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「聖域まで、ご案内いたします」
先と同じく、匂菫の案内に従って、私は神殿の奥に進む。
通路は、途中から窓がなくなり、等間隔に灯りはあるものの、進むにつれて薄暗くなる。次第に空気も重くなり、湿気が肌にまとわりついて──まるで、地中に潜っているような印象さえ受ける。
「もしかして──火吹山に向かってる?」
「はい。聖域は火吹山にございますので──」
私の疑問に、匂菫は首だけで振り返りながら答える。
なるほど──この通路は、火吹山を穿つように続いているのであろう。となれば、地下通路も同然であろうから、この不快な湿気にも頷ける。
通路は緩やかに下る。それは、まるで火吹山の中心に向かって続いているかのようで──空気は次第に熱を帯びて、汗ばむほどになる。
「──休憩いたしましょうか?」
それにもかかわらず、匂菫は汗一つかくことなく、涼しい顔で私に問いかける。
「大丈夫」
やせ我慢ではない。汗は、止めようと思えば止まる。
私たちは、地の底にまで続くかのような道を、延々と行き──やがて、通路は大きな扉の前で終わる。扉は、わずかに開いており──匂菫は、その隙間から、するりと中に入る。
「こちらでございます」
匂菫にうながされて、私も扉を抜ける。
「ここが、聖域──」
と──ぽつりとつぶやいたにもかかわらず、声は思わぬほどにこだまする。
聖域は巨大な空洞である。洞は、人ならざる手でくり抜かれたかのように、異様になめらかな質感をともなっており──私の目には、どこか不気味なものとして映る。
洞の奥には、冥神に供物を捧げるためのものであろうか、精緻な祭壇があり、さらに奥には見あげるほどの扉がそびえている。
「こちらへ──」
匂菫に案内されて、私は聖域に踏み出す。
空洞は、その中心に向けて、緩やかな起伏があり、それはどこか舞台のようにも思える。私は舞台にあがり、その中央──もっとも高くなっているところで足を止めて、聖域の奥を見やる。
祭壇は、私からすると歪な造形に映るのであるが──しかし、洞の印象とは異なり、不気味ではない。その側面に、フィーリに似た紋様の浮き彫りが細工されており、どこか芸術性を感じさせるからかもしれない。人の手によらぬ芸術には、手つかずの原野のような美しさがある。
「あの覇王レクサールも、この祭壇にて、冥神様と契約をかわしたのです」
匂菫は、祭壇に見惚れる私に、覇王の逸話を語る。
何でも、覇王レクサールと十二人の腹心は、拝死教団の幹部しか知らぬはずの秘奥──冥神と交流する方法を、何故か知っており、この地で冥神と契約をかわしたのだという。
レクサールらは──匂菫は知らぬであろうが──古代人である。古代の都市に住まう古代人ともなれば、そのような知識に精通していても不思議はなかろう、と思う。
「そして──あちらが冥府につながる扉と伝えられております」
言って、匂菫は祭壇の奥の巨大な扉を手で指し示して──私はのけぞりながらそれを見あげて。
「伝えられて──?」
匂菫の言葉に、疑問の声をあげる。
「実際にたどりついたものはおりませんので」
匂菫は淡々と答えて──なるほど、と納得する。とはいえ、フィーリがあるというのであるからして、目の前の扉が偽物ということもあるまい。
「ちょっとだけ開いてみるわけには──」
「──まいりません」
冗談で口にしたというのに、匂菫に思いのほかきつく返されて、いくらかしょげる。
下見のつもりできたのであるが、外からでは何もわからぬなあ、と冥府の門を見あげて──仕方がないから戻ろうか、と振り向いたところで、聖域の入口から足音が響く。誰か教団の信徒が祭祀の下見にでもきたのであろうか、と目をやれば、そこに現れたのは誰あろう──。
「あれ、お嬢ちゃん?」
「グリンデル!?」
そう──聖域に現れたのは、小人の踊り子グリンデルである。今までも、行く先々で顔をあわせる機会があったとはいえ、まさかこの聖域で出会おうとは、神出鬼没にもほどがある。
「やあ、奇遇だねえ」
言って、グリンデルは駆け寄って、親愛の情を示すように私の手をとる。
「何でこんなところにいるの!?」
私は驚きのあまり、されるがままに手を握られて──グリンデルは再会を喜ぶように、握った手を上下に揺らす。
「冥神様に踊りを奉納するんだよ」
グリンデルの語るところによると、まさに明日、拝死教の祭詞が執り行われるとのことで──東方一の踊り子たる彼には、そのたびにお呼びがかかっているのだという。
「お嬢ちゃんも見ていけばいいのに」
グリンデルは軽い調子で告げる。
確かに──グリンデルほどの踊り子がこの神秘的な聖域で舞うとなると、さぞかし神々しいことであろう、と興味をそそられる。ちら、と匂菫を見やると。
「後ほど、アシディアル翁にお尋ねください」
彼女は困り顔でそう返して──ま、そうであろう。案内のものに、そのようなことは決められまい。
私は聖域を後にして、おそらく祭祀の権限を持つであろう、老翁のもとに戻る。
「──どうでしたかな?」
アシディアル翁は、先と変わらず長椅子に腰をおろし、あの苦い冥府の茶を飲んでいる。
「実は、お願いがありまして──」
私は、明日の祭祀で踊るグリンデルと旧知であること、また彼の踊りの業前を知るゆえに、ぜひとも聖域でその踊りを見てみたいという、その素直なところをアシディアル翁に願い出る。
「そうですなあ──」
アシディアル翁は、長い髭をもてあそびながら、難しい顔をする。
「さすがに、お仲間も含めて皆で、というのは、私の権限では何とも──」
老翁をしても、かなわぬ願いであったか、と私は気を落としかけるのであるが。
「ただ──マリオン殿だけであれば、リムステッラの巡察使ということで、賓客としてお招きすることはできましょう」




