1
「これは──いったいどうなっておるんじゃ?」
拝死教の聖地たる死の都にたどりついて──黒鉄はその純白の外壁を前に、呆然と立ち尽くす。それもそのはず、都の外壁は石積みではなく──まるで、信じられぬほどに巨大な一枚の岩から、そのまま切り出されたかのように、一切の継ぎ目なくそびえているのである。古代の魔法によって隙間なく精緻に積みあげられた外壁であっても、石積みには変わりないことを考えると、眼前の外壁はとても人の手によるものとは思えない。
「これは──この都市は、この世のものではないのです」
と、おもむろにフィーリが口を開いて──黒鉄が、どういうことじゃ、と首を傾げる。
フィーリの語るところによると、死の都は冥府の一部なのだという。冥神のおわす冥府には、この外壁と同じく、神の手による荘厳なる神殿が建ち並んでおり──その一部を地上に顕現させたものが、この都であるというのである。
「──ってことは、この中は、半分あの世ってこと?」
「そういうわけではありませんが──いや、そう考えてもよいかもしれませんね」
ロレッタの疑問に、フィーリはいくらか逡巡しながらも、そう答える。
半分あの世──フィーリにそう認められてしまうと、いくらか怖気がわいてくる。私とロレッタは、黒鉄の背を押して──不倒のドワーフを先頭に、その背に隠れるようにして、都の門に向かう。
死の都の巨大な門は、開かれている。そこには衛兵もおらず、多くの巡礼者が自由に往来している。死出の門は、誰にでも平等に開かれているということなのやもしれぬ──と、私たちは覚悟を決めて、その門をくぐる。
「おそろしいほどに精緻な建造物が並んでおるが──都市としては、普通じゃのう」
黒鉄は、きょろきょろとあたりを見まわしながら、そうつぶやく。
「さすがに聖地だからなあ、酒場はないと思うぞ」
絶影は、黒鉄が何を探しているのか察したものか、そう忠告して──黒鉄はがっくりと肩を落とす。
私たちは、初めて都会を訪れた田舎者のごとく、周囲に気をとられながら死の都を歩く。これまでにも、同等か、それ以上に栄えた都市を訪れたことはあるのだが、これほどまでに人類の意匠を無視した建築は物めずらしく、さすがに目を奪われる。
目抜き通りには、巡礼者があふれている。ようやく目指す聖地にたどりついたからであろう、彼らの顔は明るく、足取りも軽い。
「さて──と、旅の道連れも、ひとまずはここまでかな」
と、通りが二手にわかれるところで──突然、絶影が足を止めて。
「名残惜しいが、俺は教団に向かう」
言って、左の道を、くいと顎で指す。
そういえば──絶影は、教団に詫びるために、死の都を目指していたのである、と今さらながらに思い出す。いつのまにやら、ともにいることがあたりまえになっていて、別れの時がくることなど、思いもしなかったという事実に驚く。
「え、もう行っちゃうの?」
ロレッタも同じ思いなのであろう、彼女は別れがたそうな顔で、絶影をみつめる。
「今生の別れでもあるまいし」
絶影は苦笑しながら、ロレッタの頭を優しくなでて。
「もしも、帰り道も同じだったら──そのときは、またよろしく頼む」
軽く手を振って、振り返らずに歩き出す。
「寂しくなるね」
私は絶影の背中を見送りながら、ぽつりとつぶやく。
「──うん」
頷くロレッタの背中は、いつもよりも小さく見える。
「ところで──」
ロレッタは、気持ちを切り替えるように自らの頬を張って──おもむろに振り向いて。
「おじさんはどうするの?」
と、私たちに同道するアフィエンに問いかける。
エレグヌスの騒動の後──アフィエンは、ロレッタかわいさでオルテス一行に別れを告げて、私たちについてきているのである。彼の偉大なる力を思えば、同行自体は頼もしくも思えるのであるが──道中、ロレッタのやることなすことに、あれこれと口を出して、小うるさいこと、この上なく──私でさえそう感じるのだから、当のロレッタに至っては、どれほど辟易しているやら、知れたものではない。
「俺は──ぬしらが用を終えるまでは、ここに残ろうと思う」
アフィエンはさらなる同行を申し出て、ロレッタは露骨に、うへえ、と溜息をつく。
「そう嫌がるな、傷つく」
アフィエンは、とても大魔法使いとは思えぬ顔で、落ち込みながら続ける。
「始終ともにおるつもりはない。古い馴染みに会うてくるゆえ、何かあればロレッタから知らせてくれい」
アフィエンは肩を落として、ロレッタの笑顔に見送られながら、都の西に向かう。そうして、私たちは、久方ぶりに三人──いや、フィーリをあわせて四人になって──巡礼者の往来を避けて、通りの端に寄る。
「儂らはどうする? さっそく冥府の入口を探すのか?」
