2
「あんなにつねらなくてもいいのに」
言って、唇を尖らせる私に。
「いやあ、あたしでもつねると思うよ」
「村長は我慢しておった方じゃと思うがのう」
ロレッタと黒鉄が、口々に村長を擁護して──それを聞いて、絶影が吹き出す。私たち四人の旅は、概ねこんなものである。
「それにしても──懐かしいなあ」
ダラムの村を出立して数日──交易都市チェスローの夜の喧騒を眺めながら、私はつぶやく。初めて一人で街を訪れた高揚を、まるで昨日のことのように思い出す。
「この街で、黒鉄と出会ったんだよね」
「──とくれば、店は決まりじゃのう」
私の言葉に、黒鉄は満面の笑みで返して──私たちは「商いの天秤亭」へと足を運ぶ。
天秤亭は、もとはと言えばリュカに勧められた酒場で、交易に行き来する行商人の行きつけのような店である。当然、店内にはそれなりの身なりをした商人と思しき客が多いのであるが、中には冒険者の類と思しき荒くれた連中も混じっていて──その雑多な空気が、何とも言えず居心地がよい。
「──何人だい?」
店に入った私たちの姿を認めて、女主人が問うて。
「四人です!」
私は勢いよく答える。
「おや──あんた、前にも店にこなかったかい?」
女主人は、私たちを席に案内しようとして──私の顔を見て、うれしそうに声をあげる。
「覚えてるんですか?」
「あんたみたいなかわいい嬢ちゃんは、こんな店にはなかなかこないからね。よく覚えてるよ」
問い返す私に、女主人はそのふくよかな身体を揺らしながら笑う。客商売であるから、半分は世辞であろうが──それでも、かわいい嬢ちゃん扱いしてもらえるのは、うれしいものである。
「もしかして、こっちのドワーフの旦那も──」
女主人は、黒鉄の存在にも気づいたようで、声をあげて。
「そう! あのとき相席したドワーフなんです!」
「へえ、うちの店で縁ができたんだ──何だかうれしいね!」
私の答えに、女主人は相好を崩しながら、私たちを奥のテーブルに案内する。それは奇しくも──私と黒鉄の出会いの席である。
あのときの酒場、あのときの席──とくれば、あのときの料理を注文しない手はあるまい。
「鶏料理は──」
「もちろん──あるよ!」
女主人は、どん、と胸を叩いて、厨房に注文を伝えに走る。
歓談しながら、しばし待つ──と、やがて女主人の給仕で、ところせましと鶏料理が並ぶ。私は、いつぞやのように、皿から立ちのぼる鶏の油と香草の混じった香りに、まんまと食欲をそそられて──それは、皆も同様のようで、私たちはむさぼるように鶏をたいらげる。
懐かしの味で空腹が満たされたあたりで──おもむろに絶影が口を開く。
「俺は──この街で別れようと思う」
「──え?」
絶影の言葉に、ロレッタが驚きの声をあげる。てっきり、王都までついてくるものと思っていただけに、驚いたのは私も同様である。
「そんな顔すんなよ」
絶影は、私たちの顔を見まわしながら、苦笑する。
「今生の別れってわけでもねえ。親父の墓前にあれこれ報告を済ませたら、また顔を出すさ──何せ、あんたらといると、退屈しないからな」
絶影は、これまでの旅路を思い起こすように目を閉じて──思い出し笑いであろうか、口角をあげる。
「さあ──湿っぽい別れはやめにしようや」
目を開いて、絶影は立ちあがり──周囲の客に向けて、酒杯を掲げる。
「今晩はこの絶影様の奢りだぞう! さあ、みんな! 存分に飲んでくれい!」
絶影の宣言に、客はやんやの喝采で応える。
「あんた、正気かい!?」
「正気も正気よ!」
客の熱狂にうろたえる女主人に、絶影は豪放に笑いながら答えて──そして、オレントス王より褒美として賜った大型の金貨を数枚放る。東方の希少なる金貨である。一枚でも十分に支払いに足るであろうに、何とも奮発したものである。
「こんなもんもらったって、あたらしにゃ使えやしないよ!」
女主人は、金貨なんて、と困り顔で叫ぶのであるが。
「巡察使マリオンの名を出せば、きっとレーム商会が両替してくれるよ」
私がそう口添えすると、彼女は商人らしくすばやく店の儲けを計算したようで、金貨をすっと前かけの隠しに入れる。
「ああ、もう! とんでもない客もいたもんだ!」
言って、女主人は覚悟を決めたように鼻を鳴らす。
それを合図に、客はいっせいに酒を注文して──さすがに女主人の給仕だけでは追いつかず、私は彼女の許可を得て、フィーリから取り出した酒も皆にふるまう。
「何だ、このうまい酒は!」
客は口々に声をあげて、私の提供したナタンシュラの葡萄酒を、奪いあうように飲む。
「この葡萄酒、いくらなら売ってくれる?」
客の中には、葡萄酒を仕入れようと交渉してくるものまでいるのであるからして、何とも商魂たくましいものであるなあ、と感心さえする。
「絶影さんよ! 何の酒かは知らねえが、めでてえこった!」
荒くれの客は、意外にも義理堅く、絶影に律儀に酌をする。一方で、商人の客は、絶影に金の匂いを嗅ぎつけたものか、何やらあやしげな商談を持ちかける。中には、女衒のようなものまでおり、絶影に娼婦を勧めて、好色漢はまんまとその気になるのであるが──次の瞬間、ロレッタに耳を引っ張られて、叫び声をあげる。
