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私たちは、ひとまず小高い丘まで逃げ延びて──そこから荒野を振り返る。
幸いにして──と、言うべきかどうかはわからないが、死者の軍勢は、いまだ進軍を始めてはいない。先の老信徒の集団が、冥神による死を求めて、軍勢に近づいて──それを死者が喰らっているために、足を止めたままなのである。無情かもしれぬが、しばしは時間が稼げるであろう、と思う。
「お嬢ちゃん──」
息もたえだえに私に呼びかけるグンダバルドに。
「マリオン」
私は、名を呼べ、と訂正しながら──フィーリから取り出した命の水を飲ませる。グンダバルドは──私の透しをくらって、瀕死の重傷を負っていたにもかかわらず──次の瞬間、むくりと起きあがる。
「わあ──いったいどんな魔法だい?」
言って、グンダバルドは、こんな事態であるというのに、身体の回復を確かめるように踊り始めて、くるくるとまわり、飛び跳ねてさえみせる。
「それは──秘密」
私はうっかり答えかけて──考え直して、口をつぐむ。
この尋常ならざる危機において、グンダバルドの力は必ずや役立つに違いない──と、見込んで連れてはきたものの、完全に信用できるわけでもないのであるからして、余計なことまで話す必要はなかろう。
「──あなた、何か事情を知ってるんでしょ?」
私は逆にグンダバルドを詰問する。
イオスティは、私たちを寄せつけぬために、告死を動かしたと言っていた──となれば、狂王に動かされた告死の方も、何かしら事情を知っていてしかるべきであろう、と思う。
「グンダバルド? グリンデルという名ではなかったか?」
黒鉄が疑問の声をあげて──そこから説明しなければならないのか、と私はこれまでのあらましを語る。
「こやつが、告死の暗殺者──」
黒鉄は、そんな輩を信用してよいものか、と渋面で示すのであるが。
「もう降参だよ、何もしないって──告死の長も死んじゃったんだからさあ」
言って、グンダバルドは手をひらひらと躍らせて──その様からするに、彼もアシディアル翁が喰われるところを見ていたのであろうが、それにしては言葉が軽い。
「だいたい、おいらはそんなにわるいことはしてないんだって。わるいのは、お嬢ちゃん──いや、マリオンなんだから」
グンダバルドは、先の私の訂正を思い起こしたのであろう、言い直しながら続ける。
「マリオン──イオスティ王に銀髪の乙女の話をしたろ」
グンダバルドに指摘されて──私はイオスティに初めて会った折のことを思い起こす。
魔犬に襲わるる前──私たちは、イオステラの酒場で、イオスティと相席になったのである。そこで、なぜ覇王伝説の真実を知っているのかと問われて──。
「確かに──ルジェンのことを話しておったのう」
「あの場合、仕方ないでしょ!」
黒鉄も、あの夜の出来事を思い起こしたのであろう、私の顔を半眼でにらんで──私は思わず言い返す。ルジェンのことを省いて、いったいどう説明しろというのか。
「イオスティは、マリオンの話から、真人たる古代人の生き残りがいることを知った──そこまではよかろう」
と、黒鉄はグンダバルドに続きをうながす。
「イオスティ王とアシディアル翁は、ともに覇王レクサールの解放を望んでいた──だからこそ、戦を長引かせて、多くの死者が出ることを望んでいたんだ」
グンダバルドは、理解できないよね、と肩をすくめながら続ける。
なるほど──だから、イオスティは黒騎士を操って、密書が届かぬよう──戦の勢力が偏らぬよう、暗躍していたのであろう。今から考えれば、イオステラの酒場で相席となったのも、戦を引き延ばすという自らの計画を妨害したものの顔を拝みにきたのであろうが──その妨害にわざわざ礼を述べてみせるあたり、したたかな爺さんであるなあ、と思う。
「でも──マリオンの話を聞いて、事情は変わってしまった。レクサールの他にも銀髪の乙女がいるとなれば──戦を長引かせるよりも、死者の軍勢を呼び出す方が、よっぽど手っ取り早いもんねえ」
グンダバルドは簡単なことのように言う。
しかし──戦を長引かせて、継続的に戦死者を出すよりも、東方の民の鏖殺の方が手っ取り早いというのは、いささか飛躍がすぎるように思えて、私にはどうしても理解することができない。
「どうすれば──死者の軍勢を止められる?」
私は、唯一答えを持ちあわせているやもしれぬフィーリに尋ねる。
「死者の軍勢を止めるというのは──つまるところ次元回廊より脱することと同義です。マリオンは、海神の次元回廊より逃れ出た方法を、覚えていますか?」
問われて、私はかつて今と同様に次元回廊に捕らわれたときのことを思い出す。
「海神を弱らせて、旅神の弓で世界の壁を穿って──そうしたら次元回廊が崩壊したんじゃなかったっけ?」
「そう──次元回廊から脱出するには、まずそれをつくり出した神を弱らせた後に、世界の壁を穿つ必要があるのです」
フィーリの答えは、次元回廊からの脱出は不可能であると言っているも同然なのであるが──幸いにして、私の手もとには、それを可能とする弓がある。
「海神の折とは異なり──この次元回廊には、冥神そのものが顕現しているわけではありません。ゆえに、どこかに冥神の力を宿したもの──依代のようなものが存在するはずです。それを打ち砕けば、世界の壁を穿つこともできましょう」
フィーリは簡単なことのように言う。
「依代って──どんな?」
「わかりません──が、本来の世界には存在しないような異物であるはずです」
フィーリの言葉に──私は丘から世界を見渡す。
夜──見渡すかぎりの荒野には、草一つ生えていない。それは、まるで生者の存在を拒む死の世界のようにも思えて──私からすれば、この荒野すら異様に映るのであるからして、異物といわれても見当もつかないというのが正直なところである。
「でもよう──前の戦では、覇王レクサールを斬ることで、死者の軍勢は撤退したんじゃなかったか?」
絶影は言って、災禍の中心に立つルジェンを顎で指す。
確かに──かつて覇王レクサールが死からよみがえり、死者の軍勢を率いて西方に進軍した折には、イオスティがレクサールを斬ることで、その進行は止まったはずである。
「この次元回廊は、契約者を鍵として顕現していますから、契約者の命を奪うというのも、脱出の手段の一つではあります」
フィーリは絶影の言を肯定するのであるが──だからといって、ルジェンを殺そうということにはならない。
「ま、最後の手段よのう」
黒鉄が、長い髭をもてあそびながら、つぶやいて。
「──最初の手段だろうに」
それに応えるように、グンダバルドがぼやくのであるが──今のところ、頷くものは誰もいない。




