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「ほら! 火吹山だよ! 火吹山!」
噴煙たなびく山を指して飛び跳ねるのは──当然、ロレッタである。
ロレッタの声に、私は火吹山を仰ぎ見て、本当に山が煙を吹くのであるなあ、と感じ入る。しかも、いまだ麓にもたどりついていないというのに、その山の威容は眼前に迫るほどなのであるからして、想像を超える大山なのであろう、と思う。
「地図を見るかぎり、この先に小さな街があって、そこを越えると、ようやく火吹山の麓のようじゃのう」
黒鉄は、オレントスで手に入れた地図を広げながら──戦時であるから、地図の類は常よりも厳重に管理されているはずなのであるが、オレントス王は気軽に譲ってくれたのである──手庇をして先を見やる。
「その街までは行ったことないんだけど、このあたりまではきたことあるんだよね」
ロレッタは懐かしそうに周囲を見渡しながら、くるりと振り向いて──何かよいことでも思いついたように、いたずらっぽく笑う。
「ね、ちょっと寄り道してもいい?」
ロレッタに連れられて──私たちは田舎道を外れて、小さな山に踏み入る。近くに村もなく、田舎道からも外れているから、人の気配がないことに不思議はないのであるが──山には、獣道というには似つかわしくない立派な山道が伸びており、いくらか違和感を覚える。
「どこまでのぼるんじゃ」
「もう少し」
黒鉄の問いに、先頭を行くロレッタが快活に返す。
「それにしても、めずらしいねえ」
「──何が?」
私の言葉に、ロレッタは振り向いて、後ろ向きに歩きながら問い返す。
いつもであれば、真っ先にへばるはずのロレッタが、私たちを揚々と先導していることも、めずらしいといえばめずらしいのであるが。
「だって、ロレッタって、知り合いに会うときは、たいてい一人で出かけるじゃない」
そう──知り合いに会わせたいから、と寄り道を提案すること自体がめずらしい──というよりも、初めてではなかろうか、と思う。
「今までの知り合いは、本当に何度か顔をあわせただけの知り合いだったからねえ」
「今回は違うの?」
「今回の知り合いは──いや、知り合いって程度じゃないか」
私の問いに、ロレッタは言葉を選び直す。
「あたしの家族みたいな人なの。みんなを紹介したくってさ」
山道は、山腹にたどりついたあたりで途切れる。いくらか開けた山腹からは、ちょうど火吹山を望むことできて、小さな山にしては眺望がよい。しかし、いくら眺望がよいからとて、こんな辺鄙な山に住むものがいようとは、この目に見るまで信じられなかったのであるが──私たちの眼前には、木々に埋もれるようにして、粗末な家──いや、庵のようなものが建っているのであるからして、誰かしら奇特なものがいるのは事実なのであろう、と思う。
「──あれ?」
ロレッタは勝手知ったる様子で庵の扉に手をかけて──そして、意外そうな声をあげる。
「嘘──留守?」
彼女は呆然と庵を見あげて──次いで、がっくりと肩を落とす。
「どんな人が住んでるの?」
ロレッタの落ち込みようといったらなく、私は彼女を元気づけるように肩を叩きながら、そう問いかける。
「親父の親友で、あたしたちがリムステッラに流れ着くまでは、ずっと一緒に旅してた人なんだあ」
ロレッタはそう返しながらも、なおも未練がましく庵を見あげる。
「どこに行っちゃったのかなあ、おじさん」
「──おじさん?」
問い返す私に、ロレッタはその名を口にする。
「そう──アフィエンおじさん」
私たちはやむなく山を下りて、先に話題にあがった街までたどりつく。川向こうに火吹山を望む街──エレグヌスは、思いのほか栄えている。川を渡れば、拝死教徒の聖地たる死の都も近いというから、巡礼者が多く立ち寄っているのであろう、街は白い巡礼服に身を包んだものたちであふれている。
巡礼者の多くは、善良なる信徒のように思える。絶影の言を信じるならば、彼の教団と彼ら拝死教徒とは、その教義を同じくするはずなのであるが、一見したところでは、とてもそうは思えない。
