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「ルジェンがさらわれたって──どういうことなの!?」
私は屈み込んで、エリスを問い詰める。
拝死教団の──告死の魔の手から逃れて、ようやく神殿を脱するところであるというのに、息をつく間もなく、新たな危機に直面しようとは──偶然で片づけるには、あまりにも頃合が重なりすぎている。
「わかりません──が、もしかしたら最悪の事態かもしれません」
エリスの語るところによると、訪れるものなどないはずの名もなき村に、突如として野盗が現れたのだという。野盗は、エリスが墓守で留守にしている頃合を見計らったかのように襲撃し──しかし略奪はせず、ルジェンだけをさらっていったというのであるからして、明らかに周到な計画であろうことがうかがえる。
「そもそも、ルジェン様のことを知るものなど、ほとんどおらぬはず──」
エリスは、その愛らしい顔を曇らせながら続ける。
「ルジェン様の存在を知るものがおり、真人であることを知った上でさらったのであれば──もしかすると、ルジェン様を贄として、死者の軍勢を呼び出そうとしているのやもしれません」
エリスの最悪の想像は──おそらく正しい。特に根拠があるわけではない──が、どこかはりめぐらされた陰謀の糸にからめとられているような、そんな嫌な予感がするのである。
しかし──こちらにも手はある。一連の陰謀の黒幕が誰であろうと、そのものは知らぬであろう。死者の軍勢──その出現を阻むというのなら、適任の調停者がいるということを。
「ロレッタ! アフィエンを呼んできて!」
「──わかった!」
私はロレッタに頼み、彼女はすぐさま頷いて──もともとアフィエンに魔法の糸を結んでいたのであろう、何やら話しながら、神殿の外に駆けていく。
「私たちは聖域に!」
死者の軍勢を呼び出すのが目的ということであれば、ルジェンをさらったものの目指す先は──聖域の祭壇であろう。だからこそ、エリスも神殿に飛んできたのである。
「死地に戻るのかよう」
絶影はそうぼやくのであるが──私たちが駆け出すと、溜息をつきながらもついてくる。本当につきあいのよいやつである。
聖域に戻る──と、その扉は開け放たれており、洞からは信徒の祈りが響いている。先ほど、私と絶影があれほど暴れたというのに──そして、その果てに告死の筆頭たるグンダバルドを倒したというのに、信徒は何事もなかったかのように、一心に聖句を唱えているのである。
私たちが聖域に入ると、信徒は示しあわせたように、ぴたりと祈るのをやめる。不気味なまでの静寂の中──不意に、聞き覚えのある声が響く。
「久しいのう──」
祭壇の前、アシディアル翁の隣にいるのは誰あろう──。
「──イオスティ王」
私の声に応えるように、イオスティはこちらに向き直る。
「ようこそ──マリオンと、その一行よ」
イオスティは、大仰に両手を広げて、歓迎の意を示す。
「まったく、おぬしらには驚かされたぞ」
言って、イオスティは苦笑するのであるが──むしろ、何故こんなところにイオスティがいるのか、こちらの方が驚くばかり。
「黒騎士どもはともかくも、魔犬や操具まで撃退するとは──おぬしら、本当に人か?」
イオスティは、わざとらしく肩をすくめてみせる。私は、厳密には人ではないものもいる、と返しかけて──いや、そんなことを言っている場合ではない、と思い直す。
こいつだ──こいつこそが黒幕。
私たちが契約を破棄しようとしていることを冥神に注進して魔犬に襲わせたのも、黒騎士を操り戦争を長引かせようと画策していたのも、はては操具を用いて私たちを殺そうとしたのも──すべてイオスティの差し金だったのである。
「──私たちに期待してるんじゃなかったの?」
イオスティは、レクサールの解放をこそ望んでおり、私たちが冥府の試練に挑戦することに期待している──そう言っていたはずである。契約を破棄できれば、レクサールは解放される。彼の願いもかなうというのに。
「──そうであったらよいと思うたのは事実よ。しかし、それが不可能であることをよく知るのも、俺なのでなあ」
イオスティは、自らも冥府の試練に挑戦したことがあるからであろう、その当時のことを思い起こすように、苦い顔をする。
しかし、私たちが冥府の試練に失敗するだけならば、少なくともイオスティの不利益にはならない──わざわざ私たちを殺そうとする道理などないはずである。
「俺には新たな願いがある。それをかなえるには、おぬしらが邪魔でなあ」
イオスティは、私の疑問を察したかのように、そう言葉を重ねる。
「ほれ──今まさにこうして邪魔されておるのが、その証左よ。この瞬間、この場におぬしらを寄せつけぬために告死まで動かしたというのに──」
言いながら、イオスティは聖域の隅に転がるグンダバルドを見やり──聞えよがしな溜息をつく。
「まあ──よい。何とかおぬしらを出し抜いて、先んじてこの場に立つことはできたのだからな」
イオスティは勝ち誇るように笑う。
どのような策略があろうとも、私たちだって、遅ればせながらこの場に立つことはできている。まだ負けてはいないはずであるというのに──私の中の嫌な予感は、どんどんとふくらんでいく。
「──ルジェンはどこ?」
「安心せよ。乙女を害するつもりはない」
私の問いに、イオスティはわずかに身をずらしてみせて──その後ろに立つ頭巾の少女の姿があらわになる。頭巾から美しい銀髪がこぼれているところからするに、さらわれたルジェンとみて間違いはあるまい。
「ルジェン!」
私は呼びかけるのであるが、彼女はうつむいたまま、微動だにしない。
「──俺はレクサールを斬ったことを後悔している」
おもむろにイオスティは語り出し、祭壇をなでながら、悔恨の情をあらわにする。
「レクサールを斬っても冥神の契約から解放されぬと知っていたなら──決して彼女を斬りはしなかった!」
声を荒げて、祭壇に拳を打ちつけて、噛みしめた唇からは血が滲んでいるほどであるというのに──イオスティは一転して、不気味なほど穏やかに笑う。
「だからこそ、マリオン──そなたには心より感謝しておる」
言って、イオスティは右手をあげて──それを合図として、王の後ろより、ルジェンが前に歩み出る。
「ルジェン!」
私は再び呼びかけるのであるが、やはり彼女から反応はない。それもそのはず──。
「──操具」
彼女は、見覚えのある仮面を身に着けているのである。
「死者の軍勢を呼び出し、この東方を蹂躙したならば──必ずや冥神の望むだけの死者の数に足るであろう。さすれば──レクサールも解放される」
「──狂ってる」
満面の笑みを浮かべるイオスティに、私は思わずつぶやく。レクサールを解放するためならば、どれほどの民が死んでもかまわないというその発想は、とても常人のものとは思えない。
「そう──かもしれぬ。俺は最愛のレクサールを斬り殺したときから、狂っておるのであろうな」
言って、イオスティ──いや、狂王イオスティは苦く笑う。
「──やめろ」
私の制止も空しく──ルジェンはおもむろに歩み出て、祭壇に手をつく。そして、かつて覇王がそうしたであろうように、冥神に呼びかける。
「我──レクサールの再来なり」




