5
「東方一の豪傑たちよ!」
武王オレントスは両腕を掲げたまま、その後ろに控える千の勇者に呼びかける。
「命を捨てるのは今ぞ!」
「然り!」
オレントス王の声に、騎士は声をそろえて唱える。
その士気の高さたるや、とても死地を前にしているとは思えぬほどで──私は、オレントスの王としての資質に、少なからず驚く。
「陣を敷けい! この丘で死にぞこないの骸どもを迎え撃つぞ!」
オレントス王の命に、騎士は丘に集う民を守るように、陣を敷き始める。
「いったい──どうして、こんなところに?」
私はオレントス王に問う。
死の都は、今や聖域を中心として広がった次元回廊の中なのである。前もってエレグヌスあたりまで進軍していなければ、この場にいることの説明がつかない。
「イオスティの動向を探っておったのよ」
武王オレントスの語るところによると、傾国の魔女を討伐しての謁見の折、私の話を聞いて──王はイオスティに疑念を抱いたのだという。
「俺とイオスティは、かつては友であったからのう。考えておることくらいはわかるよ」
言って、オレントス王は悲しそうに笑う。そのかつての友の考えていることがわかってしまうくらいに同じ思いを抱いているというのに──それでも互いに道を違えてしまったという事実が、たまらなく悲しいのであろう、と王の胸のうちを思う。
「どうせなら騎馬で来てほしかったのう」
黒鉄は、オレントスの騎士を眺めながら、贅沢にもぼやいて──確かに、騎兵であれば、鈍重な死者の軍勢に対して、有利な戦法もとれたであろうに、と思わなくもない。
「まあ、そう言うな。死者の軍勢を相手にして、おののかぬ馬など、こいつくらいしかおらぬのでな」
言って、オレントス王は自らの愛馬であろう、巨躯の黒馬を見あげる。
確かに──あの死者の軍勢の威容を前にすれば、馬などひとたまりもなく、一歩も動けなくなるであろう。それからすると、この場にありながら、平然と死者の軍勢を睥睨する黒馬は、肝のすわったよい軍馬なのであろう、と思う。
「俺は戦の準備があるでな──とはいえ、皆等しく死すやもしれん。知った顔くらいには、別れを告げておけ」
言って、オレントス王は陣を敷く騎士の方に向かって──はて、オレントス軍に知った顔などいたであろうか、と私は首をかしげるのであるが。
「──ロレッタ様」
聞き覚えのある声がして──その疑問はすぐに氷解する。
「オルテス!?」
名を呼ばれて、当のロレッタは驚きの声をあげる。
そう──騎士の中から歩み出たのは、エレグヌスでともに黒騎士と戦った、勇者オルテス一行の面々である。
「どうしてこんなところに?」
ロレッタはオルテスに問いかける。
オルテスの語るところによると、私たちの出立から遅れること数日、エレグヌスを旅立とうとしたところで、オレントス王とその軍勢に出会って──東方の危機と聞いて、いてもたってもいられず、参戦を希望したのだという。
「僕も──勇者の端くれですから」
そう結ぶオルテスの顔は、どこか誇らしげで──いつぞやのロレッタの別れ際の言葉が効いたのであろう、先よりもずいぶんと勇者らしくなっているではないか、と感心する。
「──マリオン、また会っちまったな」
と、オルテスを押しのけるようにして、割って入ったのは──さらに意外な顔である。
「エンリ!?」
ぬっと顔を出したのは誰あろう、黒狼のエンリである。
「どうしてエンリまで──」
私の疑問に、エンリはその狼頭をかきながら返す。
「王様に、ティエルの村も危ないって言われちまったらなあ──」
エンリの語るところによると、オレントス王は王都オレステラ以東の民に避難を呼びかけながら進軍したのだという。当然、ティエルの村も例外ではなく、村のものは皆、オレステラに避難したというのであるが──エンリだけは事情が異なる。一騎当千の獣人は、オレントス王その人から助力を乞われて──ティエルの父代わりとしては、娘を守るために参戦せざるをえなかったというのである。完全に父親である。
「おぬし、ティエルを村まで送ったら、南方に帰るのではなかったか?」
黒鉄が、からかうように、わかりきったことを聞く。
