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黒騎士の襲撃を退けた──その翌日、私たちは朝もやにまぎれて、人目を避けるように、エレグヌスを発とうとしている。
「本当に──何も告げずに旅立たれるのですか?」
唯一、私たちの旅立ちに気づき、せめて見送るために、と途中までの同道を申し出たオルテスが、何度目かになる問いを発する。
「先を急いでるからね」
私は、同じく何度目かになる答えを返すのであるが──オルテスは私を見てはいない。彼のその真摯な眼差しは、自身を救ったロレッタに向けられており、そこにあふれる敬愛の念を隠そうともしていない。
「──ロレッタ様」
「さすがに敬称はやめてよ」
オルテスの呼びかけに、ロレッタは辟易するように返す。いつもならば調子に乗りそうなところなのであるが、彼の真っすぐな敬意がこそばゆいのであろう、と思う。
「街のものは、勇者の凱旋を望んでおります」
どうかお考え直しを、とオルテスはロレッタを引き留めんと言葉を重ねる。
黒騎士の襲撃から一夜明けて──今なお脅える民の心を安んずるために、街を救った真の勇者の再来として、ロレッタをたたえたいというのがオルテスの心持ちなのやもしれぬが。
「勇者の再来って──あなたのことじゃない」
ロレッタは意に介さず、オルテスこそ、たたえられるべき勇者である、と返す。
「何を申します。あなたこそ──真の勇者ではありませんか」
ロレッタは大きな溜息をついて、通りを行く足を止めて、オルテスに向き直る。
「あたしね──勇者って、どれだけ怖くても、勇気を振りしぼって、誰かを助けることのできる人だって思ってるの」
ロレッタはオルテスの正面に立って、ずいと顔を突き出して。
「だったら──あなたも勇者でしょ」
言って、オルテスの胸を押す。それは、勇者の再来ともて囃された彼にとって、真の勇者としての一歩を踏み出すための一押しとなったのであろう。オルテスは、ロレッタのその言葉に、逡巡しながらも頷いて。
「──よし!」
ロレッタは満足そうに言って、今度はオルテスの背中を叩く。
「ロレッタ、立派になって──」
アフィエンは、そんなロレッタを見て涙ぐみながら、力ある言葉も唱えずに、手もとに何やら魔法を発現している。
「おじさん──それ、何してんの?」
「お前の雄姿を、魔石に記録しておる」
ロレッタはそれを見とがめて、アフィエンは何でもないことのように返す。
「ブルムに見せてやろうと──」
「絶対! だめ!」
ロレッタは、アフィエンの言葉を遮りながら、彼の手にした魔石を奪い取り、赤剣で両断する。まったく、神代の魔法と神具を用いて、何をしているやら。
言い争いを続ける二人を尻目に、私たちは通りを行く。突きあたりを右に折れて、ようやくエレグヌスの門にたどりつくというところで──絶影が声をあげる。
「ま、確かに姐さんの雄姿はなかなかのもんだったよ」
それは、ロレッタに向けた素直な賛辞である。
ロレッタの獅子奮迅の働きを目の当たりにした絶影に、彼女の出自を隠しておくのも難しく、ロレッタが勇者の末裔であることは──嘘はついていない──告げたのである。とはいえ、絶影はその特殊な出自を知ったからとて、評価に手心を加えるような男ではない。先の賛辞は、純粋にロレッタの実力を評してのものであろうから、いよいよロレッタも一端の勇者といえるやもしれぬ。彼女の力が、絶影ほどの達人に認められて、うれしいやら──どこか寂しいやら。
そんな寂しさをまぎらわそうと思ったからか──私のいたずら心に火がついて。
「だったら──あなたも勇者でしょ」
「──っ!」
私の声真似に、絶影が盛大に吹き出す。
近頃は、私もからかわれてばかりではない。私の方からからかうこともあるのである──が、このときばかりは戯れが過ぎたようで。
「マーリーオーン」
地の底から響くような声と殺気に振り向けば──そこには赤剣を手にしたロレッタが立っている。
「あ、ごめん──」
私の謝罪も空しく。ロレッタは、まるで自らの赤毛のごとく、羞恥に顔を染めて──おもむろに赤剣を構える。
「あ、だめ、だめだって、さすがに赤剣は──」
私の制止も聞かず、ロレッタは赤剣を振るい──私はそれを紙一重でかわす。はらり、と前髪が舞い、私は死の気配を感じて、脱兎のごとく逃げ出す。
「待ちなさい!」
ロレッタは赤剣を振りまわしながら追ってくるのであるが──待てと言われて、待つものはいない。私は疾風のごとく駆けてロレッタを振り切り、エレグヌスの門を抜けたところで足を止めて──なお執念深く追ってくる彼女の到着を待つ。
勇者とは──どれだけ怖くても、勇気を振りしぼって、誰かを助けることのできる人──言い得て妙であろう。私もそう思う。
だからこそ、私は勇者ではないし、黒鉄も、絶影も違う。誰よりも臆病で、誰よりも勇気のあるロレッタこそが、真の勇者と呼ばれるにふさわしかろう、と私は確信している。
とはいえ、そんなことを言おうものなら、彼女がどれほど調子に乗るやら、知れたものではないから──絶対に口にするつもりはないのだけれども。
「勇者」完/次話「教団」




