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「まずは──俺がやろう」
百腕の巨人の出現に言葉を失う私たちをよそに──大魔法使いアフィエンが、前に歩み出る。彼は、おもむろに懐から革袋を取り出して──さらに、そこから石を取り出して、手のひらにのせる。
「そんな小さな石ころを、どうしようっていうの?」
ロレッタは、アフィエンの手のひらの石を眺めながら、疑問の声をあげる。
「これは石ではない──星よ」
アフィエンは、ふん、と鼻を鳴らしながら答える。
他のものの台詞であれば、戯言を、と笑い飛ばすところであるが、他ならぬアフィエンがそう言うのであるからして──言葉のとおり、それは星なのであろう、と思う。
『──』
アフィエンが何やら唱えると、石──いや、星は次元回廊の天頂にのぼる。そして、彼が両腕を広げると、それに呼応するようにして、星は本来の大きさに戻る。
小さな石は、今や巨大な星となり。
「星よ──墜ちよ」
アフィエンの命に応えるように、目にも留まらぬ速さで墜ちる。
巨星は、文字どおり、死者の軍勢を薙ぎ倒す。荒野は星に穿たれて──同時に、目に見えるほどの衝撃が、瞬く間に周囲に広がる。これは──私たちまで吹き飛ばされてしまうのではなかろうか、と慌てて身構えるのであるが──衝撃は、私たちの眼前で、アフィエンの魔法であろう光の膜に阻まれて消える。
「本来であれば、次元回廊の中に、外界にある星は墜とせぬ──が、俺が星を持ち込んでおれば、話は別よな」
アフィエンは、こんなこともあろうかと、常日頃からいくつかの星を持ち歩いていると言うのであるが──いったいどんなことを想定していていれば、星を持ち歩くという発想に至るのやら、まったくもって理解できない。
「奴らはすぐによみがえる。今のうちに準備を整えよ」
アフィエンはそう告げるのであるが──奴らは今や塵である。あれほど粉々となった土くれからであってもよみがえるというのであろうか、と私は半信半疑で目を凝らす。
「──うわあ」
私は、その不快な光景に、思わず声をあげる。荒野に散らばる土くれが、再び形を取り戻さんと、まるで蟲のごとく蠢いているのである。
「そなた──いったい何ものぞ」
オレントス王は、眼前の光景が信じられぬようで──当然であろう──おもむろに誰何する。
「大魔法使い──アフィエンだよ」
その問いに、誇らしげに返すのは──アフィエンではなくロレッタである。
「おとぎ話の英雄ではないか──」
オレントス王は、呆けたようにアフィエンを見やって──普段であれば、一笑に付す類の答えなのであろうが、目の前で星を墜とされては、さすがに信じざるをえないのであろう──おもむろに両腕を突きあげる。
「我らには神代の魔法使いがついておるぞ!」
オレントス王は大音声をあげて──それに応えるように騎士も両腕を突きあげる。大魔法を前にして、士気は高まるばかり。
『──』
次いで、アフィエンは再び両手を広げて、何やら唱えて。
「火神の名において、皆を祝福した」
言って、ほう、と息をついて──その場にしゃがみ込む。
「ちと休む。死ぬなよ」
アフィエンの言に、我が身を見れば──身体を薄く光る膜が覆っており、それとともに胸の奥底から奮起の念がわいてくる。おそらく、海神と対峙した折に、フィーリが唱えた鼓舞のようなものであろう、と思う。とはいえ、私たちだけならばともかく、千の騎士にまでその鼓舞を行き渡らせようとは──先の星墜としといい、この祝福といい、大魔法使いというのは、さすがに凄まじいものであるなあ、と感じ入る。
「マリオンは弓の封印を解いて、冥神の依代を探せい」
と、黒鉄が祝福による能力の向上を確かめるように身体を動かしながら、口を開く。
「敵が不死である以上、この戦に勝ちはない──次元回廊を打ち破ることに専念してくれい」
黒鉄の言に、私よりも先に、他の皆が頷く。
「危なくなったら助けてよう」
ロレッタは、おっかなびっくり、赤剣を抜く。
「まあ、任せときなって」
言って、両の拳を打ちあわせるのは絶影である。
「あいつらを殺せるの、おいらの武器だけなんだよねえ。責任重大だなあ」
言葉とは裏腹に、グンダバルドは頭の後ろで手を組んで、さして萎縮するでもなく、のんきに言う。
「儂が百腕の巨人の相手をする」
黒鉄は、獰猛な笑みを浮かべながら、そう告げる。
「ロレッタと絶影は、儂の近くで戦ってくれい。もしも──儂が死んだら、代わりを頼む」
「──わかった」
黒鉄のその覚悟に、ロレッタは言葉を失うのであるが、絶影は深く頷く。
