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王城に侵入するのは、次の晩ということになった。
「仮に王城に忍び込めたとしても、今からではすぐに夜が明けてしまうからな」
闇にまぎれる方がいい、と団長がわるい顔で言う。
「リュカが戻ってこないことについて、ひとまず王城に探りを入れてみようと思う」
それを待ってからでも遅くはないだろう、と先代が慎重を期す。
結局、私はきたるときに備えて休養をとり、明日の夕方に再びレーム家に集まるということになって、深夜の会合はお開きとなる。
次の日の夕暮れ時、私たちはレーム家の店先で落ち合った。
「埒があかんな。商談が続いているから帰れないの一点張りだよ」
王城を訪ねてみても、リュカの顔さえ見ることができなかったようで、先代が憤慨する。
「やはり、やるしかないか」
団長が告げて──私たちは、王城に向けて、グラン通りを歩き始める。
王都の住人である二人と歩いてみると、どうやら通りには一定の人の流れがあることに気づく。時折、流れが途切れたり、変わったりすることもあるものの、それも先を見ていれば読める程度のもので、試しに意識して歩いてみたところ、それほど苦もなく通りを行けることがわかる。なるほど。初めは大勢の往来に翻弄されたものの、落ち着いてみれば、何ということはない。もう田舎者とは呼ばせない、と誇らしげに通りを歩くうちに──やがて、堀を隔てて、雄大な王城の前までたどりつく。
「さて、どうやって、忍び込んだものか……」
団長のつぶやきを耳にして、まさかまったくの無計画とは思っておらず、絶句する。考えなしにもほどがある。こやつ、脳まで筋肉でできているのではあるまいか、と疑わしく思い始める。
リュカを救出するためには、どうやら私が考えをめぐらせる必要がありそうである、と決意して、団長の前に出る。私単独であれば、堀を泳いで渡り、城壁をのぼることもできるとは思うのだが──と、王城を見あげて思案する私に、フィーリが釘を刺す。
「かつて、ウォルステラの堀には、水生の魔物が放ってありました。代を重ねて、いまだに生きているかどうかは不明ですが、堀を泳ぐのはやめておいた方がよいかと思います」
「じゃあ、どうすればいいのよ?」
思案顔で王城を見あげる先代と団長に聞こえぬよう、小声で尋ねる。
「そんなことをしなくとも、もっとよい方法があります」
王都の門を抜けて、郊外に出る。
小高い丘にのぼると、王都を見守るように、共同の墓地がある。墓地は、中央の巨樹──樹齢を重ねた糸杉を中心にして、小さな村くらいはありそうなほどに広い。
「本当にこんなところから王城に侵入できるのか?」
いぶかしみながら、先代が口を開く。
「糸杉のそばの墓から、王城に通じる抜け道があるみたいです」
と、フィーリが言っている。
「どうしてマリオンがそんなことを知ってるんだ?」
先代の問いに、曖昧に笑って返す。フィーリのことを話してもよいのだが、今は先を急がなければならない。
「すまん、聞かない約束だったな」
先代は、気になって仕方がないようなのに、疑問を呑み込んでくれる。
「お前の祖父さんも秘密が多くてなあ」
一方で、団長に至っては、まったく気にしていないようで、祖父の思い出話を始める。器が大きいと言えばよいのか、はたまた細かいことは気にしないたちなのかはわからないが、秘密を抱える心苦しさがやわらぐのは助かる。
墓地の中央にたどりついて、目の前の巨樹を眺める。まるで墓地の主のような糸杉は、王都よりも古いのではないかと思えるほどに大きい。糸杉を見あげながら、王城侵入について考える。
目的は、二つ。
一つは、リュカを助けること。
王城のどこかに、おそらく幽閉されているであろうリュカを助ける。先代は最優先ではないというけれども、私にとってはリュカを救うことこそが最優先の目的である。
理想は、リュカを救い出して王城を脱出すること。しかし、状況によっては、リュカの無事を確保した上で、もう一つの目的を優先させることも考えなければならない。
もう一つは、幼王を助けること。
