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西の塔に近づくにつれて、近衛兵の数が増える。要所には見張りが立ち、塔に至るいくつかの廊下には、絶え間なく兵が巡回している。煌々と焚かれたかがり火に照らされて、ひそむべき闇すらなく──いくら真祖の外套の力があるとはいえ、衆人環視の中を気づかれずに歩けるとも思えない。
「リュカの勘が大当たりかもね」
とはいえ、塔の警備は厳重すぎて、とても正面からは近づけそうもない。
「どうしましょう」
「外から行くしかないでしょ」
廊下には、外敵に備えるためか、出入りできそうな窓はない。やむなく警備の手薄なところまで戻って、そこから外に出て、城壁をつたって塔を目指す。
指先がかかる程度のくぼみがあれば、城壁をつたうのに苦はない。しかし、塔までたどりついて、その外壁をのぼり始めると、いくらかやりづらさがあることに気づく。のぼるにつれて、落ちたら即死んでしまうような高さになっていくのだ。下を見ないようにして、指先をかける都度、そのくぼみの強度を確認しながら、ゆっくりと慎重にのぼる。
塔の外壁をのぼりきると、最上階は、城外の見張りのためだろうか、展望室のようになっていて、四方に大きな窓が開いている。窓から塔内に転がり込み、ほっと一息をつく。登はんには自信があったのだが、これほどの高所となると勝手が違うようで、どっと疲れが出る。
「何ものかの結界に入りました」
座り込んで身を休めていると、突然フィーリが告げる。
「結界?」
聞き慣れない言葉に、思わず問い返す。
「結界の中に入るというのは、魔法の力で監視されているような状態だと思ってください」
「疾風のブーツで音を消して、真祖の外套で姿を隠しても、みつかるってこと?」
私の問いに、フィーリは、しばし考えるように間をおいて答える。
「真祖様の外套の力であれば、監視を逃れることもできるかもしれませんが、そのあたりは結界の主の力量次第でしょうか」
「みつかってる、かもしれないってことね。それなら、急がないと」
言って、展望室から階下に下りる。
階下は、明らかに貴人の居室だった。
本来であれば、見張りの詰所のような部屋であったのだろうが、今や似つかわしくないほどに豪奢な調度が並び──革張りの長椅子に、ちょこんと少年が座っている。少年は、人形遊びに興じているようであったが、やがて私に気づいたようで、無邪気に問いかける。
「お姉ちゃん、だあれ?」
あら、かわいい。
「僕、こんなところで何してるの?」
「お姉ちゃんこそ、何してるの?」
確かに。いきなり上階から現れた私の方があやしかろう。
「……散歩だよ」
苦しまぎれに答える。無理があっただろうか、と悔いるが、少年は、そうなんだ、と笑顔で返して、頓着する様子はない。
「僕、もしかして、王様?」
「うん!」
朗らかに頷く。
「ほんとに?」
「ほんとだよ!」
むっと頬をふくらませて、少年は続ける。
「僕の名前が刻まれた、指輪の形をした王様の印章があるんだよ」
と、指輪を見せようと手を掲げて。
「あ、でも、今はお母さまが持ってるんだった……」
少年──幼王は、残念そうにつぶやきながら、手をおろす。幼いとは聞いていたが、会ってみると、想像よりもさらに幼い。摂政が必要となるわけである。
「信じるよ」
言って、頭をなでると、幼王は目を細めて喜ぶ。
「王様は、何でこんなところにいるの?」
「お母さまが、ここにいなさいって」
お外に出してもらえないの、と悲しそうにつぶやく。
母親──王太后は、王の印章を奪い、さらには息子である幼王を幽閉しているというわけだ。まったく、けしからん母親である。
「外に出たい?」
「うん!」
元気よく答えてから、外に出てはいけない理由を思い出したようで、不安そうに続ける。
「でも、外は危ないから、部屋から出たらいけないって……」
「大丈夫! お姉ちゃんがついてる!」
お姉ちゃん、めちゃくちゃ強いから、と胸を叩いて請け合う。
「ほんと! お姉ちゃん、強いの? どのくらい強いの?」
「そうだなあ、オーガよりも強いよ」
「すごい!」
「でしょ」
話しながら、流れるように幼王を誘導して、さらに階下に下りる。
下の階は、幼王の居室というわけではなさそうだった。もとは上の階に置いてあったのであろう雑多なものが壁際に積みあげられており、物置のように雑然としている。
部屋の奥には、古びた扉がある。扉を抜けて、さらに塔を下りれば、先ほどの厳重な警備の前に出るのだろう。幼王は確保している。近衛兵が気づく前に、不意をついて疾風のブーツの力で出し抜けば、取り囲まれる前に食糧貯蔵室の抜け道まで駆け抜けることはできるように思う。
幼王の手を引いて、扉に向かう──と。
「何をしておる」
不意に扉が開いて、女が現れる。慌てて幼王を抱きかかえて、後方に飛ぶ。女の気配を感じなかった──いや、人間の気配は感じなかった、と言うべきだろうか。あらためて探ってみると、まるで人形のように希薄な気配を感じて、得体が知れず気味がわるい。
「お母さま……」
か細く呼びかける幼王に、女──王太后は反応を示さない。どころか、幼王を忌々しそうにねめつけて──とても母親が我が子に向けるとは思えぬ刺すような視線に、幼王は私の背中に隠れる。
「おや、あの宝冠は……」
つぶやくフィーリの声に、王太后の宝冠を見やる──と、私の視線に反応するように、宝冠の中央に飾られた紅玉が妖しく輝く。
「どうやら、ご同類のようです」




