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「最善は──死者の軍勢から民を守りつつ、冥神の依代を探し、それを打ち砕いて、次元回廊から脱する──というところかのう」
黒鉄の語る最善に──私でさえも、いくらか気が遠くなる。あの不死の大軍勢を前に、それらすべてをなしとげなければ、皆を救うことができぬとは──いや、この災禍の中、皆を救おうと思うこと自体、うぬぼれがすぎるのかもしれぬ、と思い直す。
「無理──無理だって。死者の軍勢のことを知らないからそんなことが言えるんだよう」
グンダバルドは、私の心中を知ってか知らでか、脅えるように首を振ってみせる。
告死随一の暗殺者たるグンダバルドをして、ここまで言わしめるとは──小人はエルフのような長寿ではないというから、実際にかつての死者の軍勢を目の当たりにしたというわけではあるまいが、それでも東方に生きるものにとっては、今なお畏怖の対象なのであろう、と思う。
「とりあえず──死の都の民のいるところまで下がろう」
言って、私は皆の顔を見まわす。
こうしてここで話していても、埒があかぬ。それに、ひとまず小高い丘まで逃げ延びたとはいえ、まだ死者の軍勢との距離も近い。奴らがひとたび進軍を始めれば、策を練る間もなく、戦端を開くことになろう。
私たちは全力で駆けて──黒鉄の速度にあわせてはいる──次元回廊に吞み込まれる前に、死の都であったあたりまで戻る。
そこには、今や何もない。先に見あげた外壁も、異質な建造物も、何もなく──ただ、荒野だけが広がっている。かろうじて、そこが都であったとわかるのは、多くの民が跪いて、祈りを捧げているからである。
最前で、死者の軍勢を拝むように祈っているのは、敬虔で、かつ老い先の短いであろうものたちである。彼らは、冥神の与える死を至上のものとして受け入れて、ここで死するつもりなのであろう、と思う。
私たちは、祈りを捧げる信徒の群れをかきわけるようにして進む。やがて、跪くものの姿はまばらになり──次第に、事態を受け入れられぬもの、呆然と立ちすくむものが増えてくる。同じ拝死教徒であろうとも──いくら信仰があろうとも、いきなり死ねと言われて死ねるものなど、そうはいないであろうから、不思議なことではない。
「マリオン!」
呼ばれて、そちらを見れば。
「ロレッタ、アフィエン!」
先に別れたロレッタと、うまいこと合流できたのであろう、大魔法使いアフィエンの姿があって──私たちは互いの無事を喜びあう。
「とんでもないことになっちゃったねえ」
アフィエンから説明を受けているのであろう、ロレッタは状況を理解しているようで、苦い顔でつぶやく。
私は二人に、冥神の依代を打ち砕き、次元回廊を穿つという、フィーリの方針を共有して──そして、一縷の望みをかけて、アフィエンに尋ねる。
「アフィエンは、他に次元回廊から脱する術を知らないの?」
「──そんなものはない」
私の問いに、しかしアフィエンは沈痛な面持ちで首を振る。
「こうなってしまっては、俺もそれほど役には立たん。こうなる前に止めようと思っておったのだがなあ──」
言って、アフィエンは天を仰ぐ。
大魔法使いアフィエンの力をもってしても、次元回廊には──神の力には抗えぬと知って、そうであろうと覚悟はしていたものの、それでもいくらか気落ちする。
「まあ──大魔法使いがおれば、いくらかましに戦えるじゃろ」
黒鉄はそううそぶいてみせるのであるが、やはりそれも空元気のように響く。
「ほら、爺さん──せめて丘まで逃げないと!」
と──聞き覚えのある声に、そちらを見やると、いつぞやの食堂の給仕のふくよかな女性が、店の常連と思しき老爺に声をかけている。
「冥神様の手にかかって死ねるんなら、本望──」
「何言ってんだい!」
跪いて動こうとしない老爺を、彼女は一喝する。
「必死に生きてこその死だろ!」
彼女の言葉に、老爺は胸を打たれたようで、よろよろと立ちあがる。
なるほど──抗わずに死を受け入れるのも信仰なら、死に抗うのも信仰というわけであろう。であれば、この中にも生きたいものはいるということ。
「死に抗う意思のある人は、私たちと一緒に下がって!」
私は周囲に呼びかけながら、さらに死者の軍勢から遠ざかる。
私には、一つ、気づいたことがある。
この次元回廊──世界は塗り替えられて、荒野と化しているものの、それはあくまで表面上のことだけで、その地形自体は大きく変わっていないように見えるのである。丘があったなら丘がある。おそらく──川があったなら川もあろう。死者の軍勢は、もとは土くれである。となれば、もしかすると水には入れぬ──よしんば入れたとしても、本領を発揮することはできぬのではなかろうか、と考えるのも、それほど的外れな発想ではあるまい。
私たちは死者の軍勢から遠ざかり、丘にのぼる。丘の後ろには、私の読みどおり、暗い川が流れている。川は蛇行しており、私たちはその流れに抱かれるように、水を背負う格好で陣取る。川を背にするなど、自らの退路をふさぐ下策と言うものもいるやもしれぬが──この地であれば、ある程度ではあるものの、死者の軍勢の進軍を限定することができよう。
私は目を細めて、死者の軍勢を見やって。
「──くる」
その進軍を確認して、短くつぶやく。
死者の軍勢は、老信徒をたいらげて──そして、道中の若い信徒をもむさぼり喰らいながら進む。土くれから形づくられた身体は、不死ではあるが、脆くもあるようで、その歩みは遅々としている。
それがかえって、恐怖を煽るのであろう、死の都の民は、その場にうずくまり、救いを求めるように、神に祈りを捧げている。しかし──彼らは理解しているのであろうか、その神こそが、この緩慢に迫る死を遣わしたのであるということを。
「おい、マリオン──横からも何かくるぜ」
絶影がつぶやいて──まさか、死者の軍勢に挟まれたのであろうか、と私はうろたえるのであるが──すぐにそうではないことに気づく。
私たちの横から進軍してくるのは──何と騎士である。馬はなく、徒歩による進軍ではあるものの、その出で立ちからするに、騎士であることに間違いはなかろう、と思う。
「あれは──オレントスの紋章じゃのう」
黒鉄は、軍を先導する、ただ一人の騎馬の掲げる旗印を認めて、声をあげる。
そのただ一人の騎馬こそ、真紅の外套を身にまとった偉丈夫──オレントス王その人である。オレントス軍は、死者の軍勢よりも先に丘に到達して──オレントス王は、私たちの前で下馬する。
「また会うたのう」
言って、オレントス王は、この絶望的な状況に似つかわしくなく、豪放に笑う。
「いったいどうして──」
「──つもる話は後ほど」
何故オレントス王と彼の率いる軍勢が次元回廊の中にいるのか──尋ねる私に、王は唇に指をあててみせる。なかなかにお茶目な王である。
オレントス王は、死の軍勢をみつめて呆然とする民に向き直り。
「死の都の民よ!」
次元回廊中に響き渡ろうかというほどの、大音声をあげる。
民は耳を抑えながら振り向いて──そこに武王オレントスの威容と、彼に従う千の軍勢を見る。
「死に場所は、自ら選ぶもの。だからこそ尊い──そうであろう?」
オレントス王は言って、両腕を高々と突きあげる。
「尊い死のため──迫りくる死に抗ってみせようぞ!」




