永遠に近しいほどに残るのであろう。しかし──伯爵の蔵書として残ることはあれども、世に広く流布するというほどにはなるまいに、と私は著者の過大なる自己評価に苦笑する。
『そうよな──書名は「マリオン冒険記」とでもするか』
言って、伯爵はその書名が気に入ったようで、何度か繰り返しつぶやく。
私としては、自身の名を含む書名など、気恥ずかしいこと、この上ないのであるからして、赤毛の勇者の冒険譚のように「美貌の狩人の冒険記」とでもしてくれた方が、いくらかましであると思わなくもないのであるが──伯爵の中では、その書名はすでに決定事項のようで、否やを唱えることもできず──私は溜息とともにそれを受け入れる。
『茶が冷えたであろう』
言って、伯爵が手を鳴らす──と、隣室に控えていたものか、老執事が現れる。老執事は、見惚れるほど流麗に茶を淹れて、辞儀をして立ち去る。長話に疲れた喉に、あたたかな茶が心地よく染み入る。
『そういえば──そなたとともに余の城を訪れた男を覚えているか?』
伯爵は、その風味を堪能するように、少しずつ茶を口にして──ふと思い出したというように、私に問いかける。
「──グラムのことですか?」
私はその名を告げて返す。
グラム──吸血鬼専門の狩人たる彼は、私から見ても一流の戦士であった。私は彼のことを思い起こし──いまだ忘れえぬその笑顔を胸に浮かべる。
『そのような名であったか』
どうにも人間の名は覚えられぬ、と伯爵は首をひねりながら続ける。
『先頃、その男が城を訪れてな』
「グラムが──この古城に?」
伯爵の言葉に、私は少なからず驚く。
グラムは、吸血鬼に故郷の村を滅ぼされて以来、吸血鬼専門の狩人となった男である。彼の吸血鬼に対する怒りは凄まじく──いくらその復讐の対象ではないとはいえ、自ら進んで伯爵の古城に訪れるような男ではないと思うのであるが。
『どうやら、エルラフィデスの聖女とやらが、奴の仇たる血族を討つために旗を揚げるようでな──奴もそれに乗る気のようで、あれこれと助力を求めにきおったのよ』
伯爵はそう続けて──私は言葉を失う。
あのグラムが、吸血鬼に助力を求めようとは──私の印象からするとありえないことなのであるが、まさか伯爵が嘘をついているということもあるまい。となると、エルラフィデスの聖女とやらの旗揚げを千載一遇の好機ととらえて、何がなんでもこの機会に仇を討とういうのやもしれぬ。ともかくも、強い復讐の意思がうかがえる。
『まあ、奴には先の詫びも足りておらなんだと思っておったから、それなりの施しは与えたが──』
言って、伯爵は何でもないことのように続ける。
『聖女とやらがどれほどのものかは知らぬ──が、彼の血族の長は吸血鬼の高祖にあたる。おそらくは、返り討ちにあって、全滅するであろうな』
「帰還」完/次話「夜行」