言って、黒鉄は冥府の入口があるとされる、火吹山を仰ぎ見る。
火吹山は、麓である死の都から見あげると、首が痛くなるほどにそびえている。その威容たるや、幽世に通ずる門があるとされても、そういうこともあろうなあ、と納得できるほどに荘厳で、見るものの胸を打つ。
「いや、まずはイオスティ王の話していた人──かつての覇王の腹心のうち、教団の信徒になったって人に会ってみたい」
私は、実際に痛くなってしまった首をもみほぐしながら、黒鉄に答える。
私たちは、まず宿を探して──その向かいの食堂で昼食をとる。
食堂には、多くの巡礼者が出入りしており、その活気たるや、死の都でも一、二を争うほどであろう、と思う。酒の飲めぬ都であるから、せめて食事くらいはよいものを、という黒鉄の切なる願いにより、この繁盛店を選んだからこそ、向かいの宿に泊まることとなったと言っても過言ではない。
「あいよう!」
給仕のふくよかな女性が、私たちのテーブルに大皿を置いて。
「たんと食べておくれ!」
と、溌溂とした声で笑いかける。死の都に暮らすからには、彼女も拝死教徒なのであろうが、その笑顔に死の影を感じることはない。
「うまそうじゃのう」
黒鉄は、そうつぶやくよりも先に、皿に手を伸ばしている。大皿には、エレグヌスと同様、肉の串焼きと薄いパンが盛られている。黒鉄とロレッタは、我先に、と皿に手を伸ばし──私も負けじと自らの取り分を確保したところで。
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど──」
と、先の給仕に声をかけて──教団の信徒になったという、かつての覇王の腹心について尋ねる。
「ああ──それなら、アシディアル翁だろうねえ」
給仕は、隣のテーブルの皿を片づけながら、迷うことなく答える。
「間違いない?」
重ねて問うロレッタに、給仕は手にした皿をいったんテーブルに置いて。
「間違いないさ。よそもんなのに、老翁の一人にまでなっちまったのは、アシディアル翁しかいないからねえ」
「──老翁?」
「教団の指導者のことさ。中には若いもんもいるんだけど、等しく老翁って呼ばれてるんだよ。何でも、肉体の年齢じゃなくて、魂の成熟のことを指してるってことらしくてね」
と、ロレッタに愛想よく答えたところで、厨房から給仕を呼ぶ声が届いて──彼女は片づけかけの皿を手に、足早に厨房に去っていく。
「教団の幹部──というわけか」
黒鉄は苦い顔でつぶやく。
件のアシディアル翁とやらが一介の信徒であれば、それほど心配する必要もなかったのかもしれぬが──拝死教団の幹部ともなれば、暗殺業に関与している可能性もあろう。
「ま、会ってみるしかないんじゃない」
私は気軽に言って──肉を挟んだパンを口に放り込む。
教団の導き手たる老翁は、神殿におわすという。
神殿は、死の都の東端──まさに火吹山の麓に建っている。純白の神殿は、しかし冥府の一部が顕現したものであるからか、人の目には見慣れぬ造形で、どこか見るものを不安にさせる。
神殿の前には、黒い装束を身にまとった老爺と──その前にずらりと並ぶ信徒の列がある。見れば、老爺は神殿を訪ねる信徒の用向きを取り次いでいるようで──私たちもその列に並んで、順番を待つ。
列に並ぶ信徒は、そのほとんどが白い巡礼服に身を包んでおり、遠方からの巡礼者であることがうかがえる。老爺への申告の声を聞くに、彼らは神殿の大祭壇で冥神に祈りを──またあるものは宝石を──捧げるために旅を続けてきたようで、旅の終わりを目前にして、皆どこか晴れがましい顔をしている。
ようやく、私たちの順番がまわってきて。
「おや──あなた方は、巡礼ではないようですな」
歩み出た私たちの出で立ちを見て、老爺は首を傾げる。
「旅のものです」
答えながら、私は老爺の装束を眺める。
老爺の黒は、周囲の巡礼者の白に比すると、いくらか慎ましくも映るのであるが──その質素な出で立ちには、どこか奥深さとでもいうような趣がある。もしかすると、拝死教においては、黒は位の高いものの装束なのやもしれぬ、と思う。
私は、老爺に敬意を示すように、騎士の作法で辞儀をする。
「リムステッラの巡察使、マリオン・アルダと申します。イオスティ王よりお話をうかがいまして、アシディアル翁にお目通り願いたいのですが──」
大国リムステッラの巡察使であることを強調しつつ、さらにはイオスティ王の名をも挙げる。王の威を借りれば、一考してくれるのではないかという算段であるが──はたして。
「ああ──」
と、老爺は、何やら納得するように頷いて──うやうやしく辞儀をしながら続ける。
「話はうかがっております。どうぞ、こちらへ──」




