7
私は再び冥神の依代を探す。
どこかに冥神を模した彫像のようなものでも建っているのではないかとも思ったのであるが、眼前に広がるのは見渡すかぎりの荒野ばかり──となると、もしかすると冥神の依代とやらは、死者の軍勢の中にこそ存在するのではないか。木を隠すならば森の中とも言う。私はそう考えて、戦場に目をやる。
戦場の中心──先のオレントス軍の旋回には巻き込まれなかったあたりで、新たな戦端が開かれる。
「百腕の巨人よ──此度の相手はこの儂よ」
黒鉄は、百腕の巨人の前に立ちはだかり、巨人の斧を構える。
「剛勇のドワーフ──貴様のことは覚えておる」
巨人の言に応えるように、黒鉄はまるで棍でも扱うかのように斧を振りまわしてみせる。
「我が斧──使いこなしておるようではないか」
その暴風を前に、巨人は歓喜の声をあげる。
「せっかくもろうたのでな」
黒鉄は斧を止めて、そのまま肩にかついで、そううそぶく。
「譲ったつもりもないが──貴様のような剛のものに使われておるのなら、わるい気はせん」
返して、巨人は豪放に笑う。
黒鉄は不敵に笑って、巨人の斧を構える。
「不倒の黒鉄──参る」
対する巨人は、その六腕に大剣を構える。
「相手にとって不足なし!」
黒鉄は、まるで棍でも扱うかのように斧を振りまわして、巨人に襲いかかる。それは、まさに暴風である。常人であれば、受け切ることなどできようはずもないその乱撃を──巨人はその六腕の大剣で、真っ向から迎え撃つ。両者の乱撃が絶え間なくぶつかり、そのたびに火花が散る。どちらの一撃であれ、触れただけで身が弾けるほどの、致命の強撃である。
「旦那から離れろ!」
絶影が叫んで──周囲の騎士がいっせいに下がる。
一方で、死者の軍勢は、死者であるがゆえに退くこともなく──そのまま黒鉄と巨人の暴風に巻き込まれる。暴風は、死者を切り刻み、瞬く間にもとの土くれに還す。もちろん、土くれはよみがえらんと蠢くのであるが──ある程度の形をなしたところで、再び暴風に巻き込まれる。両者の暴風が止まらぬかぎり、一帯の死者は動きを封じられた形となろう。
「姐さん、そっちは任せたぜ!」
言って、黒鉄の左を守るように打って出たのは、絶影である。
絶影は疾風のごとく駆けて、四つ身に分身したかと思うと、眼前に立ちはだかる死者に向けて、そのそれぞれから透しを放つ。吹き飛んだ死者は、さらに後続の死者をも薙ぎ倒す。もちろん、痛みなどないであろう死者は、すぐに起きあがるのであるが──それでも、一時的に距離は稼げる。連打すれば、戦線を押し返すこともできよう。
私の読みのとおり、絶影は透しの連打でもって、戦線を押し返さんと奮闘する。透しという高等な技術を連打する──私にはできぬやもしれぬことを、絶影は平然とこなす。絶影にとっては、その高等な技術も、すでに身に染みついたものなのであろう、と思う。
と──ある程度まで戦線を押し返したところで、絶影の足が止まる。それは疲れではない。目の前の死者の放った一撃をかわさんとして、絶影は退いたのである。絶影の相対する死者──その死者が放とうとしたのは、まごうことなく透しである。
「──武侠」
絶影の前に立ちふさがるのは──おそらく、かつての武侠である。もしかすると、絶影が殺めたという父親も、そこに混じっているのやもしれぬ、と思う。
武侠は、それぞれに得手が異なるようで、拳に蹴り、多彩な技で絶影に襲いかかる。しかし、絶影もさるもの──おそらくは歴代の武侠の中でも随一の業前であろう──武侠の攻撃の、そのことごとくをかわして、何と透しまでも返してみせる──とはいえ、さすがに多勢に無勢、絶影は武侠の攻撃を凌ぎながらも、じりじりと押され始める。
一方で、ロレッタは黒鉄の右を守るように、死者に立ち向かう。
ロレッタが赤剣を振るうたびに、死者はなすすべもなく、たやすく土くれに還る──とはいえ、そこは死者の軍勢、さしもの神剣も死者を殺すことあたわず、すぐによみがえらんと蠢き始める。
ロレッタは、半神とはいえ、絶影ほどの達人というわけではない。達人未満の腕前ゆえに、身のこなしも洗練されておらず──時折、死者に囲まれかけて、その身を危うくすることもあるのだが、そのたびに巨人の腕輪やアフィエンの加護に守られて、何とか凌いでいる。それでも凌ぎきれぬときは──アフィエンの仕業であろう、何と背理の障壁が現れて、彼女を守っている。半神ともなれば死なぬのであろうに、まったく過保護なことである。
ロレッタは敵陣に斬り込む。神剣の一振りを受けることのできる死者などおらぬから、彼女は止まらない。しかし、その進撃こそが──彼女を孤立させる。
ロレッタは、いつのまにやら、完全に死者に囲まれている。もはや丘からでは彼女の姿を目視できぬほどで──あれではアフィエンの魔法も届かぬのではあるまいか、と一抹の不安を感じ始めた──そのときである。
ロレッタを中心に爆炎が炸裂して──周囲の死者は土くれに還る。もちろん、土くれはすぐによみがえらんと蠢くのであろうが──それでも、彼女の四方の死者は、一瞬にして消し飛んでいるのである。なるほど──今のロレッタならば、孤立したならばしたで、戦いようがあるということであろう、と思う。