「グンダバルドは──唯一、死者を殺せるかもしれんのじゃからの、できるかぎり間引いてくれい」
「あいよう」
黒鉄の命に、グンダバルドは軽く答える。
「やろうと思ったら──全部やれる?」
あまりにも軽い答えなので、私は思わずそう尋ねる。
「さすがに無理だねえ。死ぬまで戦ったとして──千くらいかなあ」
「──それで十分だよ」
グンダバルドの言は、おそらく誇張ではあるまい。彼我の戦力の差を正しく見きわめた上で、それでもなお千の死者を屠れると判断しているのである。私が異界の短剣を用いたとしても、千の死者を屠る前に、疲れ切って倒れるであろうことを思うと、とんでもない持久力といえよう。私と絶影の猛攻を凌いで、息一つ乱さなかったのは伊達ではない。この小人の最大の武器は、その疲れを知らぬ無尽蔵の体力にこそあるのやもしれぬ、と思う。
「じゃあ──みんな、任せたよ!」
言って、私は旅神の弓を構える
「火神の加護のあらんことを!」
と同時に、オレントス王の号令が下り──皆がいっせいに駆け出す。
『弓よ! 我が意に従いて、その力を示せ!』
私は旅神の弓の封印を解くために、力ある言葉を唱える。その瞬間、私の身体は、不可視の巨人に握り潰されるような、強烈な負荷に襲われるのであるが──この痛みは、すでに知っている。知っている痛みならば、耐えることもできる。
私は冥神の依代を探すべく、戦場に目をやる。先の星墜としに薙ぎ払われた死者の軍勢のうち、一部はすでに形を取り戻している──とはいえ、いっせいに大軍を相手するという事態は、ひとまず避けられたのであるからして、アフィエンの大魔法には感謝せねばなるまい。
戦端を開いたのは──猛然と駆けたグンダバルドである。
「いっちばん乗りい!」
グンダバルドは、死者の前に躍り出て、異界の短剣を振るう。
グンダバルドに相対する剣士は、フィーリの言を信ずるならば、古の英雄の類であろう。その剣筋の冴えときたら、私の背筋が寒くなるほどであるというのに──グンダバルドはそれを踊るようにひらりとかわして、異界の短剣で心臓をえぐる。剣士は、見る間にぼろぼろと崩れて、土くれに還る。星が墜ちた折でさえ、よみがえらんと蠢いていたというのに──それは今やただの土くれである。
「あは──殺せる」
グンダバルドは、戦場を舞う。現世でも屈指の暗殺者であり──かつ踊り子でもあるだけのことはある。私は、その殺戮という名の踊りに見惚れて、肝心の依代を探すのも忘れてしまいそうになって──いや、そんな場合ではない、と気を取り直す。
「グンダバルドは、騎士の援護を! 彼らの倒したものに、止めを刺してまわって!」
グンダバルドの致命の力は、騎士にこそ必要であろう、と判断して、私は声を張りあげる。
「それなら二千くらい目指してみるよう!」
グンダバルドは返して、騎士の先陣との合流を目指す。
「おおおおお!」
と、騎士の先陣から、戦場に響き渡る大音声があがる。見れば、先陣を駆けるのは──何とオレントス王である。唯一の騎馬であるから、先陣を切るのも当然といえば当然なのであるが、まさか指揮官が打って出ようとは──開いた口がふさがらないとはこのことである。
「王に続け!」
しかし、王自らの先駆けは、無謀なように見えても、騎士を鼓舞する力はあるようで──彼らは鬨の声をあげて、死者の軍勢に向かっていく。
騎士は横に列をなしている。いわゆる横陣というやつであろう、後ろに控える民を守るため、死者の軍勢に立ちふさがるように広がっているのであるが──丘の上から見ると、オレントス王の駆けた右翼の陣の方が、明らかに厚いことがわかる。
オレントス王の突貫に、厚い右翼が続く。見れば、そこにはオルテスやエンリの姿もある。全体としては数で負けているのであるが、局地としては優勢となり、右翼は死者の軍勢を押し返す。するとどうであろう、右翼の攻勢と示しあわせたように、左翼の騎士はわずかずつ後退を始める。
右翼は前進し、左翼は後退する──と、まるで戦場ごと旋回するように、死者の軍勢はたやすく川に追い立てられていく。
「死にぞこないどもは水に弱いぞう! そのまま追い落とせ!」
オレントス王が叫んで──騎士は応えるように鬨の声をあげる。
騎士の勢いに押されて、死者の軍勢は次々と川に落ちる。私の想像どおり、土くれは水に弱いようで、目に見えて動きが鈍くなる。
さすがは、覇王にもっとも近い男──武王オレントスである。戦がうまい。いくら古の英雄であろうとも、ただ真っすぐに進軍するだけでは──軍としての体をなしていなければ、戦いようはあるということであろう。これなら勝てる──とまでは言えないまでも、何とか時間を稼ぐことはできよう、と思う。