「何だあ、色男、尻に敷かれてんなあ!」
酒場は笑い声で満たされて──別れなど微塵も感じさせぬ夜は、まだ続く。
明くる朝──私たちは、チェスローの街を出立する。
「じゃあ──またな」
そう言って見送るのは絶影で。
「うん、またね!」
と、笑顔で返すのはロレッタである。彼女は気丈にふるまっているものの、その目にはうっすらと涙が滲んでいる。旅に別れはつきもの、中には悲しい別れもあろうが──ま、絶影の言のとおり、また出会うこともあろう、と思う。
私たちは、街道を北上して、王都を目指す。途中、伯爵の古城に立ち寄ろうかとも思ったのであるが、さすがに村長からあれだけ叱られた後では、まずは王都に行かざるをえまい。
道中、さしたることもなく──しいて言うならば、ウェルダラムの酒場でロレッタが酔いつぶれて、宿に連れ帰るのに難儀した程度である──私たちは王都に到着する。王都の門には、いつぞやのように──いや、いつぞやよりも長い行列ができており、私たちはその列に並んで、ゆっくりと前に進む。
「難民街が──小さくなってる?」
ロレッタは、あたりを見まわしながらつぶやいて──私は、確かに、と頷く。王都の外周──特に、以前に賭場のあったあたりは、一帯が空き地となっているのである。
「あんたら、リムステッラは久しいのかい?」
と、私たちの前に並ぶ老爺が、ロレッタの言を聞きつけて振り返る。老爺は──その洗練された装いからすると、おそらく王都の住人であろう──どうやら暇を持て余しているようで。
「難民を食い物にするような連中が一掃されたんだよ」
事情を知らぬ私たちに、嬉々として語り始める
老爺の語るところによると、リムステッラの幼王はあらためて奴隷を禁ずる勅令を出して、難民街の是正に努めたのだという。騎士団の働きにより、ならずものは数を減らし、難民はまともな仕事を得て、その糧をもとに外周から王都に移り──そうして、難民街は次第に小さくなっていったというわけである。もちろん、それは摂政たる王太后や宰相の力によるところが大きいのであろうが──それでも、立派に王様をやっているではないか、とお姉ちゃんはうれしくなってしまう。
そうして、あれこれと話しているうちに、いつまにやら列は進んで──老爺は私たちに手を振って、一足先に王都の門をくぐる。
「次!」
言って、顎で前進をうながす衛兵に。
「巡察使のマリオンです」
名乗って、私は巡察使の証を掲げる──と、衛兵は慌てて姿勢を正して、兜の庇を持ちあげて、私に敬意を示す。
「どうぞ、お通りください!」
うむ、苦しゅうない──とは返さぬまでも、非常に気分はよい。
私たちは、王都の門をくぐり、グラン通りを行く。目指すはレーム商店である。
「ただいま戻りました!」
王城に出向く前に、ひとまず先代に挨拶を、と店先で声をあげたのであるが。
「──マリオン!?」
私の声に応えるように店の奥から飛び出してきたのは、しかし先代ではなく──できれば、まだ顔をあわせたくはないと思っていた騎士団長──グレン・ロヴェルその人である。
大国の騎士団長ともなれば、王城での執務もあろうに、昼間から商店で怠けていようとは──どうせそうに決まっている──団長というのは、それほど暇なのであろうか。
「そんなに暇なんですか?」
思わず、素直なところが口をついて出る。
「──お前なあ」
団長は、あきれるように溜息をついて──そして、こらえきれぬように破顔する。
「マリオンが、リムステッラの内憂外患を片づけてしまったもんだから──ま、暇であったのは間違いない」
言って、団長は肩をすくめてみせる。
「内憂? 外患?」
「事情もわからずに暴れまわっておったのか?」
何のことやらわからず問い返す私に、団長は苦笑でもって応える。
団長の語るところによると、内憂とは、教団による暗殺騒動や、辺境伯の乱心のことを指しているのだという。どちらも未然に防ぐとまではいかなかったものの、深刻な事態におちいる前に収拾しているところを、どうやら高く評価されているらしい。
一方で、外患とは、隣国エルラフィデスの策動のことであるという。辺境伯の乱心の原因が、彼の教国にあったということは、国の上層部には知れ渡っており──今や両国は、水面下では明確に敵対しているというのである。
エルラフィデスにとって、私の存在はよほど邪魔なものとみえて──彼の国は、何と巡察使マリオンを名指しで式典に招待しようとしたことさえあるというのであるからして──団長が、どこにいるやらわからん、と断ったらしい──まったくもって驚きである。
「ちゃんと手紙を出したのは──ま、褒めてやろう」
おかげで最低限の動向は知れたからな、と団長はとても褒めているとは思えぬ口調で労うのであるが──最低限というところを強調するあたり、何とも嫌味たらしい。
「しかし、ときどきは報告に戻ってくるものであろう。王も王妃も、どれだけ寂しがっておったか──」
「──王妃?」
やはり問い返す私に──団長は、そこからか、と溜息をつきながら続ける。
「王妃とは、アムノニア侯爵の娘──ウルスラ嬢よ」