ロレッタは、攻め手を赤剣から魔法に切り替える。さすがに先のアフィエンの星墜としには及ばぬものの──戦場に炸裂する爆炎は、次々と死者を消し飛ばし、土くれに還していく。今や、彼女はたった一人で、戦線を維持しているのである。
そこに、横陣の右翼から猛然と駆けてきたのは──グンダバルドである。
黒鉄と一騎打ちに興じる百腕の巨人こそ、まず屠るべき相手であると判断したのであろう。そして──おそらく、その判断は正しい。一流の暗殺者ともなると、戦場においての嗅覚も鋭く──どうやら、一流の戦士でもあるらしい。敵にすると厄介きわまりない相手であるが、味方にするとこれほど頼もしいものもおるまい、と思う。
グンダバルドは踊るように駆けて、立ちはだかる死者に致命の一撃を見舞う。首を斬り、心臓をえぐり──グンダバルドの駆け抜けた後には、土くれの山が残るばかり。
もう少しで、百腕の巨人にもその刃が届くという──その目前で。
「──!」
グンダバルドは──突然、吹き飛ぶ。私と絶影の二人がかりでさえ、まともに攻撃をくらうことのなかった、あのグンダバルドが、である。
私は驚愕に目を見開いて、稀代の暗殺者を吹き飛ばした相手を見やる。それは、先にグンダバルドが師父と呼んでいた──先代の闇である。
グンダバルドはむくりと起きあがり──その闇に相対して、異界の短剣を構える。そこまで深い傷を負ったわけではないようであるが──どうやら眼前の闇に専念せざるをえないようで、その風のような足が止まる。
まずい──ロレッタはまだしも、絶影とグンダバルド──こちらの強者二人の足が封じられつつある。あの二人の働きは、想像以上に大きい。二人の足が止まれば、戦線を押し返すどころか、そもそも維持すらできぬようになるやもしれぬ。
「もう終わりか! ドワーフ!」
百腕の巨人が吠えて──私は慌てて、戦場の中心に視線を戻す。
見れば、黒鉄の暴風は、先よりもいくらか勢いを落としており──今や巨人の六腕に押され始めている。いかな黒鉄が剛力とはいえ、あの巨人の斧を振りまわし続けているのであるからして、勢いを落とすのもいたしかたなかろう──が、黒鉄は剣聖エヴァリエルに認められたほどの戦士である。何の考えもなく、無策に斧を振りまわし続けたわけではあるまい。なぜならば──黒鉄のそばで戦うロレッタには、まだまだ余力があるのである。
「もらった!」
ロレッタが吠えて、赤剣を振るう。
ロレッタは黒鉄のそばで戦いながら、ずっと機会をうかがっていたのであろう、いつぞやの迷宮の折のように不意打ちで巨人に飛びかかり、見事その腕の一つを一刀のもとに斬り飛ばす──のであるが。
「最初からくれてやると思うておれば、さして痛手でもなし」
巨人は、腕を斬られたのではない──斬らせたのである、と気づいたときには、もう遅い。巨人は別の腕でロレッタをつかんでおり──握りつぶさんと力を込める。
「あああ!」
ロレッタが苦悶の声をあげる。
「ロレッタ!」
私の叫びに応えるように、黒鉄が駆け出す。
黒鉄はロレッタを救うため、巨人の腕を両断せんと斧を振りかぶり──。
「──大振りよのう」
巨人は、その一振りをこそ待っていたのであろう──握っていたロレッタを投げ飛ばし、地に打ちつける──と同時に、左腕の大剣で黒鉄の一振りを打ち落とし、右腕の大剣で黒鉄を両断せんと迫る。
黒鉄は自らの失策を悟ったのであろう、何とかその一撃をかわさんと身をよじるのであるが──。
「──今度は貴様の腕が飛んだようだのう」
無常にも、黒鉄の左腕は、そのつけ根から両断されて、宙に舞う。
「黒鉄!」
私の呼び声も空しく──黒鉄は、左腕が地に落ちると同時に、巨人の斧を取り落として、そのまま膝をつく。
「これで──終わりか」
巨人は、傷口を押さえてうずくまる黒鉄を見下ろして、つまらなさそうにつぶやく。
「──終わらぬよ」
黒鉄は、しかしすぐに立ちあがる。取り落とした斧を、残る右手でつかんだかと思うと──そのまま柄を脇に挟んで、何と片手で持ちあげてみせる。
「まだ片腕が飛んだだけ──そうじゃろう?」
言って、黒鉄は不敵に笑い。
「おう──おう! おう! それでこそ剛勇のドワーフよ!」
応えるように、巨人は歓喜の声をあげる。
「ロレッタ! 生きておろうな!」
黒鉄は地に打ちつけられて横たわるロレッタに向けて叫ぶ。
半神たるロレッタは死なぬというから、生きてはいるのであろうが──それにしたって、とても動けるような状態ではない。
「止血を頼む!」
黒鉄の声に、ロレッタはわずかながら手をあげて──何とか魔法の糸を紡ぎ出し、黒鉄の左腕のつけ根のあたりを縛ったのであろう、流れ落ちる血は止まる。しかし──血は止まったとはいえ、黒鉄とて、とても戦えるような状態ではないであろうに。
「百腕よ──儂が倒れるまで、先には進まぬと約せい」
黒鉄は巨人をにらみつけて、そう告げる。
「約すまでもない──貴様が倒れぬのに、先に進むことなど、あろうはずもなし!」
「その心意気やよし!」
黒鉄は巨人に応えるように吠える。
黒鉄は──死ぬ気である。不倒の名のとおり、死してなお倒れず、今の約定をもって百腕の巨人の足止めをするつもりなのである、と悟る。




