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私たちは、東方より旅立ち──今や東方と西方とをわかつ山脈を越えんとしている。山を越えれば、懐かしき故郷──ダラムの村は目の前である。
「いやあ──いろんなことがあったねえ」
ロレッタが感慨深そうにつぶやく。
そう──ここまでの道中、平穏な旅が続いた──などということはもちろんなく、波乱万丈、聞くも涙、語るも涙の大冒険が繰り広げられたわけであるが──ま、そのうち語る機会もあろう。
私たち一行は、峻険な山並みを越えて、いくらかなだらかな山腹に至る。
「もうすぐだよ」
ようやく見覚えのある山道にたどりついて──私は振り返って、皆を鼓舞するように声をあげるのであるが。
「さっきから同じこと言ってるう」
最後尾のロレッタは、あいもかわらず弱音を吐いて──こればかりは長旅でも変わることはなかったな、と私は思わず苦笑する。
「それにしても──ずいぶんと山深いところにあるんじゃのう」
言って、黒鉄は、ふう、と息をつく。鎧兜を身に着けたまま山道など行けば、ふう、と息をつく程度では済まぬはずなのであるが──ま、黒鉄だしな、と納得する。
「辺境の村だからね」
私はそう返して──懐かしき故郷を思う
ダラムの村は、かろうじてリムステッラに含まれるような、国境の村である。村のものの多くは狩人であるから、おもに狩猟で生計を立てている村といえようが──どんなに腕がよかろうと、狩猟だけでは暮らしてはいけぬもの。リュカのような行商に頼って、何とか生活がなりたっているというわけである。
本来であれば、人など暮らさぬような、辺鄙な山奥である。おそらくではあるが、かつて旅神エルディナがこの地に暮らし、そしてこの地に眠ることとなったからこそ、ダラムという村は存在するのであろう、と思う。
私がそのエルディナの末裔であるとはフィーリの言であるが──そうすると、村のものも、大なり小なり、生前の彼女に縁のあるものの末なのやもしれぬな、と私は村の成り立ちに思いを馳せる。
山道は緩やかに下り──やがて、道は私の腰の高さくらいの木柵にぶつかる。柵は、動物から村を守るためのものである──が、この程度の高さでは、人の侵入を妨げることまではできない。
「ただいま!」
村を囲う柵をまたいで越えて──私は村の広場に向けて、声をあげる。
広場では、村の幼い子どもが戯れており──私の声に、いっせいにこちらを向いて。
「──マリオン?」
「マリオンだ!」
わっと声をあげながら駆けてきて、私の足もとに群がる。私にとっては、まるで弟妹のような、かわいい子らである。
「マリオン、おかえり!」
「どこに行ってたの?」
と、次から次へとすがりついてくる子らを振り払うわけにもいかず。
「わ──っとっと」
私はよろめいて、その場に膝をついて。
「みんな──ただいま!」
そのまま、群がる子らをまとめて抱擁する。
と──騒ぎを聞きつけたのであろう、今度は村の若い衆が駆けてくる。
「何だ──どうした?」
若い衆の先頭に立った男が、やや警戒するように声をあげる。それは、とても──とても聞き覚えのある声である。
「──マリオン!?」
私の顔を見て、驚愕の声をあげたのは誰あろう──ロビンである。私の旅立つ前よりも、いくらか精悍な顔つきになっている。男子というのは、しばらく会わぬうちに変わるものであるなあ、と少しだけ──ほんの少しだけ見直す。
「いったい今まで、どこに行ってたんだ!? お前はもう行方知れずになったものと──」
ロビンは苛立ちと安堵の入り混じったような顔で、声を荒げる。
「行方知れずだなんて、大げさだなあ」
「大げさなことがあるか!」
言って、ロビンは感極まったように私を抱きしめたかと思うと──慌ててその身を離す。
「ちょっと待ってろ! 親父を呼んでくる!」
どこにも行くなよ、と念を押しながら、ロビンは村長の家に駆けていく。
「そんなにふらふら消えるわけないじゃない」
ねえ、と仲間に問うのであるが、皆一様に首を振るばかり。まったくもって、失礼きわまりないやつらである。
待つことしばし──やがて、ロビンが村長を携えて戻ってくる。その村長の怒りの形相といったら! 私は子どもの時分にこっぴどく叱られたことを思い起こして──まるで、神ごときものを前にしたかのように、ぶるり、と震える。
「ちょっと王都まで出かけると言って──いったいどこまで行っていたのだ!」
村長は、再会の第一声から、私を雷のごとくどやしつける。
「いやあ、それは──なりゆきというか、何というか。巡察使になって、世界を見分することになっちゃって──」
私は、おそるおそる返しながら、上目で村長の顔色をうかがう。王太后により巡察使に任ぜられたという不可抗力であれば、言い訳が立つであろうという算段である。
「リムステッラの巡察使になったという話は、リュカからも聞いている。それは私も誇らしいと思う。名誉なことだ」
言って、村長はわずかに顔をほころばせる。
これは──村長の怒りもやわらいだか、と私は期待もあらわに笑顔を返すのであるが──そんな希望を抱いたのもつかの間。
「──だが!」
と、村長は私の頬をつねる。
「巡察の旅に出る前に、村に戻って、一言あってしかるべきだろう!」
「おっしゃるとおり」
村長に同意を示すのは、私の胸もとのフィーリである。裏切りものめ、言葉巧みに旅路に誘ったのは、お前であろうに。