「死を拝むというから、どれほど禍々しいものかと身構えておったが──存外におとなしいもんじゃのう」
どうやら黒鉄も同じことを考えていたようで、髭をもてあそびながら、行き交う巡礼者を眺める。
「暗殺は裏の顔──表向きは、死に向けて真面目に生きましょうって程度のもんだぜ」
絶影は、拝死教徒が耳にしたならば、さすがに怒りそうなことを平然と返して──私は、こら、と絶影を小突く。
しかしながら、絶影のその表現は、言い得て妙であろう、と思う。目の前の巡礼者は、死を尊いものと崇めてはいるのであろうが、だからこそ死ぬまでを懸命に生きようとしている純朴な民そのものであり──死を渇望する殉教者ではないし、ましてや死を撒き散らす暗殺者ではありえない。
そうして、しばし巡礼者の往来を眺めていると──ある巡礼者が、人目を避けるように外套をはおり、酒場の扉をくぐる。
「拝死教の戒律では、酒は禁じられておらんのかのう」
黒鉄はそれを見て、疑問の声をあげる。
「いや、確か禁じられてるはずだぜ」
その疑問に答えるのは、いくらか拝死教に詳しい絶影である。
「──とはいえ、信徒の皆が厳格な拝死教徒ってわけでもねえだろうからなあ。まあ、いくらか罰当たりな連中がいたところで、神様もお目こぼしくださるんじゃねえのか」
絶影は肩をすくめながら苦笑する。
「拝死教徒にも酒を嗜むものがおるのであれば、酒場もいくらかましであろう」
黒鉄は絶影の言に深く頷きながら、勝手に結論を出して──私たちが止める間もなく、先の巡礼者に続いて酒場に入る。
「──あんたら、冒険者かい?」
酒場の女将は、私たちの出で立ちを一瞥して、そう尋ねる。
「冒険者というよりは──旅人かなあ」
答えて、私たちは女将に案内されるまま、窓際の席に腰をおろす。
「巡礼者でもない旅人が、辺境のエレグヌスを訪れるなんて──さては、あんたらも勇者様の噂を聞いたんだろ?」
「──勇者様?」
女将の問いに、私は首を傾げる。
「おや──知らないのかい?」
私が何も知らぬと察するや否や、女将はぎらりと目を輝かす。
「勇者の再来と謳われる──赤毛のオルテス様一行が、このエレグヌスに滞在してるんだよ!」
女将は身を乗り出して、私の手を取りながら、うっとりと語り出す。
「あたしも遠目にそのお顔を眺めたんだけど、伝説の勇者もかくや──ってほどの美男子でねえ!」
熱弁を振るう女将は──失礼ながら──いくらかとうが立っているというのに、まるで初めての恋に胸を躍らせる乙女のように、頬を紅潮させている。
「女将──その話、聞き飽きたぜ」
と、そこに割って入ったのは、店の常連らしき酔客である。
「そうそう、酒場をほっぽって勇者様のところに駆けつけるわけにはいかないからってよ、何度も同じ話を聞かされる俺たちの身にもなってくれよ」
その酔客のぼやきに乗じて、他の客までもが女将に苦情を申し立て始めるのであるが。
「おだまり!」
女将は、先までの夢心地から豹変して、私たちのテーブルを、どん、と叩いて一喝する。その勢いたるや、女将の正面に座したロレッタが飛びあがるほどである。
「聞き飽きたってんなら出ていきな! ここはあたしの店だよ!」
女将の怒気に、酔客は震えあがる──こともなく、からからと笑いながら、それを肴にするかのように酒杯を傾けているのであるからして、一連の騒動もいつものことなのであろう、と思う。
私は黒鉄とロレッタを手招いて、顔を寄せて口を開く。
「──どう思う?」
「親父かな?」
「美男子じゃないでしょ」
私の指摘に、黒鉄とロレッタは然りと頷く。
「勇者の再来が現れたって話と、姐さんの親父さんがどうつながるんだい?」
絶影は、私たちの密談を耳ざとく聞きつけて、疑問の声をあげる。
「ああ──親父も赤毛なんだよ」
「赤毛なんて、そこまでめずらしいもんでもないだろうになあ」
ロレッタの答えに、絶影は興味なさげに返して。
「そうなんだけどねえ」
ロレッタはつぶやきながら、乾いた声で笑う。