団長の懸念が事実であれば、幼王さえも幽閉されている可能性がある。先代や団長にとっては、幼王を救うことこそが最優先の目的である。
理想は、同じく幼王を救い出して王城を脱出すること。しかし、それがかなわないときは、何らかの手段で、団長に状況を知らせることを考えなければならない。知らせさえすれば、あとは団長任せである。
「王命があれば、騎士団を率いて城に入ることもできるからな」
とは団長の談であるが、どうやって王命を伝えればよいものかは判然としない。
糸杉に手をついて振り返ると、そびえたつ外壁の向こうに、王城の尖塔が見える。
「ふむ」
糸杉から尖塔が見えるということは、尖塔からもまた糸杉が見えるということである。
「団長は、糸杉のそばで待っていてもらえますか。リュカと王様を助け出して戻るか──どうしても戻れないときは、何らかの方法で状況を知らせるようにします」
「わかった。だが、待つのは夜が明けるまでだ」
団長は、どうやって、とは問わなかった。祖父のことを──祖父の信じた私を、心から信頼していることがわかる。
「それまでに連絡がなければ、今度は俺が乱心するまでよ」
言って、団長は不敵に笑う。祖父の友人というだけあって、困った爺さんである。
糸杉のそばの巨大な墓石を、三人がかりで押す。団長の怪力のおかげもあって、墓石がわずかに動いて、私なら何とか通れそうなほどの墓穴があらわになる。おそるおそるのぞいてみると、確かに奥に続く階段が見えるので、件の抜け道であることは間違いない。
「いってくるね」
言って、ちょっと狩りに出かけるような気軽さで、墓穴の奥へと潜る。
階段を下りきると、フィーリの灯りに照らされて、せいぜい二人が並んで歩ける程度の狭い通路が浮かびあがる。通路は天井も低い。女である私は問題ないとしても、背の高い男であれば、屈まなければ通れないほどに低く、こんなときでなければ進むのをためらうような閉塞感を覚える。
通路は、最初の頃こそ一本道であったが、やがて迷宮を彷彿とさせるような入り組んだ様相を呈する。
「迷路みたいな通路だね」
あまりにも分岐が多く、どう進めば王城にたどりつけるやら──方角だけならわかるんだけど──私にはとても判断がつかない。
「次を右です」
フィーリは、勝手知ったる様子で、順路を案内する。
「王族が落ちのびるための脱出路ですから、追手に追いつかれないように迷路のようになっているのです。正しい順路を知るものでないと抜けられません」
「何で、そんな脱出路の存在と順路を知ってるの?」
「……昔、エルディナ様がウォルステラの王ともめまして」
めずらしく、言いづらそうに返す。
「波乱万丈の冒険の末、この通路を抜けて脱出したわけです」
詳しくは後日、とフィーリは口を濁す。旅具が言いよどむくらいなのだから、よほどのとんでもないことをやらかしたのだろうなあ、と旅神に親近感を覚える。
「あ、この足跡」
と、めずらしくフィーリが浮かれたような声をあげる。見れば、通路端の泥の上に、ずいぶんと古そうな足跡が残っている。
「懐かしや、エルディナ様の足跡ですね」
へえ、と旅神の足跡を、しげしげと眺める。足跡は、私と同じくらいの大きさで、言われてみなければ旅神のものとは思えぬほどに、何の変哲もない──と、その付近に、旅神のものとは逆向きに、王城に向けて走る大勢の足跡があることに気づく。見れば、こちらの足跡も、旅神のものと同様に古い。
「……あのさ、リムステッラの建国は、蛮族リムスが奴隷を率いてウォルステラの王位を簒奪したものだって言ってたじゃない」
足跡を眺めていると、ふつふつと嫌な予感がわいてくる。
「蜂起した奴隷たちがウォルステラを打倒できたのって、もしかしてこの通路のことを誰かから教えられたからなんじゃ……」
ウォルステラに恨みを持つ誰か。例えば、ウォルステラの王ともめてしまった誰か。
「……私からは、お答えいたしかねます」
私よりも早くその回答に思い至っていたものか、フィーリは固く口を閉ざす。
私たちは、気まずい沈黙を共有しながら、王城を目指して通路を進む。