「──申し訳ございませんでした」
とはいえ、私にまったく非がないというわけでもなかろう──となれば、謝るにしくはなし。私の謝罪に、村長はようやく頬をつねる手を緩めるのであるが──いまだその目つきは険しいままである。
「まあまあ、機嫌を直してよ。お土産もあるんだからさ」
私は、ひりひりと痛む頬をなでながら、村長の機嫌をうかがうように告げる。
「──土産?」
いぶかしげに返しながらも、村長の声音には興味の色が滲んでいる。これは──挽回の好機である。
「え──っとね」
と、私はあたりを見まわして。
「土産を広げますか?」
察したフィーリが問う。
「うん、布でも敷いて」
私はフィーリから取り出した布を敷いて、その上に腰をおろす。その布もアスファダンの絨毯なのであるからして、土産には変わりないのであるが──ま、この際どうでもよかろう。
「まず、地下都市ウェルダラムの金貨──あ、これは換金するなら気をつけてね。出どころを問いただされたりするから。売るなら、リュカさんがいいかも」
言いながら、私はウェルダラムの金貨を、じゃらじゃらと絨毯に広げる。そのまばゆいほどの輝きに、村長は絶句して──代わりに、無邪気な子らが、わあ、と歓喜の声をあげる。
「こっちは、海賊西風の財宝──海賊の衣装は気に入ってるから、宝石の方をあげる。魔鋼──は精錬できないから、意味ないかあ」
私は海賊帽をかぶりながら、色とりどりの宝石を絨毯に転がす。ついでに魔鋼の余りも転がるのであるが、これは村では役に立つまい。
「あ! でも、そういえば!」
と、思い出して、フィーリからさらなる魔鋼を取り出す。
「これ、名工黒鉄が戯れに鍛えた──魔鋼の鍬!」
そう──リムステッラに戻った折にはダラムの村に立ち寄ろうと決めてから、黒鉄は何か土産でも、と悩んで──何と魔鋼で鍬を鍛えてくれたのである。村の土産なら、剣よりも鍬の方がよかろう、という黒鉄の配慮であるが──これならば、このあたりの土がどれほど硬かろうとも、たやすく耕すことができよう。
「えっと──他には、北方の都市の地酒に、空中都市ナタンシュラの葡萄酒、砂都アスファダンの陶器──あ、そうそう! 女性には、若返りの薬もあるよ!」
奥さんにどう、と私は村長に笑いかけるのであるが。
「おい──マリオン」
しかし、村長の表情は硬い。
ううむ、これほどの土産を並べても、まだ足りぬ──まだ怒りがおさまらぬというのであろうか。さすが村長ともなると手強いかぎりである。
「それなら──古竜! 古竜の素材はどうだろう! 竜鱗、血液、目玉やら何やらまで、一式そろってるから、きっと高値で売れるはず!」
古竜と聞いて、村民から、おお、と声があがる。ふふん、もっと色めきたつがよい。そして、村長の怒りを鎮めるがよい。
「あとは──古竜の肉も、燻製にしたらおいしかったから、みんなで食べよう」
「おい、待て──いいから、待て」
しかし、村長は硬い顔のまま──おもむろに屈み込んで、私の手を握る。
「何をどうしたら──こんな土産が出てくる」
村長は、怒りというよりは、当惑の顔で私をのぞき込む。
「いったいどんな旅をしておったのだ?」
「まあ──いろいろ、かな?」
村長の問いに、私はあれこれと話すのが面倒で適当に返す。
「わかった──土産もあるようだから、今宵は皆で宴を張ろう。そこで旅の話も聞くとしよう」
村長は、溜息をつきながら、そう告げて──どうやら私の行方知れずの件は不問に付されたものと理解する。勝手に。
夜は宴となれば、それまでに皆に村の案内をしたい。
「私の家は──変わらずにある?」
「あたりまえだろう」
私の問いに答えるのは、ロビンのぶっきらぼうな声である。
「ロビンが掃除してたんだよ」
と、西風の宝石に見入っていた童女が、告げ口するように声をあげる。
「そうなの?」
「わるいかよ」
上目で問う私に、ロビンは鼻をすすりながら答えて、目をそらす。
「ううん、ありがと」
素直に礼を述べると、ロビンの頬に赤みが差して──つい、彼が私に懸想しているという旅具の戯言を思い出してしまう。そんなことはないはず、と思ってはいるものの、いったん意識してしまうと、頭に血がのぼる。私の顔まで赤くなっていやしないかと慌てて手であおぐ。
「じゃあ、みんな、今日は私の家に泊まりなよ。狭いけど──ま、何とかなるでしょ」
私は、照れ隠しもあって、皆に話を振る。
「あ、お祖父ちゃんにもみんなを紹介しないと──」
そうである──家に案内するだけではない。皆であれば、霊廟に案内して祖父に紹介したとしても、祖父だって怒ることはあるまい。
「噂に聞くマリオンの祖父君か」
黒鉄は、長い髭をもてあそびながら続ける。
「それはよいのう。礼を言わねばなるまいからな」
死者の軍勢の撃退について──皆には、あれは祖父のおかげである、と話している。以来、黒鉄は祖父に一目置いていて──祖父が不倒の黒鉄ほどの戦士に認められていると思うと、私も鼻が高い。
「マリオン──リンクスへの報告が済んだら、すぐに王都に行くのだぞ」
村長はたしなめるように告げて。
「え──何で? 村でのんびりしようと思ってたのに」
私は首を傾げて──村長は再び私の頬をつねる。
「それは! お前が! リムステッラの! 巡察使! だから! だ!」
村長の怒鳴り声が、村中にこだまする。