「うるせえなあ、どうせわかってんだろ? ティエルにせがまれて帰れなかったんだよ!」
それがわかっているからであろう、エンリはわずらわしそうにその理由を語る。
そうして、皆と話しているうちに、私は思わず笑い声をあげて──いつのまにやら、胸のうちが軽くなっていることに気づく。そして──それは、おそらく私たちだけのことではない。騎士も民も、明らかに先までとは顔つきが異なり、表情がやわらいでいるのである。
「──武王って呼ばれるのも、わかる気がする」
私は、あれこれと指示を出しながら陣を敷くオレントス王を眺めながら、そうつぶやく。
いつのまにやら、皆の顔から絶望が消えている。オレントス王がそこにいるだけで、騎士の──そして皆の士気が鼓舞されているのがわかる。
「覇王にもっとも近い男──」
ぽつり、とグンダバルドがつぶやく。
グンダバルドによると、オレントス王は、かつての覇王戦争の折、東方の民からそう呼ばれて、おそれられていたのだという。
オレントス王は、多くの戦で先陣を切り、戦場を駆け抜けた。彼の率いる軍は不敗であり、死者の軍勢などに頼らずとも、いずれは東方を統一していたのではないかという評さえあるほどで──私はあらためてオレントス王を見やって、ほう、と感嘆の息をつく。
「そんな男が軍を率いてたら、戦なんてすぐに終わっちゃうだろ」
それは、イオスティとアシディアル翁の望むところではない。
「だから、教団は魔女を送り込んだんだよ」
「魔女って──傾国の魔女!?」
グンダバルドの言の意味するところに気づいて、私は驚きの声をあげる。
「そ──あの魔女、いつかの時代には拝死教徒でもあったみたいでさ、教団には伝手があるんだって」
その伝手を用いて、教団は傾国の魔女を送り込み、オレントス王の力を削がんとしたのだという。
「そして、魔女は見事に仕事を果たして、オレントス王を骨抜きにした。だから、戦は長引いた」
「でも──傾国の魔女の手首を斬り落としたの、グンダバルドじゃない」
私の疑問に、グンダバルドは鼻で笑って返す。
「──やりすぎたんだよ」
グンダバルドの語るところによると、傾国の魔女は、教団の目論見のとおり、オレントス王を篭絡し──指導者を欠いたオレントス軍は、すぐに劣勢となったのだという。
しかし──魔女の欲望は、とどまるところを知らなかった。魔女は暴虐のかぎりをつくし、オレントスは、劣勢どころか、かぎりなく敗北に近づくこととなる。教団にとって、それは本意ではない。
「だから──おいらの出番だったってわけ」
グンダバルドはつまらなさそうに言って、溜息をつく。
古より生きる魔女を屠れと命じられて、それでも臆することなく、しかも本当に致命の一撃を見舞ってしまったのであるからして──こやつ、本当にとんでもない使い手である、と心中でうなる。古より生きるものをのぞけば、間違いなく現世でもっとも強いもののうちの一人であろう、と確信する──であれば、やはりこやつを使わない手はあるまい。
「グンダバルド──これ」
言って、私は異界の短剣を渡す。
「──何これ?」
グンダバルドは短剣を受け取りつつも、疑問の声をあげる。
「異なる世界の鉱物でつくられた短剣──冥府の魔犬をも屠るこの短剣なら、死者の軍勢も屠れるかもしれない」
「何てもの持ってんの──」
グンダバルドは、あきれるようにつぶやきながらも、異界の短剣の、その闇よりも深い刀身から、目を離せないでいる。
「おいらが使っていいの?」
「私は狩人──どう考えたって、グンダバルド以上に適任はいないでしょ」
私の言葉に、グンダバルドは何度も頷いてみせる。
「──あげるわけじゃないからね」
「うん」
私は念を押すのであるが、グンダバルドは生返事を返すばかり。
「さあて──だいぶん近づいてきやがったなあ」
と──絶影が声をあげて、私は慌てて眼下を見やる。
そこには、丘を囲むようにして、死者の軍勢が展開しつつある。とはいえ、どうやら私の読みどおり、水は苦手なようで──蛇行する川に阻まれて、万の軍で包囲するとまではいかぬ様子で、戦力の逐次投入を余儀なくされている。地の利はこちらにあるといえよう。
「そういえば──黒鉄は亡者が苦手なんじゃなかったの?」
死者の軍勢の、その姿形までをつぶさに見て取れる距離となり、私は黒鉄に尋ねる。
いつぞや、伯爵の──真祖の城を訪ねることとなった折、呪われた城だの何だのと騒ぎたてて、同行を拒んだ黒鉄である。当然、死者の軍勢も苦手なのであろうと思ったのであるが──予想に反して、黒鉄は亡者が間近に迫っても、平然としている。
「見た目がおぞましいのが嫌なんじゃ」
黒鉄は、そのおぞましい亡者の姿形を思い起こしたのであろう、渋面で返して。
「しかし──ありゃあ、土くれじゃろうよ」
と、死者の軍勢を見下ろしながら続ける。
なるほど──死者がよみがえるから怖いというのではなく、単に見た目が気持ちわるいから嫌いというだけのことなのである、とわかって──厳めしいドワーフの割に、かわいいところがあるものであるなあ、と私はからかうようにその髭面を突く。
「やめい」
黒鉄に振り払われて、しかしまた突いて、と繰り返しているうちに──ようやく死者の軍勢を迎え撃つ準備が整ったようで、オレントス王が騎馬でこちらに駆けてくる。
「おう、マリオンよう──問うが、此度の戦、生き残る算段はあるのか?」
オレントス王は、本来であれば最初に聞くべきであろうことを、今さらながらに問う。
死者の軍勢は、すぐそこまで近づいているのであらからして、それほど猶予はない。私は手短に、レクサールの再来たるルジェンを殺めるのは最後の手段として──グンダバルドの短剣ならば死者を屠れるやもしれぬこと、そして私の弓ならばこの閉じた世界から抜け出すことができるやもしれぬことを告げる。
「死地と覚悟して赴いたというのに──ずいぶんと勝ち筋があるではないか!」
オレントス王は、ふん、と鼻を鳴らして──突撃のときを待つ騎士団に向き直る。
「オレントスの騎士よ! これは騎士道を重んじる戦いではない!」
そして、馬上から、すべての騎士に語りかけるように声をあげる。
「一対一で相手をするなよう! 囲んで脚を狙え! 時間を稼げば我らの勝ちよ!」
オレントス王は言い放って、豪放に笑う。
時間を稼ぐのはそのとおりとしても、それだけで勝ちとまでは言えぬであろうに、と口を開きかけて──いや、時間を稼いで、その間に次元回廊を打ち破らなければ、ルジェンを殺めなければならなくなるのである、と思い直す。どうやら、私の肩にはずいぶんと多くの命がかかっているようで──今さらながらに、ぶるり、と震える。
そうこうしている間に──死者の軍勢は、丘の麓にまでたどりつく。
「おい──おいおい、見た顔があるぜ」
絶影は、めずらしく上ずった声をあげる。
それもそのはず──絶影曰く、軍勢の中には、彼の知る武侠の面々の顔があり──さらには、彼自身が殺したはずの父親までいるというのである。
「うわあ──師父がいる」
次いで、うめくように言って、しゃがみ込んだのは、グンダバルドである。
グンダバルド曰く、そこには彼の師匠たる先代の闇の姿があるという。おそらく、歴代の告死も同様に顕現しているであろう、とのことで──私は一つの結論に思い至る。
「死者の軍勢とは、つまり──」
フィーリが、私の考えを肯定するように、口を開く。
「──過去に死した英雄、豪傑や、災害とされるほどに猛威を振るった凶悪な魔物の類なのです」
「これが──全部?」
ロレッタは呆然とつぶやいて──さすがに私も言葉もなく、ごくり、と喉を鳴らすばかり。
立ちはだかるは、万を超える古の英雄と魔物──しかも不死の軍勢なのである。何度打ち倒してもよみがえる英雄と魔物など、悪夢のようなものであろう。
「おおおおお!」
と──不意に、耳をつんざくような大音声が響く。その雄叫びには、どこか歓喜の響きが感じられて──不思議に思って、私はその出どころを探す。
そして──呆然とつぶやく。
「──百腕の、巨人」
私の視線の先──死者の軍勢の中央に、いつぞや相まみえた百腕の巨人が立っている。巨人は、私が自身をみつけたことに気づいたようで、不敵に笑う。
「貴様らと再び相まみえることができようとは──冥神の差配に感謝せねばなるまいな!」
巨人の哄笑が、雷鳴のごとく轟く。




